第21話「呑まれた達也」

「痛ってぇ……」


 翌朝目覚めと共に強烈な頭痛が襲ってきた。

 誰かが頭の中で釣鐘つりがねを突いている気分だ。

 直後、胃の中からこみ上げてくるものを感じ、トイレに走った。

 胃が、食道が、口が、煮えたぎった銅を飲み込んだかの様に熱い。


「はぁっ……、はぁっ……」


 手のひらで氷の様に冷たい便器を感じていると、そっと誰かに背中をさすられた。

 それだけで少しだけ体内の熱さが和らいだ気がする。


「大丈夫?」


 冬木ふゆき?いや、あかねか?

 おぼろげに入れ替わる誰かわからない女に「大丈夫」とだけ言う。

 そいつを押しのけるようにして、時折ときおりつまずきながらキッチンに向かった。

 床や壁がゆがみ、上下左右がランダムに入れ替わる。

 まるで不思議の国に来たみたいだなと思いながら、昨日の酒が抜けていないのを確信した。


「あれ、なんで天井が見えんだ?」


 うわ言のようにそうつぶやくとバタバタを階段を降りてくる音が聞こえる。


「ねえ、平気?」


 今にも泣きそうな顔をした茜が視界に飛び込んできた。


「水飲まないと……」


 彼女の手を借り起き上がろうとするが、少し動かすたびに体中に激痛が走る。


「お水ね待ってて」


 廊下の端に座らされると、パタパタと耳障りのいい足音が聞こえた。

 あれからどれくらいたっただろう。

 刹那せつなにも永劫えいごうにも感じられる時間を過ごしていると、キラキラとした塊を渡された。


「飲める?」

「いらない」


 呼吸をするたび異様な臭いが鼻を抜ける。

 そのせいかなにか口にしたいと思えなかった。


すすぐだけでもいいから」


 少しだけ口を湿らすと、差し出されたビニールにすべて吐き出す。

 水と一緒に自我も吐き出してしまったようで、ゆっくりと世界が暗転あんてんした。


 ◇


「うっ……」


 後頭部を思い切り殴られたような強烈きょうれつな痛みで目を覚ました。

 あれ、さっきも起きなかったっけ?

 一瞬そんな疑問が頭をよぎったが、鈍痛どんつうがすぐにその疑問を脳の奥底へ押しやる。


「おはよう」


 脳内の地獄のような痛みと対照的なとてもやわらかい声が聞こえてくる。

 目を開けると、茜の顔が一番に飛び込んできた。


「ここは」

「私の膝の上」


 後頭部の感触を確かめると、確かに愛用している枕ではなかった。

 ああきれいだなと思いながら彼女の顔を眺めていると、そっと頭をでられた。


「落ち着いた?」


 心配そうな顔をしてそうたずねてくる。

 落ち着く?

 何が?

 一向に明瞭めいりょうにならない頭で、今までのことたどりだす。


 確か昨日陽菜ひなの部屋で話して、茜が作ってくれた夕飯を食べたはず。

 その後酒が飲みたくなって、コンビニをずっとふらふらしていた気がした。

 それが事実なら多分酒のレシートがあるはず。


財布さいふある?」

「ちょっと待ってて」


 なぜか茜が自分の服を探すと、俺の財布が出てきた。

 マジックでも見せられている気分だ。

 いつ預けたっけ?


「はい」


 ベッドにぶちまけると、たちまちレシートの山が出来上がった。

 一枚ずつ見ていくが、どのレシートもたいていストロング系チューハイの名前が書いてある。

 たまに思い返したように安物の発泡酒はっぽうしゅのレシートも出てきた。


「ねえ酒のレシートって何枚ある?」

「待ってて」


 ぼーっと空を舞うレシートを眺めているとふと頭に冬木の声が響いてくる。


『いっぱい飲んでいっぱい吐こう、全部吐けばすっきりできるし』

『ビールはチェイサー。こういう時は健康とか気にしちゃだめだよ』

『吐いてる姿見られたら嫌われる? 私はどんな達也クンでも嫌わない』

『大丈夫? あの女のこと忘れられそう? 辛い記憶は全部私で埋めちゃおう』


 ああそうか、酒に手出したのは振られたとき以来か。

 まさか前回飲んだ時と状況が逆転するとはな。


「ビールが三枚、チューハイが十一枚、あとエナジードリンクが二枚」

「結構飲んだな」


 具体的な数字を聞いたははずなのにどうも現実感がない。

 

「私が見つけた時は半分以上こぼしてたけどね」

「だからかな、全く覚えてないや」

「ねえなにかかくしてることない?」


 突然不安そうな声でそう尋ねてきた。


「隠してる? なにを?」


 隠してない、言わなくていいことを言ってないだけ。

 そんなこと考えながらフフフと笑う。

 するとなにかを地面にたたきつける音が聞こえた。

 驚いて彼女の方を見ると、乾いた笑い声とは対象的に、ボロボロと大粒の涙をこぼしている。


「ねえなんでそうやって隠すの? 全部知ってるんだから」

「知ってるってなにが?」


「茜ちゃんを不安にさせないで」という陽菜のセリフが頭をよぎる。

 ここで俺がなにか言うわけにはいかない。

 ただ、この口ぶりだともう陽菜が話したのか?


「そんなにあの人の方が良いならそっち飼いなよ。邪魔なんでしょ私なんか」


 そう言い放つと頭に響くくらいの大きな音を立てながら出て行ってしまった。

 慌てて追いかけるが、彼女が消えた部屋から入れ替わるように陽菜が出てくる。


「茜と話したいんだけど」

「だめ、一人にさせてあげて」


「話があるから」と言うのであとをついて行く。


「ねえ昨日のこと覚えてる?」


 部屋に着くや否や開口一番そう尋ねてきた。


断片的だんぺんてきに思い出したのは、酒に逃げたってことだけ」

「逃げたって自覚があるならいいや。昨日夕飯の時点でずっと上の空だったし、プレッシャーかけすぎたなとは思ってるから。そこはごめん」


 その言葉を聞くと少しだけ頭の靄が晴れた気がした。

 そうだ、夕飯中ずっと冬木と縁を切るって考えてたんだ。


「今日冬木と会って何話すの?」

「二度と関わらないって言うつもりだよ」


 昨日約束した以外のことを言うつもりはなかった。


「そう、ならいいけど」


 嘘つきでも見るような目をしながら続けて言った。


「酔いながら『冬木』って呼んだってほんと?」

「ごめん覚えてない」


 混沌こんとんとした記憶の中に冬木と茜が入り混じっているので、もしかしたら呼んだのかもしれない。

 結局今朝のあれは夢だったのだろか、現実なのだろうか。


「まあそうだよね。私はどの名前を呼ぼうがどうでもいいいんだけど、すごい不安がってたからさ」


 あんなやりとりをした後だし当たり前か。


「今日が終わったら謝らないとな」

「それよりも行動で示す方が説得力あるよ」


 そう言って首を切り落すジェスチャーをする。

 殺せってことかよ……。


「わかったよ、安心してもらえるようにする」


 茜と暮らせなくなるし、殺しはしないけど。


「楽しみにしてる」

「それまで茜のことよろしく」と言いかけたところ、突然けたたましいアラーム音が響いた。


 俺のか?

 慌ててスマホを確認するがアラームは作動していない。

 ただ時刻は遅刻ギリギリの時間を指していた。


「ごめん行かないと」


 慌てて服を探すと、部屋の一角にきれいに畳まれていた。

 あれ俺こんなことしたっけな?


「知ってる。結構うるさかったね、二日酔いでも起きられるようにかけておいたんだけど」


 見たことのない小さなタイマーを手に取ると、音が止んだ。


「じゃあ気を付けてね、お兄ちゃん」

「わかってる」


 冬木と会ったことでどのくらい不安になったかは分からない。

 ただ、今日中に蹴りをつけないと、二度と関われなくなることだけは容易にわかった。


「じゃあ行ってくるよ」

「あ、待って」


 なにか思い出したかのように引き留めた。


「今朝お兄ちゃんのこと介抱かいほうしてたの茜ちゃんだから、全部終わったらちゃんとお礼言ってね」


 それだけ言うと、返事も聞かず静かにドアは閉められた。

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