夜目遠目笠の内(前)
中華料理を出た後、看板に花の公園を見つけてふらりと寄った。
世界的に有名な建築士が作った建物と、季節の花畑を見回り、端から端まで歩くと言った朝臣と別れて優夜は木陰のベンチでソフトクリームを食べた。
目を輝かせた朝臣が戻り、その隣に座る。
「これであの観覧料はすごいです……採算取れてるんですかね」
「視点がそっち側だな」
「優夜さんも良い絵を見たら、どうやって描いてるのか考えません?」
「考える。どうして描いたのかも」
即答され、朝臣は笑った。その笑みの意図が分からず、コーンを齧りながら優夜は首を傾げる。
サンダルを脱ぎ、膝を抱えた。涼しい風が通り抜ける。
「火霜先生の故郷らしいよ。良いとこだよな」
何故この島で個展を? と考えていたので朝臣は納得した。
「来海先生の、先輩なんですっけ」
「そうそう。わたしが通ってた絵画教室でバイトしてたのが来海先生で、その絵画教室経営してたのが火霜先生」
「じゃあ本当に、優夜さんの先生なんですね。火霜影雪は」
「そう。今じゃ手も届かない場所に行ってしまったけど。あの人はわたしが描いてない間も個展に呼んでくれたし、定期的に声をかけてくれた。わたしが絵画をすっぱり辞めなかったのは、火霜先生と鎌崎がいたからだ」
コーンに巻かれていた紙を小さく折り畳む。朝臣はそれを見ていた。
「で、わたしは朝臣と会った」
人生の岐路。
朝臣は優夜を見る。
「俺も、優夜さんに会ってなければ今頃地元の公務員で、上司につれられて飲み会に行ったり、接待でゴルフしてたのかもしれないです」
「公務員って大変なんだな」
「白木からの情報です」
「え、懐かしい! 出世すると良いな」
「覚えてるんですか?」
「白木と高梨でしょ、あと香波」
ぽんぽんと出てきた高校の頃の友人たちの名前に、朝臣は軽く嫉妬を覚えた。自分は少し前に再会して、人見知りをされたというのに。
「ちゃんと覚えてる」
楽しそうに優夜は答えた。
好きだと思う。
色素の薄い髪色も、花を見る横顔も、美味しそうに食べるところも、変わっていない。変わっていたとしても、やはり愛していたと思う。
「残りはわたしが運転する」
「え、いや、それは」
「なに?」
「はい、駅まで、お願いします」
車に戻り、朝臣が駅までのナビを入力していた時だった。ぽつり、と雨が一粒。
次の瞬間、バケツをひっくり返したような雨が降り注いだ。驚き二人してフロントガラスを覗き込む。
「雨予報だったのか」
「確かに台風が九州からきてるとは言ってましたけど」
朝臣が携帯で天気を調べた。予定より早く台風が関西へ接近しているらしい。周辺が強い雨や風に見舞われている。
「新幹線、遅れてるみたいです」
「最悪運休しそう。朝臣、明日仕事?」
「俺は休みですけど……」
優夜が朝臣の携帯を覗き込む。台風は関東には向かず、そのまま日本海側へと通り抜ける。明日の朝には晴れの予報だ。
「どっかで宿探すか」
「駅前まで行けばありそうですよね」
「まずは橋を渡れることを祈る」
優夜はエンジンをかけた。そこで朝臣は初めての優夜の運転に構える。そもそもこんな土砂降りの中を運転させても良かったのだろうか。今すぐ鎌崎に電話したくなった。
その恐怖も心配も意味は為さないほどに、優夜は普通に運転した。寧ろ土砂降りの中、よく事故を起こさず乗れているくらいである。
そして優夜の予想は虚しく、当たってしまった。
「迂回か……。このレンタカー今日まで?」
「営業が九時までです。明日まで延長できるか連絡してみます」
「よろしく」
朝臣が電話をかける中、優夜はナビで近くの宿を探した。ビジネスホテルならいくつかある。
「延長してもらいました」
「ありがと。とりあえず……うわ」
雨が少しおさまり、道路の先が見えた。ホテルや宿の並ぶ道で、渋滞が起きている。皆考えることは一緒ということだ。
「空きがあるか先に確認してみます」
「うん、最悪屋根のあるとこ入って車中泊だな」
迂回ルートも考えたが、自ら台風の中へ突っ込んでいくような形になる。優夜は最善策を口にした。一番避けたい策だが。
朝臣は片端からホテルに電話をするが、どこも満室だ。優夜も携帯を出して慣れない操作でホテルの番号を出す。
「空いてるみたいです。ここまっすぐ行ったところです」
「おーやった。さすが朝臣。なんて名前?」
「ホテル春の世です」
「ラブホみたいな名前だな」
「え、いやビジネスホテルって書いてありますよ」
朝臣は優夜のスマホを見せた。はいはい、と言いながら優夜はゆっくり直進しながら辺りを見回す。結果から言えば、ホテル春の世は城の形状をしていた。
「ほらラブホじゃん」
優夜は肩を竦めながらその駐車場へ入っていく。
「出ましょう」
「いーよもう。部屋はあるんだろ」
「じゃあ俺は車中泊します」
「行ったら意外とビジネスホテルかもよ」
空腹と疲れで優夜は投げやりになり始めていた。レストランが併設されているのは見えたので、泊まれなくても夕飯にはありつけるだろう。
朝臣はハンドルを優夜に預けたことを後悔し始めていた。いや、このホテルに電話したのは自分だった。
結局車を降りて地下駐車場から館内へと入った。
中は普通に対面の受付があり、朝臣は安堵しながら歩く。優夜もその後ろに着いていった。予約はしていない旨と、シングルは二つあるかと尋ねた。
「申し訳ありません。先程シングルが埋まってしまいまして……ダブルの部屋ならございます」
「え」
「ああ、じゃあそこで」
「いいんですか」
「わたしは飯が食べられて眠れればどこでも良い」
優夜が良いなら良いか、と朝臣は半ば諦めた気持ちでその部屋に決めた。他に行って部屋が無ければ本末転倒だ。
部屋に荷物を置いてレストランで夕飯を取った。
「鎌崎だ。はい」
「え、はい」
部屋に戻り、ベッドの上に放置されていた携帯に着信があり、優夜はそのまま朝臣に渡した。
「もしもし」
『台風大丈夫?』
「漸く宿が見つかって、明日の朝帰ることになりました」
『なら良かった。今ニュース見たらそこ直撃してるから』
鎌崎の言葉に、朝臣はリモコンを持ってテレビをつけた。ニュースがついており、というよりどのチャンネルも気象情報ばかりだった。先程渡ろうとした橋が映っている。
『ていうか、優夜に電話してるのにどうして朝臣くんが出されてるの』
「あー……優夜さん」
『かわいそうに、携帯押し付けられたんでしょう。とりあえず気をつけてね。ていうか今どこにいるの?』
朝臣は優夜を見る。奥のベッドに寝転び、動かない。
「ホテルに」
『同室? 据え膳ねえ』
「え」
『応援してるけど、合意のない性行為は犯罪だからね。じゃあね』
釘を刺された。
通話が切れて、朝臣は止まる。
軽い気持ちで同室にしたことを後悔し始める。いや、後悔も、据え膳も、何も。
そもそも、優夜の合意を得ることなんて、無いだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます