空き家の雪隠


 終業式が終わり、いつもは煩いHRまでの時間は静かだった。年を越せば本格的に受験だ。終業式中も単語帳などを隠して持っていき読む生徒もいる。教師も眠る生徒は起こしていたが、そういう生徒は見て見ぬふりをしていた。

 朝臣も例に漏れず真面目に勉強をしている。


 優夜の部屋の玄関のスニーカーも無くなっていた。どこかへ買い物に出ているのかと待ってみても帰ってこない。何となく胸騒ぎがして朝臣は携帯に電話をかける。どこかで聞こえるバイヴ音を辿ってみれば、寝室から。


 中途半端に開けられた引き戸を開く。優夜の匂いがした。朝臣は足を踏み入れて良いのか迷い、結局「失礼します」と声に出して入る。携帯はベッドの毛布の上で鳴っている。やがて切れた。

 それを拾うと、ロック画面に切り替わる。これは初期設定から変えていないのだろう。バッテリーはあと僅かだった。


 息を吐き、朝臣はベッドに浅く腰掛けた。携帯を身に着けてはいないだろうと常日頃理解はしていたが、この前珍しく電話がかかってきたので期待してしまった。

 なんとなく画面をスワイプすれば、ロックが解ける。そのことに唖然とする。


「危機管理……」


 確かにこれは持ち歩き、どこかに置いてきたら個人情報流出で大変なことになるだろう。今度会ったら、ロックの設定の仕方を教えようか、否か。でもそうしたら携帯に触れたことがばれるのでは、と考えて思考を止めた。

 優夜の携帯を置き、寝室を出た。




 HRが終わり、後ろから背中を突かれる。振り向けば高梨が鉛筆を差し出していた。


「何?」

「五角鉛筆。うちに大量にあったからお裾分け」

「五角……? ああ」


 受け取りながら意味を理解する。


「妹も受験で、家の中もう子供より大人の方がピリピリしてんだよ。どうにかしてくれって感じ」

「うちは逆に緩すぎて……どうにかしてほしい」

「お、最近優夜さんとはどうなんだよ」


 急に出てきたその名前に、帰り支度をしていた朝臣の動きが止まった。きょろりと周りを窺う。


「……居ない」

「え、誰が?」


 同じようにきょろりと周りを見た高梨。


「優夜さん。最近全然家にいないから会ってない」

「どこにいんの? 彼氏のとこ?」

「……は? え?」

「聞こえてんだろ。染川、現実逃避すんな」


 ぽん、と肩を叩かれた。逃避もしたくなる。朝臣は項に手を当て、明後日の方向を見る。


「染川くーん」

「じゃなくて、多分仕事。絶対、仕事」

「優夜さんって何してる人?」

「画家」


 端的に答える。へえ、と高梨は文化祭を思い出す。あのスケッチブックに描かれた猫。


「画家か……てか、いくつ?」

「ニ十五」

「に、じゅうご……」

「煩い」

「何も言ってねーじゃん」


 二人が同時に立ち上がり、教室を出たところで横から突進してきた白木。朝臣はよろけ、高梨にもぶつかった。


「うお」

「いて」

「いえーい! 一緒に帰ろーぜ!」

「このハイテンション当たり屋が……」

「え、こわ。どうしたの染川、ぐれたの」

「まず慰謝料寄越せ、当たり屋が」

「高梨まで。なになに、二人とも。もしかしてあれかな? 俺がリア充になりつつあるのが羨ましいのかな?」


 肩を擦る二人に、白木が真ん中へ入り肩を組む。


「は? リア充?」


 高梨が顔を顰めた。


「最近マネがお菓子を持ってきてくれる」

「へー良かったな」

「腹壊せ。それから試験落ちて浪人しろ」

「やめてそんな呪いかけんの!」


 ヒステリックに叫ぶ声が廊下に響き、隣のクラスから顔を出した教師に注意される。こいつでーす、と朝臣と高梨は素知らぬ顔。

 すんません、と謝る白木を置いて進む。


「いやもうこれは卒業式告白待った無しっしょ」

「染川は告白しねーの?」

「は?」

「え?」


 白木が口を押さえて朝臣を見た。それに気づき、眉を寄せる。


「違う」

「染川も俺のこと……?」

「違うっての」

「ニ十五って、適齢期じゃね?」

「何の話? てきれいき?」

「結婚」


 「え、俺と……?」とまたしても口を押さえる白木にはもう構わず、朝臣は長く溜息を吐いた。同じく無視する高梨が首を傾げる。


「一回しか見てねーし話してねーけど、結構人たらしなとこ無い?」

「……ある。多分、好かれる人にはずっと好かれてる」

「案外、すげー近くの人と一緒になったりして」


 その時、朝臣の脳裏に浮かんだのはただ一人だ。



 鎌崎は視線を感じ、そちらを見た。ファストフードの店で朝臣と夕飯を取っていた。栄養バランスのことを言えばきりは無いが、時間が許すのがそこしか無かったのだ。

 クリスマスも変わらず予備校も仕事もあった二人は、カウンター席に並んでいた。


「どうしたの?」


 尋ねてみれば朝臣はぱっと視線を逸らし、再度こちらを向く。


「優夜さん、ちゃんとご飯食べてますか?」

「食べてるわよ。ずっとアトリエ籠りっぱなしだけど。優夜のこと好きねえ」


 揶揄する気持ちは無いが、口から出た。

 鎌崎はサラダボウルの中のレタスにフォークを刺す。クリスマスなのでチキンでも食べようという鎌崎の提案に、朝臣は乗った。店前はテイクアウトの客で溢れており、寧ろ店内で食べる客は少なく空いている。


 まさか高校生とファストフードに来る未来は想像できず、鎌崎は不思議な気分だった。優夜と一緒に来て勉強した頃を思い出す。

 朝臣は居心地悪そうにポテトを摘む。


「鎌崎さんは、優夜さんのこと好きですか」

「え、あたし? 好きだけど」

「優夜さんも鎌崎さんのこと好きって言ってました……」


 どこかショックを受けながら話す様子に、鎌崎は笑う。思春期の悩みなのか、恋愛相談なのか。


「良いわねえ、受験に恋に青春。相手が優夜なのだけがひっかかるけど」


 ほいほいと勧められるものではない。鎌崎は善い大人なので、高校生に優夜を貰い受けろという重い十字架を背負わせるようなことは言わない。

 しかし当人はまた違うことで悩んでいた。


「鎌崎さん、今の彼氏と結婚しないんですか……」

「え、あーでも、あたし戸籍上は男だから。結婚するなら海外行かないとね」

「日本のパートナーシップ制度とか」

「あれはあくまでも制度で、証明はできるけど保障がないっていうか。まあ普通の、男女の結婚とは違うのよ。あ、そういう堅い話じゃない?」

「知りませんでした」


 驚いた顔をする朝臣。


「自分に関係ないことは知らなくても生きていけるもの」

「前に、優夜さんが」

「うん?」

「知らないものを無いものにする人間はたくさん居るって言ってました。でも、認められなくても美しくなくても〝在る〟んだって」


 鎌崎は目を瞬かせ、それから陽気に笑った。席をひとつ挟んだ向こうの客が声に驚きこちらに視線を向ける。それに気付き、声を潜める。


「ごめんごめん、確かに無知でいることは許されることじゃなくても、悪ではないから」


 在る。認める。許される。朝臣は隣に座る大人が、ここまでどれだけ世の中と闘い揉まれ生きてきたのかの断片を見る。


「知らないなら知っていけば良いし、それによって世界が狭まることはないし。あれ、話が脱線しちゃった。結婚の話?」

「あ、はい。いや、言いたかったことは……」


 この期に及んで言い淀む。


「二人が、一緒になるのでは、と」

「え? あたしと? 優夜が? それは無いでしょ」


 また笑う鎌崎に、朝臣は脱力した。


「分かんないじゃないですか……」

「確かに分からないけど、あたしと優夜は同性だしそれ以前にシンユウなのよ、心の友」

「心友」

「もうね、切れないもので繋がっちゃったの。悲しい哉」


 悲しいと言う割に楽しげだ。

 鎌崎はテーブルに肘をついて、朝臣を覗くような姿勢になる。


「優夜がいたから、あたしは一人じゃなくなった。だからあたしも優夜を一人にはできない。朝臣くんも、同じじゃない?」


 孤独の闇と、白い壁、いつも降る雨、それから優しい夜。

 優夜の持つそれらは鎌崎や朝臣に寄り添った。


「……そうですね」


 静かに朝臣が微笑んだ。


「いつか一緒に仕事しようって言われましたし、鎌崎さんと同じルートですかね」

「あの人たらしが。そういう商法なのかしら」

「それ、俺の友達も言ってました」

「なんでそんなに高校生の知り合いが増えたのよ……あたしとも仕事、じゃなくて良いや。結婚式挙げたら、お花全部任せるわ」


 よろしくね、と鎌崎がにこりと笑う。まだ花屋になっていないどころか、大学すら決まっていない高校生とそんな約束を交わすなんて誰も彼もが正気ではない。しかし、朝臣は頷いた。


 できない理由は探すだけ無駄なのだから。



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