第26話「茜との邂逅」
「
弱っている彼を飲みに誘うのは、漬け込むようで申し訳なかった。
ただ、今独りにしたらそのまま死んでしまいそうだ。
そうならないためにもどうにかして気持ちを落ち着かせないといけない。
「行こうか……」
独り言のようにそういうと、テーブルの隅に置かれていた伝票をむしり取った。
「あ、私が払うよ。誘ったの私だし」
「大丈夫、俺のせいでカフェに来ることになったんだし俺が払うよ」
泣いたせいで少し落ち着いたのか、少しだけいつもの彼に戻った気がした。
ただまだ目は
「なら飲んだ時は私に払わせてね」
「わかった……」
「じゃあ行こうか!」
彼がこれ以上落ち込まないよう明るく振舞うように努めた。
ただうまくできているだろうか。
多分声は上ずっていただろうし、動きもガチガチだったはずだ。
けどどんな形であれ初めてのデートだ。
申し訳ないが、少しだけこの状況を喜んでいる自分がいた。
カフェの近くの居酒屋で調べたら丁度よく、個室で飲めるところがあるらしい。
値段も個室にも関わらず、普通の居酒屋と同じぐらいだ。
「すみません個室って空いてますか?」
「空いてますよ」
「じゃあ個室でお願いします」
よかった、これで気兼ねなく飲める。
人が増えてきたら移動しなきゃかなと思っていたからちょうどいい。
達也クンも泣き顔なんか見せたくないだろうし、誰にも見てほしくない。
「なに飲む?」
時間が早いせいだろう、個室とは言え、ほかの客の
なんて考えていると、達也クンは差し出したメニューをそのまま返してきた。
「
うーん、私が選んだのか。
そういえば普段は全く飲まないって言ってたな。
ならお酒お酒してるのよりジュースみたいなのがいいのかな。
口当たりのいい置いてあるといいけど。
ペラペラとメニューをめくっていくとカクテルのページがあった。
そういえばここのチェーンってそういうおしゃれなメニューも力入れてるって言ってたっけ。
カルーアミルクとかなら抵抗感なく飲めるかな。
酔うと介抱できなくなっちゃうし、私は――。
「すみませーん」
「はーい!」
呼び出しベルを押すと店員さんは一分と待たずに来てくれた。
ほかのお客さんがいない時間はやっぱいいな、スムーズだし。
「カルーアミルクとウーロン茶ください」
注文を復唱すると店員はいそいそと去っていった。
酔った方が少しは気が楽になると考え、まずは飲み物だけにした。
「勝手に注文しちゃったけど、大丈夫? 食欲ある?」
「ごめん、あんまり……」
「なら適当に頼んだらうちで飲む? お酒だけなら買った方が安いし」
彼は黙って
「ならどうしようかな、あんまりお金使わないのは悪いし」
そういえば今更だけど、メイクちゃんとできてたっけ……。
今日デートのつもりじゃなかったし適当だったかも。
「ごめん、すぐ戻るね」
パパっとメイク確認したら早く戻ろう。
心がこっちに向いてないとしても少しはかわいいとか思ってくれたらうれしいな。
難しいかもしれないけど……。
トイレの戸に手をかけると中からざわざわとした雰囲気が伝わってきた。
開けないほうがいいかな。
けど女子トイレってここしかないしな。
意を決して開けると吐きそうなほど泣いている女の子が背中をさすられていた。
私は空気ですよ~という雰囲気を携えながら彼女たちの横でメイク道具を取り出す。
女子大生のペアらしい。
会話の断片から近くの大学だと察することができた。
「ねえ
茜?
その言葉が強く耳に届いた。
「大丈夫振ったのは間違ってないって」
「でも……。ひどいことしちゃった……」
「突然振るなんてみんなやってるって、内心我慢してるんだから爆発してもしょうがないよ」
しょうがない?
アイライナーを握る手に力が入る。
「けどみんなの話聞くとあんまりひどくないのかなって思って……」
「別れた彼氏の惚気なんかやめよう、そんなことより飲んで忘れよう。落ち着いたら合コンとかしようよ」
「忘れられないよ……。大好きだもん……」
相手に突っかかりそうになるのをギリギリ残った理性で無理やり抑え込む。
一時の感情に流されて振るなよ。
ひどいのはお前だよ、この
私がどれだけその場所に居たいと思ったか!
手放すぐらいなら手に入れるな。
突然水の流れる音が聞こえた。
急に現実へ引き戻された。
この二人以外にもいたのか。
泣いていた方の彼女も驚いたのかきょろきょろと周りを見渡す。
ふと目のあった彼女はよく見知った顔だった。
何度達也クンから写真を見せられ、かわいいと思ったか。
その彼女の隣で笑う彼を見て何度嫉妬と安堵がぐちゃぐちゃに入り混じった感情を抱いたことか。
神は残酷だ。
ああそうか、こいつが元凶か。
被害者ぶりやがって。
「あの……」
なにか気が付いたのか、その女は真っ赤に腫らした目で話しかけてきた。
「なんですか?」
今の自分が出せる限りの平静かつ絶対零度に近い声で答える。
目には飛び切りの殺意を乗せて。
「……ごめんなさい、人違いでした」
「そうですか」
これ以上ここに留まってはいけない。
デートとして最低限のメイクだけ整えると、慌ててトイレを後にする。
どうしても彼女の横に居て感情を抑えられる自信がなかった。
席に戻るとテーブルに置かれた鉄の味のするウーロン茶を氷ごと一気に胃に流し込む。
色々な感情があふれ出してきそうだったがのどを通る冷たい感覚のおかげがほんの少しだけ落ち着けた気がした。
「ごめん達也クン、やっぱ今すぐ家で飲もう。気が変わった」
「わかった」
彼も少しだけカルーアミルクを舐めたあと、一気に胃に流し込んだ。
「お会計するから先出てて」
帰り際あの女とすれ違いませんようにと願いながら、扉を開けた。
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