朝を幾度待って

継母の朝笑い


以下、本編の後日談及び作者による遊びと二次創作です。どこの次元にも存在致しません。ご了承ください。


――――



 イタリアンレストランの一つのテーブルに、優夜は正面に座った暁の携帯が震えたのを見た。


「鎌崎さんだ。下についたって」

「ワインもう一本頼むか」

「いや二本じゃない?」

「鎌崎に言ってやる」

「冗談だって」


 同じように声を潜めて笑う双子。

 暁が帰国したので、連日三人揃って飲んだくれている。そして鎌崎が来るより前に飲んでいる二人はもっと駄目な大人である。


「楽しみだよね、鎌崎さんの式」

「うん。暁はピアノ弾くの?」

「あー良いね、連弾する?」

「わたしを巻き込むな」


 苦笑して優夜は空いたグラスにワインを注ぐ。通りかかった店員を呼び止めた暁がワインを追加注文した。


「ごめん、お待たせ」


 聞こえた声に、二人の顔が上がる。同じタイミングに、同じ首の角度。鎌崎は思わず笑った。その後、すぐに驚いたように固まった優夜の笑顔にも。

 鎌崎の後ろには見知った男性。暁は一度しか会話をしたことが無いが、その姿を覚えていた。


「スペシャルゲスト、染川朝臣くん」


 さらりと鎌崎は紹介した。いたたまれない、といった表情の朝臣は無理やり笑顔を作った。場違いこの上ないのである。


「すみません、お邪魔して」

「あー! あれだよね、前に姉さんが住んでたところの大家さんの孫!」

「暁、よく覚えてるわね。式でお花任せようと思って、呼んじゃった」


 語尾にハートが付きそうな鎌崎の声に、暁は空いた席を指す。


「どっち座る?」


 究極の選択である。暁の隣か、優夜の隣か。

 ちら、と朝臣は優夜を見た。既に朝臣から視線は外され、メニューへと奪われている。特段興味のない様子に気付いた鎌崎が、ガッと朝臣の肩を掴んで優夜へと向ける。向けるまでも無く向かっていたが。


「優夜! 朝臣くんよ? 染川さん家の」


 お婆ちゃんに孫を紹介するときのようだ。目を瞬かせた優夜は顔を再度上げる。


「そんなでかい声で言わなくても分かってる。久しぶり」


 あっさりした挨拶に、鎌崎だけでなく朝臣も拍子抜けしてしまう。暁だけはそんなことは気にせず、「座んないの?」と首を傾げた。



 結局、暁の隣を選択した朝臣は、同級三人の話を聞いたり聞き出されたりして過ごした。気遣いの鎌崎がいるので、主に優夜がアパートに住んでいた頃の話だった。

 優夜は「ワイン飲める?」と朝臣に一度聞いただけだった。飲めます、と答えたきり。


「僕、ピアノ弾こうかなって。鎌崎さんの結婚式で」

「え、良いの?」

「ちなみに一曲、」

「たぶん暁のピアノ曲CDで流した方が安いだろうな」

「検討しとくわ」

「火霜先生も行くって」

「呼んだの!? え、大丈夫かしら……」

「カマちゃんのウエディングドレス姿見たいって」


 そして、話題は鎌崎の結婚式へ。相手は勿論小塚だ。友人たち数名を呼んで行うはずだった小さな式だが、火霜が来るとは畏れ多い。


「おばさんたちは呼んだの?」


 そこへ暁がするのは野暮な質問である。優夜は普段の自分を見ているようで思わず笑ってしまう。その笑い方を朝臣が見て、鎌崎は肩を竦めた。


「呼んでも来ないでしょうね」

「猫かよ。猫だったらな」

「猫可愛いよね。そういえばこの前猫カフェ行ってさあ……」


 暁の猫カフェ話に移り、話題は尽きない。


 お開きになったのは終電間際だった。駅からタクシーに乗った暁と、駅を越えたところに自宅がある優夜と分かれるところで、


「送ります」


 朝臣が酔って上機嫌な優夜へと言った、が。


「いやすぐそこだし、いいよ」


 いつかも同じ言葉で突っぱねられた。その頃、朝臣は高校生で受験生だった。

 しかし、今はどちらも成人済みの大人だ。それ以上もそれ以下の意味も持たない。優夜はずっと、意味なんて持っていなかったのかもしれないが。


「鎌崎送ってやってよ。大事な花嫁だし」


 鎌崎を指して笑った。じゃーね、と手を振って行ってしまった。撃沈してこちらへ戻った朝臣を見て、鎌崎は苦笑する。


「……優夜さん、忘れてます?」


 素っ気ないというか、踏み込んでこない、一線を引いている様子に、朝臣は言葉を漏らす。


「覚えてると思うわよ。ただねえ……あたしも久しぶりに見たんだけど」

「はい」

「人見知りしてるわね」


 人見知り。あの小さな子供が、知らない大人を見て泣いたり嫌がったりする、あれか。

 遠い目をする朝臣に、鎌崎はくすくすと笑った。


「パーティーとか祝賀会とかで挨拶されても名前と顔覚えてないから、いつもあんな感じ。表面的に笑って時間過ぎるの待ってる」

「覚えてない……」

「でも朝臣くんに対しては、距離を測りかねてるんじゃない? ほらあれ、覚えてるからよ」


 れんあいてきな、いみの、けっこんとかの、話。

 バッと顔を上げた朝臣。少しの希望が見えたのか。


「脈はありますか? 死んでませんか? そもそも生きてました?」

「そこは未知だけど、これだけは言っとくわ」

「なんですか」

「優夜は野生動物だから。急に距離詰めると自然に帰っちゃうかもしれない」


 朝臣は、脳裏に野生の虎を思い浮かべた。凶暴だが簡単に牙を見せることはない、眠る獅子を。



 鎌崎が朝臣へ度々声をかけるのには理由があった。優夜と朝臣の恋心がどう、という話は当人同士で解決することなので口は挟まない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ、という都々逸があるように。


 ただ、懸念することがひとつある。

 優夜が一ヶ月間描いていない。

 一ヶ月前は溢れるように、零すように、毎日絵を描いていたのに。


 それに気付いたのは先週のことだった。久々に優夜のアトリエへ行くと、椅子に座りぼんやり外の花を見る姿があった。


「優夜?」

「あ、来てたんだ」

「どうしたの?」

「花見てた」


 花、と言われた先へ視線を向ける。黄色の小さな花が密集して咲いている。

 キャンパスは真っ白だ。それから暁の帰国と共に優夜がアトリエにいる時間が減った。キャンパスも白いままで。

 そこで鎌崎は朝臣を呼び出すことにした。良い起爆剤になれば、と。

 しかし、どうだ。再会した時はそれなりに喜んでいたのに、今は朝臣に申し訳ないくらいの素っ気なさだ。


 優夜は出会った頃から変わらず、目を離せばふらりとどこかへ行ってしまう空気を纏っている。でも、ここに留める術を知っている。

 絵を描くことだ。

 絵を描いている優夜は、ずっとそこにいる。




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