第33話 告白

「リィエン……良かった」


 視界にぼんやりとクアンの顔が映る。彼はリィエンの手を握ってくれていた。

 どうやらここはリィエンの家のようだ。布を被せた寝台の上に寝かされている。


 甘い香りに混じって血の臭いが鼻についた。

 視線を動かすと、クアンは上の衣を脱ぎ、白い帯を巻いているのが見える。


 リィエンは事の顛末をはっきりと覚えていない。

 けれど、自分が獣となって人を襲い、化け物である事実を受け止めきれず死にたいと思ったことは、なんとなく思い出せる。


「オレがクアンを傷つけた?」

「いや、これは止めに入った際、ユンの剣にやられたんだ。トゥアに薬草をもらって止血した。何の心配もない」

「……それはオレが傷つけたのと変わらないよ」


 リィエンは掠れる声で言う。


 リィエンは自分が恐ろしい存在であることを、初めて実感した。

 自分のような化け物は、生きている価値がないようにも思えてくる。


「違う。リィエンは何も悪くない。ユンが君を煽ったせい――いや、違うな。私のせいだ」

「クアン……」

「何だ?」

「口づけをして」


 リィエンの唐突なお願いに、クアンは目を見開く。そこからぽろりと緑の宝石がこぼれ落ちてきそうだった。


 しばらく固まっていたクアンだったが、彼はリィエンの手を握ったまま、そっと唇を重ねてくれる。


「リィエン、愛している」

「オレも愛してる、クアン。だから薬にだってなるよ」


 どうせ普通の人間にはなれない化け物なのだ。

 クアンが望むのであれば薬にだって、剥製にだってなろう。


「リィエン? 何を言っている」

「クアンは薬が必要で、遥々ここまで虎の半獣を探しに来たんでしょ?」

「何のことだ? 私が虎の子を求めていたのは伴侶とするためだ」


 リィエンは思わず「え?」と声を漏らす。


「ホアダイ王国の王位は通常、親から子に受け継がれるものであるため、世継ぎを作る必要があるのだが、困ったことに私は女に興味がない。唯一の望みは、男でも子を産めるという虎の子だった」

「まさかそんな理由で……」


 そういえば、クアンは伴侶を探しに来ただとか、女性には興味がないだとか言っていた気がする。

 けれども、子ども欲しさに半獣を求めるという話は聞いたことがない。


「誤解しないでほしいのは、虎の子だからという理由でリィエンに惹かれたわけではないということだ。あれは殆ど一目惚れだった」

「でも、虎の半獣は薬になるんだよ? 肉は万病に効いて、骨を煎じて飲むと寿命が延びるんだって。華国の人はこぞって欲しがる。クアンだって欲しいでしょ? オレ、クアンのためなら死んでも――」

「リィエン」


 クアンが叱るように強い口調で名前を呼ぶので、リィエンはびくりと固まる。


 ――あ。


 唇を噛み締め、眉を寄せたクアンの目には薄い水の膜が張っている。

 彼はリィエンの左手を両の手で包み、祈るような仕草をする。


「リィエンがいない世なら、長生きしたところで何の意味もない」


 彼は大きな体を震わせていた。


 手に温かいものが付着する。泣いているのだ。

 逞しく、いつも余裕に満ち溢れている男が、リィエンを想って静かに涙を流している。


「クアン……」

「君が正体を明かすことに怯えていた理由が分かった。これまで一人で辛かったな」

「……うん」


 リィエンは彼の言葉を素直に受け止めた。

 そうだ、自分は寂しくて、それでも誰かに縋ることができなくて、辛かったのだ。


「リィエン、改めて言おう。私の伴侶として、ホアダイ王国についてきてほしい。ホアダイ王国には虎や虎の子を狩る文化はない。むしろ、虎は神の化身とされていて信仰の対象だ」


 リィエンはゆっくり上体を起こす。

 体の節々は痛むものの、完全な人の姿に戻っている。


 着ていたものは獣化した際に駄目にしてしまったようで、体を覆う布の下は裸体であった。

 腕に結んでいた願い紐も、残念ながらなくしてしまったらしい。


「本当にオレでいいの? クアンも見たでしょ、化け物だよ?」

「リィエンが虎の子でも、そうでなくても、私の伴侶は君しかいないと思っている。それに、リィエンは化け物ではない。人の姿も、獣の姿も美しい」


 美しいのはクアンの方だ、とリィエンは思う。

 素直でおおらかな美しい心でリィエンを包み込み、癒してくれる。


 この人が生まれ育った国を見てみたい。この人と生涯を共にしたい。

 それを選んだことにより、誰かの反感を買うことになっても、死が訪れたとしても、リィエンは後悔しないだろう。


「ホアダイに行くよ。何番目の妃でもいい。クアンに相応しい伴侶になるよう頑張るから、そばに置いて」

「頑張らなくても、リィエン以外は考えられない」


 彼は蕩けるような笑みを見せ、リィエンの髪を撫でてくれた。


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