第11話 薬草風呂

『大したもてなしはできないが、湯を沸かしている間、家に上がっていってくれ』


 家主に強く勧められ、二人は家に上がって、竹製の椅子に座らせてもらう。


 家財のほとんどを始末してしまったリィエン宅にはないが、この地では、家に入ってすぐの部屋に、客をもてなす机と椅子があるのが一般的だ。


 小さな器にお茶を入れてもらい、しばらくトゥアの父と雑談する。


 初対面の相手だというのに、クアンは動じることなく、リィエンを通してそつなく会話を愉しんでいた。


 彼の社交性の高さにはいつも感心させられる。集落の人々が見物に押しかけてきた時も、彼は煩わしい顔一つせず対応していた。


『今度兄ちゃんも市場についてくるか? 色んな集落の人間が集まるから面白いぞ』

『カウカイの朝市だけで十分だよ。徒歩で山道を往復するなんて、外の人間にはできないから』


 トゥアの父は、週に一度、二つ山を越えた場所で開催される市場のことをクアンに話す。

 その距離を彼は一日で往復するのだ。


 リィエンは母親がまだ生きていた頃に、一度だけ連れて行ってもらったことがある。

 華奢でも半獣なので、普通の人間より足腰が丈夫なリィエンだが、徒歩移動を考えると二度と行きたいとは思えなかった。


「もし私の仲間を見かけた人がいたら、この村に案内するよう頼めるだろうか。もちろん、その者には何かしらの返礼はする」

「あー、それはいい考えかも」


 市場には、遠路はるばる様々な集落から、様々な人が集まって来る。

 トゥアの父曰く、集落ごとに独自の文化があるのだという。


 週一回の市場では、物々交換だけでなく、情報の交換も行われている。

 異国人を見かけたという人がいれば、クアンの仲間を見つける手掛かりになるかもしれない。


 リィエンが通訳し、トゥアの父に頼むと、彼は任せておきなさいと胸を張った。


『リィエーン、湯が沸いたからいつでも入れるよー』

『タァ坊、ありがとー!』


 家の外から末の息子の声がする。

 初めて会った頃は床を這っていた彼も、今では立派な青年男子だ。


『兄ちゃんも入っていきなさい。元気になるぞ』


 トゥアの父は、言葉が通じない相手にも気にせず話しかける。

 クアンは理解しているかのように頷いた。


「お風呂には入ったことあるよね」


 そもそも風呂に入ろうと言ってクアンを連れてきたわけだが、リィエンは問題ないかを改めて問う。


「ああ。私の家にもある」

「そうなんだ。ここのはたぶん、お金持ちの考えるお風呂とは違うよ」

「どんなものでも問題ない」


 問題ないと言いきったので、恐らく大丈夫だとは思うが、クアンの想像する風呂は、この地の人間が風呂と呼んでいるものとは恐らく異なる。


 ――どこかのお坊ちゃんにとって、田舎の貧乏暮らしは過酷だろうに、よくやるよ。


 彼は、カウカイでの生活に順応しているように見えた。


 リィエンの家は木や藁、乾燥させた葉で作られた質素なもので、隙間風が入って来るし、雨漏りもする。

 食事も朝、夕の二食しか用意できない。


 今の生活が辛くないのかとクアンに聞いてみたところ、彼は「刺激的で楽しい。一度はこういう生活をしてみたかった」と答えた。


 自国では身分相応のふるまいをしなければならないので、時折疲れるのだという。

 金持ちには金持ちの苦労があるのかもしれない。


「先、入ってきなよ」


 リィエンが勧めると、クアンはゆっくり首を横に振る。


「一緒に入ろう。私だけでは入り方が分からない。教えてくれ」

「ええ……狭いから無理だと思う」


 説明なしに入れというのは不親切だと思ったので、リィエンはひとまず案内のために浴室へとついていく。


 浴室といっても立派な建物があるわけではない。トゥアの父が一人で建てた木製の小屋だ。

 室内の床には、土の上に藁が敷かれているだけである。


「これが風呂か」


 案の定、湯が張られた小さな樽を見て、クアンは驚いたようだ。


「だから狭いって言ったでしょ」

「こうした器を風呂と呼んでいるとは思わなかった。なんとか二人で入れそうだな」


 クアンは平然と言ってのけるが、樽の大きさからして、彼の膝上に重なるようにしなければ二人で入ることはできないだろう。


「二人で入るなんて、子どものすることだよ」

「嫌か?」

「嫌では……ないけど。とりあえず服脱いで、こっちに頂戴。そこに置いてある湯桶と石鹸を使って体を洗って。頭もそれで洗えるから」


 彼は躊躇わずに服を脱ぎ、リィエンの前で裸体を晒す。


 ――うわっ。何でいきなり脱ぐんだよ。


 家に来たばかりの頃、恥ずかしそうにしていたのはクアンの方なのに、今や立場が逆転していた。


 リィエンは彼の引き締まった雄々しい体を、直視できずに目を逸らす。


 つい昨日の夜まで、リィエンはあの体を求め、抱き締められて安心していたのだ。

 憑き物が落ちたかのようにスッキリとした自身の体が、また熱を持ちそうで怖かった。


「リィエンも脱ぐように。病み上がりに一人で入るのは危険だ。私の父も風呂場で倒れたことがある」


 薄緑の目が真摯に訴えてくる。

 彼が二人で風呂に入ろうとする本当の理由は、リィエンを心配してのことなのだろう。


 彼が偉そうな態度をとる時はいつも、その裏にリィエンへの優しさが隠れている。


 きゅう、と胸が締め付けられた。


 クアンと出会ってから、時々どうしようもなく胸が苦しくなり、泣きそうになる。今もそうだ。

 この現象は一体何なのだろう。


「分かったから。あっち向いて、先に体洗っておいて」

「洗ってくれないのか?」

「もう自分でできるだろ!」

「はは、冗談だ」


 相手の裸体をまじまじと見るのも、自分のを見られるのも恥ずかしい。

 それなのに、体を洗う彼の逞しい背中に、何故か無性に触れたくなる。


 ――オレ、やっぱり頭がおかしくなったのかも。


 リィエンはゆっくりと服を脱ぎ、軽く畳んで机に置くと、湯で少しずつ体を流している男の背後からそっと抱きついた。


「リィエン?」

「ありがと」


 言い終えると、リィエンはすぐに離れて背を向ける。


「……君は本当に……いや、何でもない」

「早く体流しちゃってよ。オレも使いたいから」

「ああ。すぐ済ます」


 クアンはそう言うと、頭から湯を被った。

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