第53話「茜の不満」
「ねえ
「早いよ」
「そうだよね、ごめんおやすみ」
「おやすみ」
達也を抱きかかえるようにして横になる中、明日は朝どこにも行かないでという勇気は私にはなかった。
妹さんのテスト前だから家事は全部やってるって言ってたけど、もう一週間以上経ってるんだよ。
まだテスト前なの?
テスト終わったらその分かまってくれるの?
なんて口が裂けても言えるわけがない。
そんなこと聞いたら一発でめんどくさい彼女と認識されるだろう。
達也にばれないよう何滴かの涙が筋となって頬を伝うと、意識が徐々に混濁してきた。
窓の外が薄っすらと明るくなる中、もぞもぞと動く達也のせいで目が覚める。
「ごめん
「大丈夫だよ、達也が起きる前から目覚めてたから」
見え見えの嘘を吐きながら私も彼に続き起きると、送り出す準備をする。
嘘ついてもいいことないってのはわかってる。
それに前、こっそりと彼の後をつけた時本当に家に帰っていったので、達也が嘘をついてないこともわかってる。
けど真実な分それが余計につらかった。
彼女より妹のが優先と目の前に突き付けられた気分になる。
「そっか。なら二度寝して遅刻しないようにね」
達也も嘘だとわかっているのだろう、少し困ったような顔をして笑った。
「大丈夫だよ、達也こそ気を付けてね」
大丈夫なわけない。
途中事故に遭わないか。
寝不足で家事をしてけがをしないか。
毎日朝帰りで妹さんと喧嘩しないか。
色々なことが騒音となって私の睡眠を妨害する。
「わかってるよ、じゃあ行ってくるよ」
そう言ってノブに手を掛けた彼に後ろから抱き着く。
「待って、行く前にキスしてほしい」
「……、わかった」
コンマ数秒だけ唇を合わせると、達也はすぐドアノブを握ってしまう。
「ねえ抱きしめて」
「ちょっとだけね」
そう言ってまた数秒だけ抱きしめるとすぐ離れようとする。
それを拒否するかのように私は彼に巻き付いている腕をさらに強く締める。
「ねえもっと……」
無理やり抱き寄せると彼は少し困ったような声を出した。
「ねえ茜、時間無くなっちゃう……」
「ごめん」
これ以上彼に困った顔をしてほしくない。
どうせ私の顔を見るなら、笑顔の彼を見せてほしい。
ずっと抱きついていたい衝動を何とか抑えながら、できる限りの笑顔で彼を見送った。
◇
「ごめん、今日から数日間茜の家に泊まれないわ」
その後大学で会ったとき、突然達也から伝えられた。
「え、どうして?」
そう言われたとき数日一緒に寝られないだけなのに絶望を突き突き付けられ、地獄の底に落されたような気分になった。
「いやなんか、妹が夜の家事もちょっとだけ変わってほしいって」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
ああ嘘か……。
彼の目を見て尋ねても、すぐに目を逸らしてちゃんと答えてくれない。
ああ私って邪魔なのかな。
そう考えると黒く濁った感情が私の心を満たしてくる。
「私って居ないほうがいい?」、「付き合ってるの重荷になった?」そう聞けたらどんなに楽だろう。
ただなにを聞いても、愛想笑いで「そんなことないよ」と言う達也が簡単に想像できたので、どうしても聞けなかった。
「ごめん、なんでもない。ならまた泊まれるようになったら教えて」
なんとか残りの講義を笑顔で過ごしたが、大学からの帰り道体中の水分がすべて出るんじゃないかという勢いで涙があふれてきた。
なにを隠してるんだろう……。
ただもう確かめる元気なんかないよ……。
ここ数か月ずっと一緒に居たせいだろうか、些細なことで彼が脳裏をよぎる。
晩御飯は妹さんと食べたのかな。
夜の家事って言ったけど、ちゃんと勉強できてるのかな。
明日小テストあるの覚えてる?
絶望の底に居ながら何回も「なにしてるの?」と打っては消した。
迷惑にしかならないと知ってるから。
なんで私だけ独りなんだろう。
達也はきっと今家族と一緒にいて笑ってるよね。
そんなことを考えてると、突然お姉ちゃんからの言葉を思い出した。
『男なんか信じちゃダメ』
他にもなにか言っていた気がするけど、これしか思い出せない。
ほんとに信じちゃダメなのか試してもいいかな?
無意識の内にLINEを開くと、通話ボタンを押した。
数コールした後、忙しそうな様子の彼が出る。
『どうした、茜。何かあった?』
「ねえ私のこと好き?」
『好きだよ』
どうしてだろう、達也と話せてうれしいはずなのになぜだか涙が止まらない。
本能的にこれがうれし涙ではないのがなぜかわかる。
「ねえ好きなら今すぐ私の家来てよ」
もう深夜十一時過ぎた。
こんな時間にいきなり来てなんか言われて迷惑なのはわかる。
けど頭ではわかってるんだけど、言わないと心が壊れてしまいそうで。
「え、今から?」
「ねえ来てよ……。好きなんでしょ!」
涙声のせいでもう日本語か叫んでるのかわからないようなことを言うと返事も聞かず勢いよく通話を切った。
普段なら三十分もあれば来てくれるはず。
部屋の隅にうずく待って時間が経つのを待った。
一分――LINEもなにも来ない。
十分――秒針の音だけがどんどん大きくなってくる。
十五分――隣の人も寝るのだろう。さっきまで聞こえていたテレビの音が消えた。
三十分――まるでセメントで固められたかのようにドアノブはピクリとも動かない。
四十五分――鍵を差し込む音と共にゆっくりと扉が開く。
達也が来てくれてうれしいはずなのに。
無茶な要求聞いてくれるくらい好きってわかったはずなのに。
一度抱いた疑念が、どんどんとうれしい感情を食べていく。
「ねえ普段より十五分遅いなにしてたの?」
「十五分って……、残ってた家事やっちゃったり、着替えとかだよ」
「早く来てって言ったじゃん。私のこと好きじゃないんでしょ」
「そんなことないって」
「嘘つき! 妹さんのほうを優先するくせに! 私が邪魔ならそう言ってよ!」
「邪魔じゃないよ!」
達也が困ってるのもわかってる。
自分が理不尽なことを言ってるのもわかってる。
けどなぜか蛇口の壊れた水道のように、止まることなく私の口から言葉が溢れてくる。
なぜか無意識に動き続ける自分の口を他人事のように眺めていると、思ってもないことを言いだした。
「ねえもう別れよう」
「本気なの?」
「これ以上付き合ってると嫌われそうで辛いの。今後も彼女して扱ってもらえる自信がないんだ……」
「俺は別れ……。いやわかった、今までありがとう。ごめん」
そう言い残すと、彼は表情を見せないようにして一目散に帰ってしまった。
「まって……」
そう言ってももう遅い。
どこを探しても彼が乗ってきたであろう自転車が見当たらない。
「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」
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