三寒四温


 優夜と鎌崎の出会いは中学だ。


 同じクラスになったのは二年の頃。鎌崎は一方的に優夜のことを知っていた。優夜は作品が一般公募から県展まで入賞したなど、美術に関する成績が頗る良かった。美術だけ、だが。


 鎌崎が優夜を知る訳のもうひとつに、家系があった。親から言われて知ったのだ。


「この蜂永優夜さんって、朔也さくやさんの娘じゃない?」


 母がクラスの名簿を見て呟いた。鎌崎は夕飯のハンバーグを食べていた。このくらい食べるでしょう、と盛られたご飯の量に箸が進まない。その頃からいつもそうだった。


「誰?」

久遠くどお朔也さん。本家に結婚を反対されて、家を出て駆け落ちして、若くして事故で亡くなったのよ」


 久遠は本家、鎌崎は分家だ。

 株式会社久遠薬品工業では、代々幹部に本家の人間が入っている。関西のど真ん中に本社を構え、日本の医薬品企業での売上高は上位三位に入り、世界にも名を馳せている。


 鎌崎の母が久遠の血縁者であり、父は婿養子だ。母は今でもそれに誇りを持っており、そして鎌崎をそれに準じた人間にしたがっているのが見えた。多く盛られたご飯の次に、鎌崎はそれが嫌だった。


 駆け落ちしたとしても、久遠朔也の娘ということは優夜は本家の血を引いている。蜂永の名前で母が反応したということは、身内では知られた話であり、蜂永というのは優夜の母親の旧姓なのだろう。


「どんな子なの?」

「どんなって……」


 声が掠れる。最近、ずっとこの調子だ。身体の変化に、精神が追い付かない。


 クラスの中での優夜を思い浮かべる。特定の誰かと一緒にいることはないが、男女ともによく話しかけられている。誰からも存在を認められていることは、鎌崎にとって眩しく、妬ましく、強く憧れた。


「知らない」


 そう言って会話を終わらせた。母は「何よ、もう」と肩を竦めるだけ。特に優夜にも、鎌崎にも興味は無かったのだろう。




 優夜は最寄駅の近くに来ていた。ケーキ屋が出来たと聞いたが、詳しい場所が分からずに歩いていた。歩けば見つかるだろうという根拠のない自信だけは連れてきた。

 途中、見たことのある制服を着た何人かの高校生と擦れ違う。しかし朝臣も場所を知らないと言っていたな、と思い出した。


「優夜さん?」


 と、噂をしないでも影。宛もなく歩く優夜を朝臣が呼び止めた。


「おかえり」

「まだ帰ってはないですけど。どこかへ行くんですか」

「ケーキ屋に」

「ああ、前に言ってた」

「ケーキ屋、どこ?」

「……は?」


 朝臣は冷静に優夜の肘を引っ張り道の端に寄せて、スマホを取り出した。


「名前は分かりますか」

「パティスリーなんとか、みたいな」


 優夜は方向音痴ではない。地図を持たないだけだ。同時にスマホも持ち歩かないので、外出すると鎌崎は連絡が取れなくなり、心配の種にもなる。反対にどんな複雑な地図でも与えれば、都会だろうと森の中だろうと目的地に辿り着くことが出来る。


 ケーキ屋の名前すら知らずに歩き始めるとは、はじめてのお使いでもそんなことはしないだろう。

 そして、優夜は地図の代わりを今、手に入れた。


「結構近いですね」


 朝臣が歩き出し、優夜がそれに続く。


「場所分かんの?」

「検索したら出てきました。優夜さんもスマホ持ち歩けば、地図が見られますよ」

「わたしはほら、財布担当だから」


 自慢げに二つ折りの財布を見せる。それしか持てないということは無いだろうし、まさか鍵を持っていないなんてことは……と考えたところで、朝臣は思考を止めた。数か月しか優夜と一緒に過ごしてはいないが、鎌崎の気持ちが痛い程によく分かってきた。


「財布も大事ですけど」


 どこか抜けているというか、生活能力や根本的なものは培われているのに、世間知らずというか、甘いというか。粗野な口調に忘れがちだが、御令嬢の片鱗が見える。それを前に鎌崎に伝えると、激しく同意された。


「朝臣、あった!」


 地図を見ていた朝臣より先に店を見つける声。顔を上げると、遥か向こうに店らしきものが見えた。優夜はとても目が良い。


 店に入っていく背中に続いて、朝臣もケーキ屋へ入る。パティスリーキンウ。


「キンウって何ですかね」


 ショーケースにずらりと並んだケーキの中からザッハトルテを探すのに夢中な優夜へと話しかける。店内は外よりひんやりとしていて、少し息がしやすい。


「金の烏。太陽の異名だろ」


 視線はケーキへ向けたまま、さらりと答えた。

 何故そういうことは知っているのだろう。


 朝臣は店内を見回した。アンティーク調の暗い色の木材で調った壁や棚。螺旋階段を上った先にはテーブルが設置されており、イートインスペースもある。店の入り口に大きな花がいくつか飾られていたので、本当に最近できたばかりなのだろう。おやつ時を過ぎているからか、客足は落ち着いており、ショーケースを見るのも優夜の他に若い女性会社員二人だけだった。


「お、あった。朝臣は何にする?」

「いや、俺は」

「ちゃんと鎌崎の誕生日祝ってやれよ」


 え、と声を漏らす。先に居た客が店員にケーキの種類を伝えた。


「鎌崎さんの誕生日って」

「今日やる」

「初耳、です」

「今初めて言ったから。で、決まった?」


 優夜は顔を見上げた。さらりと茶色い髪が肩から落ちる。


「モンブランで」

「おっけー。すみません、ザッハトルテと、モンブラン二つと、チーズケーキください」

「かしこまりました。合計四点で宜しいですか?」

「はい」


 優夜が会計をする。ケーキの箱を持った女性たちが帰る際、優夜と朝臣をちらを見た。それに気付いた朝臣が躊躇なく見返す。目が合って気まずくなったのだろう、彼女たちはすぐに店を出た。


 二人の関係は何かと思われたのだろうか。

 

 姉と弟? 教師と生徒? まさか恋人?

 そのどれでもない。大家の孫と、その住人だ。もっと簡素化すれば、ご近所さん。


「お品物です」


 ケーキの箱を朝臣が受け取った。

 ありがとうございました、と背中に言葉を受けて店を出る。


「モンブラン、ありがとうございます」

「ん、一個は大家さんの分。今日、町内会の温泉旅行でいないんだろ」


 その為に、優夜は十分な案内もなくケーキ屋を探し始めたのだった。そういえばそんなことを言っていたな、と朝臣は頷く。


 朝臣の周りの大人は、自由奔放な人間が多い。優夜も例外ではないが、両親は高校が始まった頃に海外赴任を決めてしまい、家の近い雅史へと半分預かってもらう形になっている。その祖父もアパートの管理や町内会で忙しくしている。


 優夜が引っ越してきてからというもの、優夜と共に夕飯を食べる回数の方が圧倒的に増えた。


「今日は春キャベツとベーコンのパスタ、あとコンソメスープ」

「鎌崎さんの好きなメニューですね」

「ワイン好きだからな」

「優夜さんと鎌崎さんっていつから一緒なんですか?」

「会ったのは、三年くらい前」


 三つ指を折って数えた。朝臣はそれを聞いて、思わず優夜の方を見る。

 目が合った。


「幼馴染かと思ってました。血縁者って鎌崎さんには聞いたんですけど」

「中学が同じで、卒業以来会ってなかった。血縁って言っても、ほぼ他人の薄さだけどな」


 けろりと笑いながら、優夜は朝臣を見る。


「すごく、仲良いですね」

「まあ、鎌崎はわたしの仕事仲間兼親友兼保護者だから……あと約束を守ってくれた」

「約束?」


 駅から流れ出る人の量が多い。朝臣はするりと裏道へと入った。優夜がそれに倣って着いていく。

 薄暗いが静かな道だ。明るい方へ向かえば、遊歩道のような場所に出た。


「一緒に仕事をするって約束を中学の時にした。再会した時、わたしはそれをさっぱり忘れてたんだけどさ」


 言葉には出さないが、朝臣は呆れた顔をした。


「鎌崎は覚えていてくれた」


 懐かしむような、とても大事な宝物を見るような、優しい表情。それを見て、瞬きを数度。

 優夜と鎌崎の中学時代を想像した。



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