雨夜の月


 空が高く風が涼しい。朝臣は園芸兼花屋のシャッターを開けた。きっと常連の客が来るだろうと踏んで、花の苗を外へ出す。暑さが過ぎ去ったかと思えば、秋が気付けば隣に座っている。そんな季節だ。

 出勤してきたアルバイトの矢幡やはたが眠そうに挨拶をして、店の前を掃く。朝臣は店内の切り花の様子を見てからカウンターへ戻った。今日予約のミニブーケが二つ。それから携帯がメッセージを着信していた。


「彼女ですか?」

「え」

「店長が携帯見るなんて珍しいです」

「いや違う」


 ワンテンポ遅れて端的に否定する。

 メッセージは鎌崎からだった。明日のランチに誘われ、そこに優夜がいるという報告。受けるべきか否か迷っている内に、行きますと返信していた。無意識だった。

 はー、と息を吐き、優夜のことを考える。あのそっけない態度に太刀打ちする術を、もしやこの学生なら知ってるのでは、と視線を向ける。


「矢幡くん、彼女いる?」

「います」


 即答だった。至極当たり前のように答えた矢幡はちりとりを持ち直す。


「もしかして好きな相手ですか」

「いや、それも違うけど」


 鎌崎を思い浮かべる。出会って数年経っても尚、あの二人の関係も変わっていない。それもそうだろう。朝臣が出会うずっと前から形成されているのだ。

 問うたのは良いものの、何をどう言ったら良いものかと顎に手を当てた。


「自分にそっけない態度を取ってくる人へのアプローチの仕方、とは」

「検索した方が早そうです」


 と言って尻ポケットから携帯を取り出して早速検索し始める。流石若人は行動が早いな、と思ったものの、朝臣自身もそう歳は変わらないことを思い出す。矢幡よりも優夜の方が歳は離れているが、やはり年上の立場になると下の方が遠く感じるのかもしれない。

 矢幡が顔を上げ、店内へ戻る。


「書いてあります」

「お」

「アプローチがしつこすぎる、人間的に苦手、嫌われる原因がある」

「……それはそっけない態度を取られる要因なのでは」

「確かに。まあ店長がそんなことするようには見えませんけど。あ、これもありますよ、スキサケ」

「す……?」


 なんだって、と朝臣は矢幡の携帯を覗く。『好き避け』とは好きだから避けてしまうという女性心理らしい。

 いや、鎌崎も言っていたが、あの野生の優夜においてそれはないだろう。額を抱える朝臣を見て、矢幡が首を傾げた所でカラカラと店の引き戸が開いた。


「ごめんください、もうやってらっしゃるかしら?」


 常連の三和みわだ。ハッと二人は時計を見上げ、すぐさま頭を下げる。


「おはようございます、いらっしゃいませ」





 優夜はメニューを開き、すぐに料理を指した。迷ったり悩んだりする時間が少ない。


「ビーフシチューセットが良い。トイレ行ってくる」

「はいはーい」


 鎌崎が軽く返答し、優夜は立ち上がった。その正面に座っていた朝臣は視線をメニューへ落としたまま。


「何にするか決めた?」

「あ、はい。カツカレーで」

「良いわねえ、あたしオムハヤシにしようかな」


 朝臣は通りかかった店員を呼び、注文を終えた。それを見た鎌崎が目をパチクリさせているので、何かと見返す。


「朝臣くん、昔からそうだったけど本当に大人よね。モテるでしょう」

「年配の常連さんからは慕われている自信がありますけど」

「バイトの子は? 学生さんいないの?」

「学生は男子が一人と、あとは主婦のパートさん二人が入れ替わりで入ってくれてます」

「店長って感じね……いや、店長か」


 会った頃、ただの高校生だった朝臣が店を回す人間になっているとは予想は出来たが、実際なっている姿をみると感動する。

 そこで優夜が戻り、鎌崎の隣に腰掛ける。


「優夜は朝臣くんのお店行ったことある?」

「いや、ない」

「今度行きましょうよ」

「冷やかしなら止めとけよ」


 呆れたように優夜は笑った。


「来てください、いつでも」

「ほら」

「あー今度な、今度」


 鎌崎を宥めるように紡がれたその言葉に、朝臣は小さく落胆した。その色は誰にも見えはしなかったが。

 すぐに注文した品が届き、三人は食べ始めた。


「優夜さんは今、どこで絵を描いてるんですか」

「今? 全然描いてない」


 あっさりした返事に、朝臣よりも鎌崎がオムライスの米を吹きそうになった。それを白状するのか、ここで。

 朝臣も朝臣で、小さく頷き「そうなんですね」と相槌を打つのみ。絵に関して、特に興味は無いからだ。


「じゃあ夕飯は何を食べてるんですか」

「最近は混ぜご飯食べてる」

「お酒ばっかり飲んでませんか」

「混ぜご飯はアテにならないな。あと暁とあんまり会わなくなったから、飲み歩きは無くなった」


 再会してから、漸くきちんとした会話のキャッチボールに朝臣は落胆が消え去った。こんなに話せるとは思わず、気分が浮上する。

 学生の頃は毎日くだらないことを話したり、話さなかったりしていたのに。


「……カツ食べますか?」

「いや、要らない。ちゃんと食べな、青年」


 笑われ、拒まれた。もうこれ以上大きくなる予定は無いのだが。

 鎌崎はそのやりとりを見て、黙っていた。良い方へ転ぶことを願いながら。

 食べ終えて鎌崎が会計をしている間、優夜は朝臣を見上げた。


「身長いくつ?」

「百八十……二と三をうろうろしてます」

「伸びたり縮んだり? 暁もそんなこと言ってたな。でかい奴ってそこらへん大雑把だな」

「暁さんも背高いですよね。遺伝ですか?」

「ああ、母親は普通だったけど、父親が」


 優夜の口から、父親の話を聞くのは初めてだった。前に、鎌崎から優夜の家の事情は聞いていたが、当人の口から聞いたのは母親のことだけだ。優夜の母は、優夜の絵を見抜いた。

 朝臣にはそれは不可能だ。


「高かったって。親戚曰く」


 懐かしむような、優しい声色。

 初めて見るその表情に、朝臣は何と声をかければ良いのか分からぬまま、鎌崎が戻ってきた。



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