第48話「茜と真紀」

「ねえあかね私と帰ろう」

「帰らないって言ってるじゃん!」

「今帰らないと後悔するのは茜だよ。あの時離れておけばよかったって」

「そんなことない!」


 お姉ちゃんはしつこくそう誘ってきたが、一度離れて死にたくなるほど後悔した以上後悔することは絶対ない。

 それにもし後悔するとしても、今離れて未練を持ち続けるより、ずっとそばに居続けて後悔したい。


「私に何があったか知ってるでしょ」

「知ってるけど、私には私の人生があるの! お姉ちゃんは邪魔しないで!」

「邪魔してない、茜が明らかに間違ってる道に進もうとするのは姉の役目でしょ」

「なにそれ、達也たつやと付き合うのが間違ってるなんて信じられない」


 お姉ちゃんと白熱してきている間、陽菜ひなさんは暇そうにぬるくなったコーヒーをかき回していた。

 時折コーヒーより冷めた目線を私たちに向けてくる。


「陽菜さんはなにも言ってくれないんですか?」

「お兄ちゃんとやり直したいって話したとき、茜ちゃんのためじゃなくて私のために動くって言わなかったっけ?」

「言いましたけど……、今私を助けるのは陽菜さんのためにならないんですか?」

「まだわざわざ助けるほどじゃないかな。話し合いにすらなってないしね」


「ま、どっちの味方する気もないから私はいないものとして話し合ってよ」とだけ言うとキッチンへ消えてしまった。


「残念だったね茜。頼みのつなが消えちゃって」

「別に頼みの綱なんかじゃ……」

「そうやって茜が期待した人はみんないなくなっちゃうんだよ。内心薄々わかってるんでしょ」


 けど陽菜さんは一番つらかった時私を助けてくれて、達也に会わせてくれた。

 そんな達也も私のわがままで振ったのにまた受け入れてくれた。


「わからないよ。本当にいてほしい人は傍にいてくれるから」

「本当にいてほしい人ね……。元カノに首輪つけて自分のいいように扱ってるならそれはそばにいてくれてるんじゃなくて利用してるだけだよ」


 え、首輪。

 なんでお姉ちゃんが首輪って言うの?

 バレてる?

 そう言われた直後から心臓が早鐘はやがねを打つように拍動を始めた。

 不快なほど大きな心音が脳内で木霊こだまする。


「黙るってことは当たりだったかな?」

「っ、首輪なんか付けてないから!」

「へ~『猫として飼われてる私が達也とそういう関係を望んでいいとは思ってない。これはただの虫よけと、首輪の代わり』だっけ?」


 その言葉を聞いた時心臓を直接握りしめられたような、ぞわっとした恐怖感が襲ってきた。

 ねえ達也助けてよ。

 独りじゃ怖いよ。

 ショックで動かない身体から何とか声を絞り出すと、お姉ちゃんに尋ねた。


「なんで、知ってるの?」

「さっきも聞かせたじゃん、あれでわかるでしょ?」


 わかるって、罪悪感とかないの?

 監視さえできれば私のプライバシーとかはどうでもいいわけ?

 今日のお姉ちゃんはどうしてこんな私をイライラさせるのがうまいのだろう。

 仕草、声色、発言、そのすべてが丁寧に神経を逆なでしてくる気がする。


「やっぱり監視してたってことだよね、ほんと最低!」

「見守ってただけだって、彼氏できても手を出さなかったこと褒めてほしいよ」

「褒めるわけないでしょ。何考えてんの?」


 段々と目の前が赤く染まり、お姉ちゃんの顔が歪んでいく。

 呼吸もどんどんと浅くなり、口の中が鉄の味で満たされたとき、そっと肩を叩かれた。


「おかわりれたけど、茜ちゃん飲む?」


 なぜだろうか。

 陽菜さんの顔を見ただけなのに、少しだけ自分を取り戻せた気がした。


「いただきます」


 さっき淹れたのは無意識のうちに飲んでしまったらしい。

 いつの間にかコーヒーカップの底には薄茶色の三日月状のシミが出来ている。


「声荒らげてたけど、平気?」

「大丈夫、です」

「へー自分のために動くって言ってた割りに、茜がちょっと怒っただけで茶々入れてくるんだ」

「私のために動いてるんだから間違ってないですよね?」


 陽菜さんは風に舞う木の葉でもよけるようにひらりとお姉ちゃんの攻撃をかわすと、順々にコーヒーを注いでいった。

 お姉ちゃんが陽菜さんの怒りのツボを押さえてないってないってのもあるんだろうけど、すごいな。

 なんか私だけ感情のコントロール出来てなくて二人の手のひらの上で転がされてるみたい。


真紀まきさんはいつから茜ちゃんのこと見守ってたんですが?」

「振られる少し前かな、今までとテンションが違ってたから気になってね」

「ならきっかけとか聞けば少しはお兄ちゃんへの印象変わるんじゃないですか? 一度はちゃんと付き合ってたわけだし」


 陽菜さんは「ね」とウィンクをしてきた。


「そうだね、なんで付き合うようになったかとか聞いたうえで、ほんとに達也がひどい人か判断してほしい」


 まだ湯気の立っているコーヒーを怒りと共に飲み干すと、ゆっくりと話し始めた。

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