第25話「冬木の困惑」

「大丈夫ですか?」


 その日仕事に行くと、達也たつやクンは明らかに不自然だった。

 普段は何があっても明るく返してくれるのに……。

 目の周りを真っ赤にらし、五分に一度ため息をらす。

 昨日は喧嘩とかしちゃったのかな?


「あ、うん大丈夫ちょっと荷物取ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 直後、硬いもの同士がぶつかったような音がして、振り返ると達也クンはうずくまっていた。


「大丈夫?」

「平気平気」


 そう言って愛想笑いを浮かべながらふらふらとしてた足取りでバックヤードに消えて行く。

 傍から見ると全く平気ではない。

 本当に大丈夫なのかな。

 その後も指を切ったり、水道を出しっぱなしにしてぼーっとしたり、千円札の代わりに一万円札をおつりで渡そうとすることが度々あった。

 ミスの対処ってこんなに大変だったんだ……。

 それを文句も言わず淡々とこなしてくれる達也クンってすごいな……。


 なんとかミスをカバーしつつ一日を終えるも、相変わらず達也クンは上の空だった。

 達也クンってこのまま無事に家に帰れるのかな?

 お互いに「ばいばい」と言った後ジッと彼を見ていると、ふらふらと赤信号に向かって歩き出した。


「危ない!」


 クラクションのせいで一瞬ひるんだ彼を一気に歩道側へ引き戻す。

「ねえどうしたの?」と声を掛けていると、電池が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「ごめん」


 彼はただその言葉だけを繰り返す。

 目からは壊れた蛇口の様に涙が止めどなくあふれ出してた。


「ちょっと、落ち着けるところ行きましょうか」

「……わかった」


 彼は消え入りそうな声でそう答える。

 他人の気持ちを推し量ることはあまり得意ではないけど、この時ばかりは独りにしてはいけないということが分かった。


 行きつけのカフェに連れていくことにした。

 そこなら個室もあるし、人目を気にする必要もない。


 ◇


 席に案内されると倒れ込むように座った。


「ねえ、どうしたの?」

「どうしたのって?」


 彼はうつろを見つめながら機械的に応答する。


「彼女さんとなにかあった?」

「彼女? そんなのいないよ」


 自嘲気味じちょうぎみに笑いながらそう答えた。


 嘘だ……。

 彼女ができたと私に言ったときあんなにうれしそうだったのに。

 少し横にいるのが私ではなく寂しい思いもした、ただ同時に彼が幸せそうで私も自分のことのように喜んだのを覚えている。


「別れたってこと?」


 彼は何も言わず小さくうなずく。


 やっと達也クンが幸せになれると思う人が見つかった。

 それなのに、死にそうになるまで彼を追い詰めるなんて。

 私ならそんなことはしない。

 日陰ひかげに居る私に横に立つ資格はない。

 けど見ているだけじゃ彼は幸せになれない。

 守ってあげないと。

 こんなに達也クンを傷つけるなんて、許せない。

 その日、私の中から大切なものが消える音がした。


「辛かったよね、よく頑張ったよ」


 彼と横並びに座ると、そっと頭を撫でる。

 昨日お風呂に入る余裕もなかったのか髪は少しゴワゴワとしていた。


冬木ふゆき……」

「どうしたの?」

「もう死にたい……、あかねがいない世の中なら存在する価値がない」


 そう言うとテーマパークで迷子になってしまった子供の様にワンワンと鳴き始める。


「大丈夫だよ、落ち着くまで私がそばにいてあげる」

「ごめん……、ごめん……」

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