第37話 ホアダイ料理
クアンが外に控える使用人に声をかけると、透けていない服と、山盛りの果物がすぐに用意された。
服を着替え終え、リィエンが見たこともない果物に戸惑っているうちに、次から次へと調理された食事が運ばれてくる。
明らかに食べきれない量だ。
「こんなに食べられないよ」
「食べられるだけ食べれば良い。毒味を頼む必要があるか?」
机を挟んで正面に座るクアンは、なかなか手をつけようとしないリィエンに尋ねる。
「要らない」
リィエンはふふっと笑い、恐る恐る、目の前にあった大きなエビに齧り付いた。
「!!」
「どうだ。美味しいか?」
リィエンは咀嚼をしながら勢いよく頷いた。
引き締まった身を噛むごとに、じゅわりと旨味が口に広がる。
リィエンが食したことがあるのは、川にいる小さなエビだけだ。
あれはあれで美味いが、この見たこともないような大きさのエビは、しっかり味付けされていることもあって、感動的な美味しさだ。
「それは海でとれたものだ。ホアダイは海の幸が豊富で美味い。この魚も食べてみると良い。川のものとはまた違う」
クアンは大きな焼き魚が乗った皿を差し出した。
海というのはきっと、巨大な池故に大きなエビや魚が育つのだろう。
リィエンは海の存在は知っているものの、実物を見たことがないので、そんなことを考えた。
勧められた魚をひと口、食してみる。
「本当だ。美味しい」
淡白な川魚よりも濃厚な味がして、柔らかな身は口内でとろりと溶けて消えていくようだった。
あまりの美味しさに、リィエンの顔まで蕩けそうになる。
魚は食べ飽きたと思っていたが、これならいくらでも食べられそうだ。
「クアンは食べないの?」
クアンは食事には手をつけず、何が楽しいのかリィエンをじっと見つめて微笑んでいた。
「そうだな、折角だから一緒に食べようか」
彼が箸を手に取ったのを見届けて、リィエンは食事に戻る。
「これ、鹿肉だ! 新鮮で美味しい!」
分厚い肉を頬張ったリィエンは、興奮のあまり目を見開く。そしてはっとした。
「……これ、まさかマイじゃないよね?」
「はは、それはない。遠慮せず食べてくれ。足りなければ待ってこさせよう」
その言葉を聞いて口内に唾液が溢れる。
しかし、贅沢な暮らしが当たり前になってしまうのは良くないと、リィエンはクアンをじとっと見つめる。
「あまりオレを甘やかさないでよね」
「甘やかすさ。そのために一緒にいるのだから」
「ふーん、ここへ着いてから今日まで、会いにすらこなかったのにね」
クアンは食事の手を止め、「本当に済まない」と言って頭を下げた。
しばらくはこの話でクアンを揶揄えそうだ。
「そのことだが、半獣であるリィエンを伴侶として認めてもらうために必要な措置だった。場所は牢である必要はなかったが……」
クアンは項垂れながら事の成り行きを語る。
ホアダイ王国の世継ぎが伴侶を迎える際には王の他、国の顧問役――つまりは国政に携わる長老たちの賛同を得る必要があるらしい。
それはとうに忘れ去られていた規律だったが、ユンによって掘り返された。
彼はまず、クアンに王への帰還報告を勧め、その間にリィエンの身なりを整えると言って、二人を引き離した。
そして、リィエンを牢に入れると、すぐさま国の重鎮たちを味方につけるべく、リィエンのことを吹聴して回ったのだ。
王子が連れてきたリィエンという人物は、伝説に聞く虎の半獣で、確かに子は産めるかもしれないが、理性を失うと獣になって暴れ回ると――。
クアンは当然抗議をしたが、リィエンがクアンを傷つけたという話を聞いた老人たちは、いい顔をしなかった。
交渉の結果、どうにか取り付けたのが『半獣が危険な存在ではないことを示すために、一週間リィエンを捕食対象と共に隔離し、何事もなければ伴侶として迎え入れることを許可する』という約束だったらしい。
ユンの言っていた賭けとはこのことだろう。
「捕食対象ってマイのこと?」
「そうだ。リィエンがマイを食べることは絶対にないと確信していたから不安はなかった」
「なるほどね。それで食事も少なくされていたんだ」
腹を空かした獣の本能を、理性で抑えられるかを検証されていたというわけだ。
ユンは検証失敗を期待していたのかもしれないが、残念ながらリィエンは空腹には慣れているし、マイは家畜ではなく今や家族の一員だ。食べるわけがない。
「ユンからは個室に囲い、十分な生活環境下にあると聞いていた。まさかそのような扱いを受けていたとは。いつもは誠実なのに、どうしてそんな真似を……」
クアンはどうやら、信頼していた側近に裏切られた気持ちになっているようだ。
「これは余りに度がすぎる」
彼は髪をぐしゃりと掻き上げ、何度目かの溜め息をつく。
「カウカイでの暮らしの方がひもじいくらいだったし、気にしなくていいよ。クアンの側近だって、余所者で虎の半獣であるオレを受け入れてもらえるよう、敢えて厳しい措置をとったのかもしれない」
リィエンはクアンを慰めるために、前向きな解釈案を提示した。
あれはユン個人の恨みによる意地悪だったに違いないが、これでクアンとユンの関係がこじれたら、ユンはどんな手を使ってでもリィエンを消そうとする気がする。
これ以上、あの細目の男を刺激するのは避けたい。
「リィエンは優しいな」
「そういうわけでは……。そういえば、クアンがここにいるってことは、顧問役の賛同が得られたの?」
「ああ、約束は守られた。元より両親は、子を産める男でも何でも構わないから、伴侶を見つけろと言っていたくらいだからな」
国王と王妃は、本当に子を産める男を探してきたと聞いて驚き、呆れたものの、クアンの味方についてくれたらしい。
寛容な国であるという噂は本当のようだ。
むしろ、小国であるとはいえ、王族が安易な判断をして大丈夫かと心配になるが、クアンはこの上なく嬉しそうだった。
「これからはずっと一緒にいられる」
緩んだ表情を見れば、彼がどれほどリィエンを想ってくれているかが分かる。
リィエン自身もきっと今、嬉しいと伝わるような顔をしていることだろう。
「早くホアダイの言葉を勉強しなくちゃ」
「急ぐ必要はない、少しずつで良い」
「王子の伴侶が言葉も分からないなんて駄目でしょ」
リィエンは箸を置いて微笑んだ。
「リィエン……」
クアンと生きていくことを決めたのだ。彼に相応しい伴侶となるよう、精一杯の努力をしなければならない。
これからたくさんの困難が待ち受けているだろうが、こうなれば、あの側近が文句を言えなくなるくらいの存在を目指してみようか。
「この後の予定は?」
丸く膨らんだお腹をさすりながら、リィエンは尋ねる。
「今日のために溜まっていた仕事を片付けたんだ。連れて行きたい場所がある。夜中のうちに発つから、それまで少し眠ると良い」
「どこへ行くの?」
「着いてからのお楽しみだ」
ホアダイの街を案内してくれるのだろうか。
リィエンは落ち着かず、早く明日が来れば良いのにと思う。
つい数刻前まで牢に入れられていたということは、すっかり忘れていた。
◇
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