社燕秋鴻
駅に戻ればすっかり暗く、青が見えていた硝子も群青に変わっていた。クリスマスツリーの電飾が点灯されており、きらきらと彩る。学校帰りの女子高生たちが集まって写真を撮っていた。
優夜も携帯を出して写真を撮る。鎌崎にそれを添付して、これから帰る旨を送った。すぐに『なんで同じツリーなのよ。気をつけて帰ってね』と返信がくる。
「いや、同じじゃないだろ」
その通りの言葉を返した。新幹線まで時間があり、土産屋へふらりと寄った。
鎌崎から化粧雑貨で有名な店の化粧品は絶対買ってこいと言われている。優夜は携帯の電源が落ちても良いように紙のメモを鞄に入れていた。ひとまずそれを買ってから、生八ツ橋の並ぶコーナーへ行く。
「味……」
種類が多すぎる。チョコミントってなんだ。
優夜はぐるりと一周したが結局諦めて携帯を取り出した。電話帳からその番号を呼び出し、かける。もしかしたら予備校かもしれない、と考えながら冷蔵コーナーにあった千枚漬けを手に取る。これは雅史の分だ。
『はい』
もしもし、では無いのか。久々にその声を聞いた気がして、優夜は小さく息を吐いた。
「生八ツ橋の味、何が良い?」
『八ツ橋?』
「そう。ニッキ、抹茶、ごま、さくら、梅、いちご、ラムネ、チョコミント、キャラメル、塩……塩って塩味? これにするか」
『普通に、ニッキで。今日帰るんですか?』
「うん。これから新幹線乗る」
『東京駅にはいつ頃到着するんですか』
一番多く展開されているニッキの八ツ橋を二つ持ち、優夜はレジの方へ歩く。到着時間を言うと、電話の向こうからチャイムの音がした。
「じゃあ、また」
そう言って通話を切る。レジのすぐ傍にあった抹茶のラングドシャも重ね、会計をした。紙袋を持って土産屋を出た。
新幹線は時間通りに来た。シートに座り、空腹に負けて抹茶のラングドシャの包装を剥いて食べ始めると、隣のサラリーマンがぎょっとしていた。生地はサクサクしており、抹茶の苦味が舌に残る。
行きに買った小説を読み終える頃に新幹線は東京へ到着した。紙袋を持って駅へ降りる。改札を出ると、人混みの中に見知った顔が見えた。
「おかえりなさい」
スヌードを首周りに巻いているが、コートは羽織っていない。二時間前、電話をかけた相手がまさか目の前に現れるとは思わず、優夜は目を丸くして立ち止まった。
土産物の話でどこにいるか推測できたので、東京駅の到着時間で新幹線を調べた。予備校の授業を終えてすぐに電車に乗って向かう。
関西から帰る優夜を待つ。改札を見ていると、他所行きの格好をした姿で現れた。そのことに安堵する。きっと知り合いに会いに行ったか、仕事だろう。
きっと物件探しならあの普段着で行くはずだ。
「仕事ですか?」
「いや、その仕事を断ってきた。丁重に」
「持ちます」
「いや、いいよ。それより朝臣、寒くないの?」
優夜は近づき、制服を示した。その間に朝臣は紙袋を奪う。
「中に着込んでるんで……これ、重くないですか。酒瓶でも買ったんですか」
「いや、鎌崎の化粧品が重い」
「ああ、なるほど」
納得する。それから並んで人混みを歩き出した。
「予備校は?」
「ちゃんと授業終わってから来ました」
「そうか、おつかれさま」
「ありがとうございます」
東京駅の開けた場所にはツリーが出ている。優夜が写真を撮り始めたので、朝臣も後ろで足を止めていた。
「鎌崎に送る」
「鎌崎さん、ツリー好きなんですか」
「いや、東京着いたって。ほら」
「ツリーばっかり……」
鎌崎へのメッセージ画面を向けられ見れば、クリスマスツリーの写真が並んでいた。朝臣の若干引いた顔に優夜は目を細める。
在来線のホームへ行き、電車に乗る。帰宅ラッシュは過ぎて、人は少なかった。空いた席に座り、優夜は広告を見上げる。同じように朝臣も見上げれば、年末年始の運行情報が載っていた。
「もう年末ですね」
「その前にクリスマスじゃないの。世間一般は」
「受験生にはないイベントです」
「わたしにも無さそう」
肩を竦める優夜を見た。
「絵、描くんですか?」
優夜の家に置かれたスケッチブックに描かれた蜜柑に橙色が乗っていたのを思い出す。光の当たる部分、影の部分、どちらにも属さない部分、それぞれに違う橙が塗られていた。
二年越しの、優夜の絵だった。
「描くよ」
朝臣はその言葉に安堵と少しの落胆を覚えた。何故だかは、解っている。
絵を描かないから、優夜は近くにいた。でも、絵を描くのなら、遠くへ行ってしまうだろう。それを本能的にわかっていた。
「朝臣が言ったんだろ。先生に、わたしが描いてるって。朝臣を嘘つきには出来ない」
「俺は、別に、嘘つきでも良いです」
ブレザーの袖からチャコールグレーのセーターが覗く。
「朝臣」
「はい」
「他にもいろいろあるんだけどさ」
「他?」
「あの日、雨の日、一緒にいてくれてありがとう」
鮮明に記憶に残っている。あの日。
雨の中、傘を放って優夜を抱き寄せた。闇よりもっと暗い底へ行ってしまうその手を掴みたくて、必死だった。
改めて言われ、朝臣は視線を彷徨かせる。
「朝臣がいてくれたから、わたしは救われた。だからありがとう」
優しい声に微笑み。まるで別れの挨拶のようで、朝臣は首を緩く振ることしか出来なかった。
その翌日から、優夜の姿が見えなくなった。
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