第五章

第26話 君のせい

「オレ、ホアダイについてくよ」


 クアンがホアダイ王国の次期国王である――という衝撃の告白から一夜明け、朝食の片付けを済ませた後だった。


 夜のうちに固めた決意をリィエンが告げると、椅子に座っていたクアンは勢いよく立ち上がる。


「そうか! ついて来てくれるか!」


 彼の膝の上で穏やかに眠っていた小さな獣は、可哀想なことに地面に転がり落ちていった。


「ぎゅる……」

「済まない、マイ」


 災難に見舞われた豆鹿は不満そうだったが、クアンは一言詫びを入れた後、ぱっと顔を輝かせてリィエンを見た。


 ――なんか、めちゃくちゃ喜んでる……!!


 本当に、この男は輝いているというより神々しい。屈託のない笑顔が眩しくて、リィエンは思わず一歩後ずさる。


「とりあえず、どんな国か見に行ってみるだけ。暮らせないと思ったらカウカイに戻るよ」


 クアンはリィエンのツンとした口調を気にも留めず、にこにこと満面の笑みを浮かべて言う。


「帰りたくなくなるくらい、私が君を幸せにしよう」

「よくそんな恥ずかしい台詞を言えるよな」

 

 彼に避けられた時は寂しかったが、ひたすら甘ったるい言葉を吐かれるのも考えものだ。


 ついに耐えられなくなったリィエンは、ぷいっと顔を逸らす。


「調子に乗りすぎ」

「寂しい思いをさせないよう、これからは全力でいく」


 頑丈な腕がリィエンの腰を抱き寄せた。


 リィエンは「ひゃっ」と情けない声を上げてよろけ、クアンの胸に倒れ込む。

 その瞬間、甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「この匂い……」


 ぞわりとしたものが背筋を駆け抜ける。体が震え、下半身に熱が集まっていく。


 花のような香りだと思っていたが、匂いの根源はやはりこの男らしい。


「どうした?」

「放して」

「また体がおかしくなったのか」


 クアンの手が肩に触れただけで、ぞくぞくとしたものが駆け上がり、リィエンは甘い声を漏らす。


「クアンの、匂いのせい」


 僅かに香る程度であれば心地よいが、匂いが強まるとリィエンは発情してしまうようだ。


 もしかしたら発情の方が先で、それが原因で、匂いを強く感じているのかもしれないが。


 体に力が入らず、次第に息が荒くなる。

 リィエンはその場にへたり込み、潤んだ瞳でクアンを見上げた。


 触れてほしい。体の奥まで、心ごと。


 ――でも、また拒絶されたら?


 リィエンの胸はぎゅうっと締め付けられ、切なくて涙が出そうになる。


「クアン……」


 ――苦しい。助けて。


 そう言いたいのに、喉元で引っかかり、上手く言葉が出てこない。


「大丈夫だ」


 クアンは床に膝をつき、泣きそうなリィエンをそっと抱きしめてくれた。


「もう大丈夫」

「嫌なんじゃないの?」


 リィエンは震える声でどうにか尋ねる。すると、彼は眉尻を下げて微笑んだ。


「本当はこの前も、こうしてあげたかったよ」

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