第2話 異国の美丈夫
驚きのあまり、苔に足をとられて川中へ落ちるところだった。
恐る恐る観察すると、岩に背をもたれるようにして男がぐったり横たわっている。
視界に入った黄土色は男の衣服の色のようだ。
膝を覆うほどに長い上衣は華国の官服と似ているが、ぴたりと体に合うよう作られていて動きやすそうだ。下にはシルク地の白いズボンを履いている。
目鼻立ちの整った男の容貌からして、なんとなく華国人ではない気がした。
『あのー、生きてます?』
死んでいたらどうしようと、リィエンはドクドク煩い胸を押さえながら声をかける。
男はうっすら目を開け、何やら言葉を話したが、リィエンにはただの音にしか聞こえなかった。
きっと言葉が違うのだ。華国の言葉でも、このあたりの言葉でもなさそうだ。
死体ではなかったことにひとまず安堵し、意思疎通を試みる。
『カウカイの言葉、分からないよね』
男はまた言葉を発する。抑揚は華国の言葉に近いが、全く理解できない。やはり伝わっていないようだ。
リィエンは母語である華国の言葉に切り替えてみることにした。
華国は諸外国との交易がある巨大な国だ。少なくとも辺境の地の言葉より、通じる可能性は高い。
「華国語は喋れる?」
「君は華国の人間か」
今度ははっきりと、理解できる言葉で返事があった。ようやく会話が成立しそうだ。
「そうと言えばそうだけど、長いことこの土地の人間として暮らしてる。お兄さんは華国の人ではないように見えるけど」
「ああ。もっと南の国から来た。華国の言葉ならある程度分かる」
ある程度、と男は言ったが随分流暢に聞こえる。華国を離れて久しいうえに、まともな教育を受けたことがないリィエンよりも、正しい言葉を使っているように思えた。
裕福で教養のある人物なのだろう。
「一人? 仲間は?」
「獣に襲われ、馬が暴れた。私はかろうじて無事だったが、他の者がどうなったか分からない」
「ふぅん。会えるといいね。見かけたら伝えておくよ」
生存を確認したリィエンは一方的に別れを告げ、川を下ろうとする。男は「待て」とも「助けてくれ」とも言わなかった。
衰弱しているようだったし、怪我をしているようにも見えた。あの様子だと歩くのも辛そうだ。見知らぬ土地で、どこらへ向かえば良いかも分からないだろう。
運よく集落に辿りつけたとしても、言葉が通じず困るはずだ。このまま放っておいたら、明日には男の屍と顔を合わす羽目になるかもしれない。
背を向けてしばらく進んだところで足を止める。
「あー! もう!」
人とは極力関わるべきでない。戒めと矛盾しているにも拘わらず、リィエンは急いで戻ると、男に手を差し伸べた。
「立てる?」
「なんとか。戻ってきてくれたのか」
「ここ、よく通る道なんだ。死なれたら寝覚めが悪いだけ」
「そうか」
男はリィエンの手を取り、痛みに顔をしかめながらゆっくりと立ち上がる。
随分と背が高いようで、リィエンの頭は彼の肩までしか届かない。
歳はリィエンと変わらないくらいだろうか。大人びた雰囲気だが、日に焼けた肌はまだ若々しい。
雄々しい体格と、精悍な顔つきはリィエンの憧れそのものだ。
濡れたような黒髪から覗く、色素の薄い緑の目にじっと見つめられると、同性なのにどきりとした。
「少し歩くけど、頑張って」
「ああ。済まない、恩に着る」
リィエンは何故か男を直視できず、背後に彼の気配を感じながら岩道を下った。
◇
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