第六章
第34話 出発
カウカイを出てホアダイに至るまでは、あっという間に感じられた。
クアンの側近が急かすので、リィエンは必要最低限のものだけ持って発ち、家の片付けはトゥアの家族に任せることになってしまった。
トゥアの父はリィエンが去ることをひどく嘆いたが、クアンがカウカイとホアダイの交流を持ちかけたので、いつかホアダイを訪れるという新たな人生の目標ができたらしい。
村の皆は広場で盛大な宴を開いて、リィエンを送り出してくれた。
人と極力関わらないよう生きてきたはずなのに、リィエンはいつの間にか村の一員として認められていたようだ。
嬉しいような、くすぐったいような、不思議な気持ちになる。
『リィエン、ここはお前さんの故郷だ。いつでも里帰りすればいい』
宴の途中、物知りババは皺くちゃな顔を更に皺くちゃにさせながら、そう言ってくれた。
『ババ様、ありがとうございます』
この人は何年経っても、今と変わらぬ姿で迎えてくれそうだな、とリィエンは思う。
『そういえば、もらった願い紐、つけていたら切れたみたいでなくしてしまいました』
『ああ、あれは願いが叶ったら切れる。そういうものだから別にいい。どうだ、願いは叶ったか?』
――願いなら、確かに叶ったのかもしれない。
リィエンは隣に立っているクアンを見上げ、それから笑顔でババ様に礼を言う。
『そうだ。発つ前に一つ教えてやろう。お前さんの体のことだ。少し前、体が熱に浮かされ、おかしかったのではないか?』
『何故それを……』
ババ様はにたりと笑う。
腰を屈めるようリィエンに合図し、周りの人に聞こえないよう耳打ちをした。
『私ほど長生きすれば、見ただけで分かるというもの。ヨウリンが幼子を連れ、ここへ来ることになった事情も知っておる』
『へ?』
リィエンは目を瞬かせる。この人は、リィエンたちの正体を知っていたというのか。
『案ずるな。私はこの村で唯一、ヨウリンの相談役だった。華国人に狙われた虎の悲惨な末路も知っている。今までも、これからも、他人に言うことはない』
ババ様はそう言うが、リィエンの体は勝手に震えた。
異変を察したクアンがそっと手を握ってくれ、それに少し安堵したリィエンは、深呼吸をして心を落ち着かせる。
『虎の子には春先、子を成すための発情期が訪れる。そのことは知っておるな?』
『はい』
『相性が良く、お前さんに好意を抱いた者が発する匂いにあてられると、特に盛りが増す』
ババ様は、クアンの方へと泳がせた視線をリィエンのところに戻すと、「そういうことだ」と頷く。
――そういうこと? クアンとオレの相性が良くて、クアンがオレのことを好きだから甘い匂いがするってこと?
初めてあの香りを感じたのはいつだったか。確か出会ってすぐだった気がする。
ぼっ、とリィエンの顔が赤く染まる。
『ババ様、貴女は一体何者ですか?』
『ふはっ、ただの長生きし過ぎた物知りバァさんだよ』
ババ様は真っ黒な歯を見せて笑った。
「リィエン、どうした?」
「何でもない。ちょっと暑くなっただけ」
火照る顔をパタパタと手で仰ぐリィエンを見て、クアンは不思議そうに尋ねる。
この話をするのは、もう少し恋愛に耐性がついてからにしよう。リィエンはそう心に決める。
宴の翌朝、リィエンはクアンの一行についてカウカイを出た。
『リィエン、元気でな!! そのうちホアダイに遊びに行くからなー!!』
『待ってる!! トゥアも元気でね!!』
リィエンは少し寂しく思いながらも、山の麓まで見送りに来た幼馴染に手を振って、意気揚々とホアダイに向かった。
クアンの話によると、ホアダイに着いてからは何不自由ない生活が約束されている――はずだったのだが。
人生とは、そう簡単にはいかないものだ。
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