第41話「茜のお願い」

「ねえ本当に平気?」

「大丈夫だよ、会う時までにはいつも通りに戻す」


 恋人を偽装するストレスのせいもあるのだろうが、あの姉の発言はこうかばつぐんだった。

 急いで記憶の蓋を閉じたが、あの茜に似た苦しそうな声が振られたときのことを思い出させたのかもしれない。

 なんか一気に精神のヒットポイントほぼゼロまで削られた気がするな。

 枕に突っ伏しながらそんなことを考えていると、体を重ねたような重さが背中から伝わってきた。


「ずっと隠してきてごめんね……、私のお姉ちゃんいつもあんな感じなんだ」

「いつもって、本当なの?」

「まああそこまでひどいことは言わないかな……、告られそうになると私の知らないところで牽制けんせいしてたみたいだし」


「あはは」と声では笑っているが、泣きそうな顔をしていることぐらい直接見なくてもわかった。

 それにあかね自身もすごく心配しているんだろう。

 ぎゅっと手を握ってきたが、その手が心配そうにふるえているのがわかった。


「嫌じゃないの?」

「うーんそれ聞いた時はいい気分じゃなかったけど、そのおかげで初めての彼氏が達也たつやになったし嫌ではないかな。別れたのもお姉ちゃんのせいじゃないしね」

「そう考えると不幸中の幸いなのかな?」


 初めての彼氏になれたのは悪い気はしないが、それでもあのいきなり決めつけてくるような言い方は心に刺さるな。


「そうだけど、お姉ちゃんのせいで離れなきゃいけなくなったら不幸しか残らないよ」

「なら真剣に付き合ってるってだませるように、今日みたいなへまはしない様にしないとね」

「あれはタイミングが悪かったじゃん」


 タイミングね……。

 まあその通りではあるけど、ちゃんと準備が出来てればタイミングが悪いなんてことはないだろうからな。

 ただ母さんはあの感じで偽装してれば問題なさそうだし、茜の姉に会う予行練習だと思えば悪くなかったかな。


「あのさ達也、やっぱ明日会うのやめる?」

「会うよ、ここで会わないことにしたらどんどん事態が悪化する気がするし」


 今まで彼氏ができないように動いていたなら、下手に会うのを引きばすとなにをされるのかわからない。

 もしかしたら茜を連れ去られて二度と会えなくなると言うこともあるかもしれない。

 もちろん引き延ばせば色々準備が出来るが、それは相手も同じなのでそれならこんな状態でもさっさと蹴りをつけてしまったほうが気が楽だ。


「けど、最近ずっとストレス続きだったし無理しないほうが」

「大丈夫、これが終わったら温泉でゆっくりするから少しぐらいの無茶ならなんとかなる」

「ならいいけど」


 よかった温泉券もらっておいて。

 ご褒美ほうびがあると思えば頑張れる。

 それにこれ以上茜に不安を覚えてほしくはなかった。

 ただ、明日会うのはいいけどなるべく不利になりそうなことは隠しておかないとな。


「あのさ明日はちゃんと準備したいんだけど、今から首輪とか指輪外しておいていい?」

「ダメ、絶対ダメ」

「首輪ばれたらなんて言い訳すればいいの?」


 指輪は仲がいいからふざけてと言えなくもない、ただ首輪は本当に言い訳が思いつかない。

 母さんが触れないでくれたからよかったが、あそこで追及されたら明らかにしどろもどろになり、態度で「いけないことをしています」と自白してただろう。


「飼い主ですって言ってくれていいよ、私だけの達也になったんだし」

「言ってもいいけど、あの感じだと攻撃されるのは全部俺だし、茜は可哀そうな妹って目でしか見られないじゃん」

「なら首輪は外してもいいよ、けど指輪はダメ。どっちも外したら飼われてるって実感できなくなっちゃう」


 母さんと違って指輪だけでも逆鱗げきりんに触れそうだけどな。

 ただ逆に着けてないと覚悟もないのに付き合ってとか言われるか?

 着けるべきか外すべきかわかんなくなってきた。


「それにさ、指輪は結婚するつもりがあるから付き合ってますって言えるよ。そっちのが遊びじゃないって言えるぶん怒られないんじゃない?」


 まるで悪魔がささやくように耳元でそう言われると、自分の中からどんどんとつけないという選択肢が消えて行くのがわかった。


「ならわかったなら指輪だけはつけておくよ……」

「ありがとう、大丈夫だよ恋人の振りするんだし指輪なら不自然じゃないよ」

「恋人の振りね……」

「それに達也がなにか言われても私が着けたいって言ったって言う。だから心配しないで」


 今後もしお姉さんと会うことになって、実はあの時見せた指輪は恋人の振りをするためのカモフラージュでしたって言ったらどうなるんだろう。

 それを言った時点で死ぬほど怒られそうだし、これは死ぬまで内緒にしないとダメかな。


「ねえ達也、恋人の振りが嫌ならさ……」

「どうした?」


 茜はそう言いかけると、突然石のように押し黙ってしまった。 

 確か母さんが来た時もそんなことを言いかけてたよな。


「あかね?」

「ごめん……、なんでもない。忘れて」

「わかった」

「もう少しだけこのままでもいいかな?」

「いいよ」


 その言葉を聞いて安心したのか、消え入りそうな声で「ありがとう」と言うと、小さな寝息を立て始めた。

 茜も緊張してたのかな。

 いや、動きすぎたせいかな。

 なんてことを考えながら壁のシミを眺めていると、だんだんと意識が遠のいてきた。

 子守歌のような寝息を聞きながらゆっくりと意識が溶けていくのを感じた。

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