第61話「茜との旅行」
「じゃあ行ってくるから」
「いってらっしゃい」
まだ肌寒く、空も深海色に染まっている中、車のキーを回す。
車が出発に向けて身震いを起こしているが、そんなこと気にも留めずに
「楽しんできてね」
「陽菜さんも一人暮らし満喫してください!」
そう言った後乗り込んできた茜が「いいよ」というのでゆっくりと車を動かすと、陽菜は見えなくなるまでじっとこちらを見ていた。
「やっと二人きりになれたね
車内にエンジン音と二人から発せられる音だけが響く中、茜はほっとしたようにそう言った。
「そうだね、家には茜いたしね」
「何日か一人だけど、大丈夫かな?」
「平気じゃない? 朝帰りだったときは半分一人暮らしみたいなもんだったし」
「あー確かにそうだね」
大きなあくびをしながら茜はとろんとした声でそう応えた。
「着いたら起こすから寝てていいよ」
「え、大丈夫起きてるよ」
間延びした声でそう言われても、説得力はない。
昨日の夜頻繁に起きてたみたいだしな。
まあ寝させなくても勝手に寝るだろ。
「ん、わかった」
俺はそう答えながらシートヒーターをオンにすると、茜の口数はどんどんと減っていき、目を閉じている時間の方がだんだんと長くなってきた。
「茜?」
小さな寝息が響く中呼びかけても返事がない。
「寝たかな」
一昨日のが寝たふりだったしわかんないけど、寝瞑るだけでも疲れは取れるって言うし悪くないだろう。
着いた時点で疲れてますじゃかわいそうだしな。
ビルの谷間から日の光が漏れてくる中、アクセルを少しだけ深く踏み込んだ。
◇
「もう着くぞ」
「んっ……もう?」
「おはよう」
重い瞼をこすりながらあたりを見回す茜にそっとペットボトルを差し出す。
「あ、ありがとう」
「目覚めた?」
「うん。ねえ着くの早くない?」
「まあぐっすり寝てれば早いでしょ」
寝ぼけ眼で景色を眺める茜を横目で見ながら、ナビに従っていると、目的地が見えてきた。
「なんか、貰い物にしては高そうだな……」
「え、ここに泊まるの?」
「多分ね……」
敷地の中に乗り入れると歴史のありそうな木造建築の前に、CMの中でしか見たことがないような高級車が何台も止まっている。
「あのさ達也、券の名前見てもらっていい?」
茜はカーナビと実際の看板を交互に見ながらそう言うと、恐る恐るという感じで声をだした。
「……あってるんだけど」
「ならあってるね……」
何度か茜の顔と券を行ったり来たりしていると、仲居と思われる人がこちらに歩いてきた。
「ようこそお越しくださいました。お名前をよろしいですか?」
「
「桧山様ですね。こちらにどうぞ」
仲居さんに鍵を手渡すと、毛足の長い真っ赤な絨毯の引かれた受付に案内された。
調度品からペンにいたるまで全部今まで見たことがないくらい高級そうだ。
こんな高そうなところ来たことないから場違いなところに来てしまった気分になる。
茜の手を握れてなかったら不安に押しつぶされてしまいそうだな。
今は彼女から伝わってくる体温だけが唯一の精神安定剤だった。
「本日お部屋をアップグレードするということですがお間違いないでしょうか」
仲居さんは何度か券と予約内容がまとまっているであろうPCを見比べるとそう話しかけてきた。
え、アップグレード?
慌てて茜の顔を見るが、なんのことかわからないという顔で首を振ってきた。
「あの、多分なにかの間違えではないかと思うのですが……」
「いえ、確かに昨日桧山
そこまで聞くと何か思い出したようにバッグの中を漁り始めた。
「どうした?」
「出る前に陽菜さんから何かあったら開けてって封筒貰ったんだけど」
そう言って茜が取り出した封筒の中を確認すると、差分より少し多めの額が入っていた。
そういうことか……。
「すみませんこちらに行き違いがあったようで、露天付きの部屋でお願いしてもよろしいですか?」
「かしこまりました。ご案内させていただきます」
◇
「部屋付き露天風呂ってすごいね……」
一通り部屋の説明が終わり仲居さんが去ると、茜はため息を漏らすようにそう言った。
「俺も初めて来たよ、噂には聞いてたけど海が見えるとは思わなかった」
「すごいよね……」
「ねーほんと……」
お互い物語の中でしか見たことない景色に圧倒されていると、袖を引っ張りながら茜が言った。
「あのさ、まだ陽も高いし、せっかくならちょっと散歩行かない?」
「いいね、行こうか」
旅館から出て五分もしないところに小江戸のような街並みが広がっていた。
「こんなところあるんだな」
「軽く見れるところなにかありませんかって聞いてみてよかったね」
「ね、いろんな店あるし、結構楽しめそう」
雑踏を踊るように抜けていくと、本当に様々な業種の店が目に入ってきた。
「ねえ達也、竹炭入りソフトクリームだって食べてみようよ」
「竹炭か、そんなのあるんだな。買ってみようか」
「竹炭入りソフトクリーム二つ」と言って出てきたのは、いかにも炭が入っていますというくらい純黒のソフトクリームだった。
なにも入ってないやつの白さがウェディングドレスだとすると、学ランぐらい黒い。
それにご丁寧にコーンまで真っ黒に染め上げられている。
「あ、味は意外と普通だ」
「ほんとだね」
茜に促され少しだけ口に含むが目を
「へー食用竹炭って無味無臭なんだ」
「ほら」と言いながら茜が見せてきた画面を見ると確かにそう書かれていた。
「ほんとだ、あー純粋な炭素だからか」
「やっぱ同じ黒でもイカ墨とかとは違うんだね」
「だね。ほかにもなんかこういうのないか見てみようよ」
茜に引き連れられながら人込みの中を抜けていくと一軒の革細工店が目に入った。
そういやちょうど財布も買い替えなきゃって思ってたんだよな。
意外とブランド物にはないデザインとかあるし、見てみたいな。
「なあ茜、あそこみたいんだけどいい?」
「いいよ、行こう」
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