第29話 迎え

 行きしよりも、荷物の重さが増したというのに、リィエンは全く気にならない。

 むしろ足取りは軽く、目に見えるもの全てが生き生きと鮮やかに感じる。


 大きな竹籠を背負ってお喋りをする物売りの女性たち。小川に渡された、心許ない丸太の橋。どこからか漂う香草と鶏肉炒めの匂い。


 カウカイに居るのも、あと僅かな時間だと思うと、急に哀愁が込み上げてくる。


「リィエン!」


 声のした方を見上げると、急勾配の坂上で、クアンが嬉しそうに手を振っていた。

 家にいろと言ったのに、わざわざ迎えに出てきたのだろう。呆れると同時に、嬉しかった。


 慣れ親しんだこの地を離れることは、誤った選択ではないはずだ。そう、クアンの一挙一動が思わせてくれる。彼を信じたい。


「重かっただろう。私が持つ」

「じゃあお願いする」


 リィエンは野菜の入った竹籠をクアンに渡し、随分素直になったものだと自分に感心してしまう。


「あのさ」

「どうした?」


 もう一歩、踏み出してみようかとリィエンは思った。

 クアンは微笑みを湛え、話し始めるのを待ってくれる。


「オレ、クアンに秘密にしていることがあるんだ」


 今らなら言えるような気がしたが、いざ口にしようとすると、どこかに隠れ潜んでいた恐怖がどっと襲ってくる。

 冷や汗が背をつたい、目眩で地面が揺れて見えた。


「言いづらいことなら言わなくて良い」


 クアンは様子のおかしいリィエンの頭をそっと撫でてくれる。


「クアンだけには話しておきたいけど、まだ怖い」

「大丈夫だ。いつか話したいと思った時で良い。だが、これだけは覚えておいてくれ。リィエンの秘密が何であれ、君への愛が変わることはない」


 弧を描く彼の美しい目が、陽の光に煌めいて、まるで宝石のようだ。


 リィエンは堪らなく彼に触れたくなった。


「ありがとう」


 二人は家に向かってゆっくり坂の続きを上り始める。

 人がいないことを確認してから、リィエンは彼の体にぴたりと身を寄せた。



 その日の晩。就寝前の用事を終えて寝台に行くと、豆鹿のマイがクアンの懐あたりで丸まっていた。


 調理場に引き返し、コンコン餌入れを叩くと、マイは一目散に駆けてくる。


 ――ふっ、ちょろいもんよ。


 マイの扱いを覚えたリィエンは、クアンの略奪に成功した。

 

 リィエンはクアンの隣に転がり、彼の逞しい腕の中へと収まる。


 この幸せな気持ちのまま、後は眠るだけ。

 そう思っていたはずなのに、遠くに聞こえた足音がどんどん小屋に近づいてくる。


 リィエンはぴくりと上体を起こした。


「リィエンどうした?」

「トゥアだ」


 足音の間隔が狭い。昼間に会ったばかりだというのに、トゥアは走ってこちらに向かっているようだ。


 これは、ただ事ではない。リィエンは転がるように寝台から下り、表に出る。

 走り込んできたトゥアと、丁度ぶつかりそうになった。


『トゥア、何があった?』


 彼の家族に何かあったのだろうか。

 それとも、村が火事にでも遭ったのだろうか。

 息を切らしたトゥアが呼吸を整える間、リィエンは悪い想像ばかりしてしまう。


『村に異国の人間が訪ねてきた。言葉が分からないから確証はないが、あの人の迎えじゃないか?』

『……クアンの、迎え?』


 自力で、ホアダイ王国へ向かうための準備を始めようとしていたところだった。

 しかし、いざホアダイ行きが現実味を帯びると、本当にそれで良いのかと不安になってくる。


「二人ともどうした。村で何か良からぬことが起きたのか?」


 背の高いクアンは、窮屈そうに腰をかがめ、玄関口から顔を出す。


「村にクアンの仲間らしき人が訪ねてきたって」


 リィエンが伝えると、クアンは目を見開き、それから頷いた。


「そうか。今すぐ向かおう」



 

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