第36話「茜の偽装妨害」

「ところでさ、またあかねちゃんのこと泣かせた?」


 陽菜ひなは急に冷静な声を出すとそう詰め寄ってきた。

 ちょっと仕返ししたっけな……。

 そんなことを思いながらちらりと茜を見る。

 その目の周りは真っ赤に腫れており誰が見ても泣いたのは明らかだった。


「昨日の夜、あの人のことでちょっとね……。だから泣かされたわけじゃないよ」

「ふーんならいいけど」


 茜はなにか察知したのか、機転の利いた言い訳をしてくれたおかげで、これ以上陽菜に突っ込まれることはなかった。


茜ちゃんでもあるんだしお兄ちゃんにいじめられたら言うんだよ」


 よしよしと、したり顔で茜を撫でている陽菜を見るとなにかが鼻についた。


「『』ってどういうことだよ、ほぼ何もしてないくせに」


 寝起きで頭が回っていないせいだろうか、つい思ったことをそのまま口に出してしまった。


「え、私だけ面倒もみずに茜ちゃんと遊んでるのに嫉妬してるの?」

「してないけど! 陽菜が拾ってきたんだし面倒見ろよ」

「ねえそんな怒らないでよ、茜ちゃんも怯えちゃってるよ」


 ちらりと茜のほうに目をやると、不安そうな顔をしてじっと見てきた。


「別に怒ってるわけじゃ……」

「なら私が飼い主やめれば満足?」

「そういう話をしてるわけじゃないだろ」

「そういう話でしょ。茜ちゃんをどうするかは全部お兄ちゃんが決めていい。私は今後茜ちゃんの友達として関わっていく、これなら問題ないでしょ」


 今陽菜がほぼ面倒を見ていない以上、陽菜が飼い主を辞めても負担は一切増えない。

 それどころか、友達として扱ってもらえば食事の心配もしなくてすむのではないだろうか。

 ただなにか釈然しゃくぜんとしない。

 まるで陽菜の手の上で踊らされているような底知れぬ不信感があった。


「なら食事の当番を今まで通りに戻して、茜には人間が食べるものを出してやってくれ」

「まあそのくらいならいいけど、あとなにか要望ある?」


 要望ね……。

 正直居候として紹介するとか、そういう時に協力してもらえないのは不便っちゃ不便なんだけどな。

 今日の感じだと全面的な協力を得られる気がしなかった。


「なあせめて誰かに紹介するときぐらいは協力してくれないか?」

「ああお母さん? 友達が追い出されるのもかわいそうだしまあ協力できる範囲でなら協力するよ。けど私の部屋で寝かせるとかはできないからね」


 それじゃなんも変わってないじゃん、とがっくり肩を落とした。

 ただまあ茜も偽装してくれるって言うしどうにかなるかな……。


「わかった、寝る場所とかはどうにかするよ」

「ごめんなさい私のせいで」

「大丈夫茜は悪くないよ」

「そうだよ、ここまで来てちゃんと紹介しないお兄ちゃんが悪いんだから気にしないで」


「お前なー」と言いかけたところで危険を察知したのか、陽菜は一目散に部屋を出て行った。


「どうすっかな……布団はまあどこかから引っ張りだしてくればあるかな」


 帰ってくるまでの段取りなどを簡単に確認していると、深刻そうな顔をした茜が肩を叩いてきた


「ねえ達也……」

「なに」

「猫飼ってるってバレるとやばいから偽装彼女にするんだよね」

「そうだね」


 まあ偽装彼女も猫よりましというだけで、ばれたらそれもアウトだろうけど。


「ならさ……、別にぎそ――」

「あ、お兄ちゃんお母さんあと三時間で帰ってくるって。よろしく」


 陽菜は竜巻のようにそう言い放つと、また竜巻の様に去っていった。


「ごめんなんて言おうとしたの?」

「何でもない、バレないといいね。私が追い出されたら達也の責任だから」

「俺の責任なのかよ」

「そうだよ、ペットがやったことは全部飼い主の責任」


 とろんとした目をしながらさわさわと俺のシャツの下に手を入れてくる。


「おい、茜?」


 そんな俺を黙らせるように長めのキスをすると茜は言った。


「偽装、間に合うといいね」

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