第56話「猫の秘密」

 ワンコール。

 ツーコール。

 おかしいな……。

 いつもならこれくらいで出てくれるのに。


 五回、六回と鳴らしても達也たつやにつながる気配は一向にない。

 思わず妹さんの顔を見るがこんなもんでしょと言わんばかりに肩をすくめられた。


 十回。

 もう出ないのかなとやめようとしたとき、聞いたことのない冷たい女の声がした。


『はい』

「あれ、達也じゃない?」


 え、誰この人。

 なんで私の知らない女が出てくるの?

 思わず声が漏れたが通話に出た人は私のことを知っているようで、驚く様子を見せず淡々と話し始めた。


『元カノさんですよね? 私達也クンの友達の冬木ふゆき真帆まほって言います』

「達也に変わってください!」


 達也の友達と話したいから書けたわけじゃないのに。

 それにどういうこと?

 私に振られたからもうどうでもいいってこと?


『無理です』


 達也でもないくせに無理なんて言わないで!

 そう言いそうになるのをなんとか抑えると、なるべく冷静な口調で話し続けた。


「なら話したいからせめてLINEを読んでほしいと伝えてください」

『貴女にそんなこと言える資格があると思ってるんですか?』

「資格って、そんなの必要なわけ」


 意味がわからない。

 読んでほしいって言うのがそんなにいけないこと?

 せめて読んでもらわないと謝れないじゃん。


『当たり前でしょ、達也クンがどんなに傷ついたかもしれないくせに被害者ぶらないでよ! 嫌ってから振ってよ!』

「……ごめんなさい」


 被害者ぶっちゃいけないのは事実だ。

 それを言われるとただ謝ることしかできなかった。

 振られて傷ついたのは私じゃなくて達也だ。


『謝るくらいならもう連絡とろうとしないで。そっとしてあげてよ……』

「……ごめんなさい」


 訴えるようにそう言う彼女を声を聴くと、なにを言ったらいいかわからなくなってしまった。

 私って別れたあとまでわがままなダメな彼女なのかな……。

 なにか言葉を発しようと餌を待つ鯉のように口を開け閉めしていると、妹さんにスマホを奪われた。

 なにか言うのだろうかと観察していると、数秒なにか考えたあと黙って通話を切ってしまった。


「え、切っちゃうんですか?」

「なんかこれ以上話しても、お互いいい思いしなそうだったしね」


 まあ確かに話してて気持ちのいいものではなかった。


「一応擁護ようごするわけじゃないけど、お兄ちゃんがえっと……」

あかねです。千島ちしま茜」


 妹さんが私を指さしながら何かが喉まで出かかっているような表情をしたので慌てて名前を名乗る。

 

「茜さんと付き合ってる間に他の女連れ込んでるのは見たことないし、そんな器用じゃないのは知ってるからそこは安心して」

「ありがとうございます」


 まあもし達也が妹さん以外の所に帰っていたらここで嫌味の一つぐらい言われてもおかしくないし、本当にここと私の家の往復だったんだろう。


「ところでさ、茜さんってなんか呼びづらいから茜ちゃんでもいい?」

「いいですよ。ところで私は何て呼べば?」

陽菜ひなでいいよ」


 そう言われてもさすがに彼氏の妹を呼び捨てにするのは気が引けた。


「なら陽菜さんで」

「わかった。話は戻るけど、なんかお兄ちゃん出さないの感じ悪かったし、まだ茜ちゃんが復縁できるように手伝うよ」

「ありがとうございます」

「ただもう一回言っておくけどあくまで、お兄ちゃんの幸せのために協力するだけで茜ちゃんのためじゃないっての忘れないでね」


 念押しするように力強くそう言われると、黙ってうなずくことしかできなかった。


「まあどうせ付き合ってないからあの女のことは無視するとして、どうやったら復縁できるか考えようか」

「本当にできるんですか?」


 失恋の隙につきこまれてってこともありえるし……。


「できるんじゃなくてするんだよ。それともお兄ちゃんがコロコロ乗り換えるような奴に見えるって言いたいわけ?」

「ごめんなさい、違います」


 もし達也がコロコロ乗り換えるような人なら私なんかとっくに捨てられてるはずだ。

 こんな重くてめんどくさい彼女自分ですら嫌になる。


「ならいいけど。まあ昨日今日の様子見る限りしばらくほかの女どころか茜ちゃんにすらなびかなそうだし、数か月は我慢しようか」

「我慢して、その間に取られたら」


自分で言っておきながら達也が「ごめん茜より新しい彼女方がいいから」と言いながら去って行くイメージが浮かぶ。


「大丈夫私がちゃんと監視しておくから。今まで以上に家事とかさせて家に拘束すれば自然と離れていくでしょ」

「そうだといいですけどね……」


 まあもう達也は付き合い悪いって避けられ始めてから平気かな。

 ちょっとあのLINEが気になりはするけど。


「じゃあさ三か月我慢出来たらここ住んでいいよ。ここに住めば構ってもらえないとかないし」

「それならいいかな……」


 あ、けど誰かと一緒に住むのだと気軽にできない……。

 どう伝えたらいいかと悩んでいると、なにかを察したのか若干侮蔑の視線を向けながら陽菜さんは言った。


「別に一切の生活音とか気にするにはないし、見えないところでやるぶんには好きなことしてていいよ。親も今一緒に住んでないしね」

「え、いいんですか?」

「ただ一方的に茜ちゃんにだけ条件いいとむかつくし私のわがままも聞いてくれるよね?」


 わがままってなんだろう。

 けどこれで断って機嫌損ねるのも嫌だしな……。


「わかりました、なにすればいいですか?」

「猫の真似してお兄ちゃんに会ってよ。好きならそのくらい屈辱的でも我慢できるでしょ」


 渋々という感じで了承りょうしょうすると、とんでもないことを言ってきた。


「え、それが原因で嫌われたら……」

「そしたらもともとたいして好かれてなかったってことでしょ? 茜ちゃんはお兄ちゃんが猫の真似して嫌いになる?」


 そう言われて想像すると、嫌いになるなって百パーありえない。

 むしろちょっといいなって思ってしまった。


「ならないです」

「でしょ? それに一緒に住むなら理由が必要だし、元カノ住まわせるより猫拾ったの方が受け入れやすそうだからね」

「そうですね」


 まあ元カノが突然押しかけてきて一緒に住みますなんか言ったらふつう拒むよね。

 それだったら猫の真似して勢いで一緒に住むことにした方がいいのかな。


「じゃあ鳴いて。『にゃー』って」

「え、鳴くんですか?」

「当たり前でしょ。猫なんだし」


 鳴かないとだめなのかな……。

 けど鳴くだけで達也とやり直せると思えば。

 耳まで真っ赤になりながら、なんとか声を出す。


「に、にゃー」

「よくできました」


 猫をあやすように顎の下を撫でてくる陽菜さんを見ながら尋ねる。


「本当にこれでいいんですか?」

「まあ半分私の八つ当たりみたいなとこもあるけど、平気でしょ?」

「え、八つ当たりって……?」


 これで一緒に住めるわけじゃないの?

 どういうこと?

 疑念の目を向けると、怒りの色が入った視線を返されてしまった。


「お兄ちゃんあんな目に会わせておいて許してるとでも思った? 未練が無かったら今すぐたたき出したいくらい嫌いだから。色仕掛けだろうが、獣みたいに本能のままに襲ってもいいからさっさとくっついて幸せになってね。そしたら八つ当たりはやめてあげる」

「ごめんなさい」


 復縁できるかもってことで忘れてけど、達也のこと傷つけたんだよね。

 本来なら二度と話せないかもしれないのに、なんとか間を取り持ってくれるなら少しぐらいの八つ当たり我慢しないと。

 なんとかそう自分を納得させると、また罪悪感がよみがえってきた。


「まあいいよ、三か月後お兄ちゃんを笑わせてくれるんでしょ?」

「そのつもりです」

「じゃあ頑張ってね」


 その後定期的に達也の様子を教えてもらったり、八つ当たりの一環として首輪をつけられたりしたが、特にほかの人に取られるなどなく三ヶ月は過ぎていった。


 ◇


『住むんだし、移れるくらいの荷物は持ってきてよ。あと首輪も忘れずにね』


 そんなLINEを受け取ったからある程度の着替えとかは持ってきたけどいいんだろうか。

 着いたら教えろと言われたのでLINEを送ったが一向に返事がない。

 ほんとに「にゃあ」って言わなきゃいけないんだよね……。

 今までにないくらいの緊張を感じながらじっとドアの前で待っていると、ゆっくりとドアが開いた。

 言わなきゃ。

 心臓は今にも張り裂けそうなくらい早く動いているし、顔も火が出るんじゃないかというくらい熱い。

 ただここで何も言えないと、追い返されてしまうかもしれない。

 覚悟決めどうにか絞り出すように声を出した。


「……に、にゃあ~」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る