第43話「達也とカレー」

「落ちついた?」

「落ち着いてきた、ありがとう」


 あかねになんどか背中をさすってもらいながらぼーっとしていると次第に恐怖感は薄れてきた。

 こっちが現実で本当によかった。


「夕飯どうする?」

「夕飯?」


 今何時だ?

 時計を確認するため視線を動かすが、窓の外はすでに真っ暗になっていた。

 これだと時間の見当がつかないな。


「結構長い時間寝てたのか」

「そうだね、このまま朝まで寝るかと思ってた」

「さすがにそれはないでしょ」


 だが時計を見ると時刻はもう深夜0時を回っていた。

 茜が着ている服もパジャマに変わっている。

 あんな夢見なければ朝まで眠れたかもな。


「もうこの時間だし、夕飯はいいかな」


 空腹を感じつつも、温め直して片付けまでするのめんどくさいしと思っているとタイミングよく腹が鳴った。

 体は正直だ。


「食べるってことでいいかな?」

「……いただきます」

「じゃあ用意しちゃう前に、これだけさせてね」


 そう言うと、茜は俺の左腕と自分の右腕を手錠風のブレスレットでつなぎ始めた。


「え、なにこれ?」

「飲酒防止のために考えたんだけど、どう?」


 いやどうって。

 なんか恥ずかしいし、動き辛いな。


「こんなことしなくても飲まないよ」


 そう言うと、茜はやれやれという感じで小さなため息をついた後、まるで罪状を読み上げる検察官のような冷たい声で言った。


「私に振られたときに他の女の子の家で飲んだ挙句、私を不安にさせたのは誰?」

「……俺です」

「その人に会いに行くときにわざと潰れるような無茶な飲み方して、私に心配かけたのは誰?」

「……俺です」


 こうも淡々と事実だけを告げられると、何も言い返せない。


「明日私のお姉ちゃんと会うのに飲まないってのが信じられると思いますか?」

「思いません……」


 もし逆の立場なら十中八九飲むと考えるだろう。


「もし飲んだら甘噛みなんかじゃすまないからね」

「え、噛むの?」

あとが残るくらいね。お姉ちゃんにばれたらどうなると思う?」


 今日の電話越しの印象から考えると、無事では済まないだろう。

 なにをされるのかと考えると、全身から血の気が引くのがわかった。


「私もいるし、大丈夫だから。そんな不安にならないで」

「わかったよ、ありがとう」

「じゃあ温め直すからちょっと待ってて」


 そう言って茜が立ち上げると、つられて俺の左腕も持ち上がった。

 ああそうか、付いてかないとじゃん。


「一緒に行くよ」

「わかった、ありがとう」


 真っ暗な廊下に出ると、まだ陽菜ひなの部屋からも明かりが漏れていた。

 普段は日付が変わる前に寝るのに珍しいな。


「手つながってると結構怖いね」

「暗いしね、足元平気?」

「大丈夫だよ、いざって時は達也が助けてくれると思ってるし」


 さすがにいきなり倒れられると俺でも無理だけどな、なんて考えているうちにキッチンへ着いた。


「今日の夕飯なんだったの?」

「カレーだよ」


 そう言われると確かにキッチンにはカレーの香りが満ちていた。

 茜が手を動かすたびに俺も動かさなきゃいけないのが少し大変だな。


「ねえ達也、手錠外してもいい?」

「邪魔だった?」

「もうちょっと動きやすいと思ってたんだけどね」


 二人で顔を見合わせながら笑うと、茜は自由になった手で温め始めた。


「おいしそうだね、茜が作ったの?」

「あー陽菜さんが作ってたよ」

「そっか」


 なにか隠し事をしている感じではあったが、強くなったカレーの香りを嗅ぐとそんなことどうでもよくなった。


「はい、どうぞ」

「いただきます」


 自分でも驚いたが思った以上に腹が減ってたらしい。

 勢いよく口に運んだカレーが熱を持ったまま食道を通るのがわかる。

 普通のルーでは味わえないバターのコクやスパイスの感じがあり、空腹のせいもあるだろうが、自分で作るよりも俺好みの味になっていた。


「これ美味いね」

「すごいね、陽菜さん料理もうまいんだね」


 そう言ってぎこちない笑顔を見せる茜を見るとなんだかむかついてきた。

 陽菜のカレーと具材も味も全然違うくせに見え見えの嘘つくなよ。

 自分で作ったって言えば面と向かって褒められるのに。

 対面に座る茜のすねを軽く蹴飛けとばす。


「痛っ! ねえ蹴らないでよ」

「美味いよ、俺の好きな味」

「……ありがとう」


 なんとなく察してくれたのか、茜は諦めたようにそう呟いた。


「おかわりある?」

「取ってくるよ、達也は座ってて」

「いいよ、自分で行ってくる」


 大あくびしながら立ち上がった茜を座らせカレーをよそっていると、背後から小さな寝息が聞こえてきた。


「茜?」


 確認のため小さく名前を呼ぶが反応がない。

 まあこの時間まで起きてたのもあるし、美味いって言われて緊張の糸でも切れたかな。

 陽菜のって嘘つくぐらいには自信がなかったみたいだし。

 音を立てないよう静かに皿を置くと、茜を抱き上げる。


「ほらベッド行くぞ」


 なにかもごもごと言っている茜をよそに無理やりベッドまで運ぶ。

 途中この時間の恒例の挨拶のように大あくびをしている陽菜とすれ違った。


「え、なに? ついに相手にしてもらえないから眠らせてベッドにつれて行くの?」

「ちげーよ、テーブルを枕にしてたからちゃんと寝かせるんだよ」

「へー結構優しいじゃん」


 これで優しいっていったい今の俺のイメージはどんななのだろうか……。


「あ、ところでカレー食べた? 茜ちゃんが作ったんだけど美味しかったよ」

「食べたよ、俺好みだった」

「ならちゃんと言ってあげなよ、頑張ってたんだから」


 茜が自分から言ってくれればもっとちゃんと言えるんだけどな。


「朝起きたら言っとく」

「そう、ならいいけど。じゃあおやすみ」

「ああおやすみ」


 今まで使っていたのとは明らかに違う、ホテルにあるくらい大きくてふかふかなベッドに茜を置く。

 スースーと寝息を立てていたが、先ほどとは明らかに息の感じが違った。


「起きてるでしょ?」

「……寝てますよ」


 そうたずねると茜は少し裏声のような声でそう言ってきた。


「カレー美味かったよ」

「そう言ってもらえるとうれしいです」


 耳まで真っ赤にした茜は枕に顔を埋めながらそうつぶやいた。


「おやすみ茜、また明日」

「おやすみなさい」

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