第16話 美味しいお肉?

「何か欲しいものはあった? 折角来たんだし、市場らしいことしようよ」


 リィエンが声をかけると、クアンはゆっくり頷く。


 どうやら気になるものがあったらしい。

 彼は来た道を戻り、リィエンを木製の囲いの前へと連れて行った。


「先程、あの小さな生き物を熱心に見ていただろう。アレと変えてもらうことはできないのか?」


 彼が指で示した小さな生き物とは、丸々として美味しそうな豆鹿のことである。

 彼らは自分たちが食われる運命にあるとは知らず、囲いの中で元気に駆け回っている。


 虎の本能がそうさせるのか、リィエンには動く生き物を目で追ってしまう癖がある。

 熱心に見ていたつもりはないが、クアンの目にはそう映ったのだろう。


「豆鹿は好きだけど、オレの少ない手持ちでは交換できないよ」

「これと交換してもらえないか、聞いてみてくれ。金だから十分価値はあるのだが、伝わらないかもしれない」


 彼は首の装飾を一つ外し、リィエンへと手渡す。


 華国で暮らしたことのあるリィエンには、金がとてつもなく高価なものだという認識はある。

 しかし、実際に見るのも、手に取るのも初めてのことだ。


 鎖状の金の首輪は、ずしりと重たかった。


 本来であれば、豆鹿一頭どころか、市場にある全ての物を合わせても、この金とは換えてもらえないのではないだろうか。


「こんな高価なもの、交換に出せないよ。勿体ない」

「そうか? 生活の役に立たない華美な装飾品よりも、リィエンが喜ぶことの方が私には価値がある」


 リィエンは返そうとするが、クアンは頑なに受け取ろうとしない。

 終いには、「それのせいで肩が凝って仕方ないので処分したい」と言われてしまった。


 リィエンは躊躇いながらも、豆鹿の持ち主であるドゥア族の男に交渉を持ちかける。


 見慣れぬ貴金属を前に渋っていた男だったが、取引中に戻ってきた彼の妻が金を見て、目の色を変えた。

 どれでも好きな豆鹿を選んで持って行って良い。干し肉もつけるので交換して欲しいと迫られる。


「替えてもらえるって!」

「良かったな」


 リィエンは囲いの中に入れてもらい、持ち帰る個体をじっくり見定める。


 ――どいつにしようかな。一番大きいやつ……いや、小さくて丸いやつの方が身が引き締まっていて良いかな。


 大好物の肉の味を想像すると、涎が垂れそうになる。


「この子はどうだ。愛らしい」

「うーん。オレはもう少し大きい方が良いと思うけど、まぁいいか」


 クアンが選んだのは、まだほんの子どもだった。

 もともと小さい豆鹿の中でも更に小さく、鶏の雛と見間違えそうな程である。


 愛らしいという言葉が引っかかったが、柔らかい子鹿の肉を好む人間もいる。

 リィエンはあまり深く考えず、出資者の意向に従った。


 はっきりと違和感を覚えたのは、選んだ個体が竹籠の中に乱雑に入れられ、引き渡された後のことだ。


 クアンが籠を大切に抱え、「酷い扱いをされていたのだな、可哀想に」と呟く姿を見て、彼は豆鹿を愛玩動物だと思っていることに気づく。


「……クアンは何か動物を飼ってたことがあるの?」

「犬を飼いたかったのだが、周りに許してもらえなくてな。象はいたが、あれは愛玩動物というより権威の象徴だ。小さな生き物を飼うのはこれが初めてだな」


 やはり。リィエンは絶句した。

 金持ちの考えることは良く分からないが、裕福な彼らには、食用として生き物を飼うという概念がないのかもしれない。


 この地では、愛でることを目的として動物を飼うことは殆どない。

 何か別の用途があって飼育していたとしても、最終的には食卓に並ぶ。


 それが、人間に捕らえられた動物の末路だ。リィエンとて、虎として捕まれば、同じような未来が待っているだろう。


 ――もしかして、トゥアの家にいる鶏も、愛玩動物として飼っていると思ってた? というか、オレが可愛い動物を見て、飼いたがってると思ったってこと?


 そう考えると、リィエンは食用だという真実を言い出せなくなってしまった。


 愛らしい動物を見て「美味しそうだ」と考える、野蛮な奴だと思われたくなかったのだ。

 

「そっかー。オレも初めてなんだ。名前つけた方が良いのかな。何か考えてよ」


 リィエンは話を合わせるべく、ぎこちない返事をする。


「マイという名前はどうだ。華国語でいくと梅の意だ」

「オレは何でも良いよ。じゃあマイってことで」


 トゥアの父のもとへと戻ると、彼は持ってきた野菜を売り終えて、友人との話に花を咲かせていた。


 彼に籠の中身を見せると、やはり残念そうな顔をする。


『もっと大きなやつとは替えてもらえなかったのか? それだと、食べるところがほとんどないだろう』


 これがこの地に住む人間の、通常の反応である。


『どうもクアンは愛玩動物の類だと思っているみたい。しばらく飼って育ててみるよ。大きくなってから食べれば良いし』


 おまけで牛の干し肉をたっぷりもらったので、先にそちらを消費して、豆鹿を食べるのはクアンが去ってからでも遅くないだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る