春植えざれば秋実らず


 ごめん、と謝られた。


 きゅ、と胸の奥が締め付けられる。結果は分かっていたはずなのに、その事実を突きつけられるとやはり堪えた。


 端正な顔立ちと、あまり変わらない表情。動じないその姿に「良いよね」と囁く女子は一定数いる。

 土暮香波つちくれかなみは囁いたことはなかった。彼への想いなのに、何故他の誰かに先に口にするのか、分からなかった。そういう捻じ曲げられないところを、自分でも受け入れ難い時がある。


「自分の人生に他人を巻き込めるような人間じゃない」


 彼は申し訳なさそうに言う。

 断り方もまた一味違った。


 泣きたいのに泣けないような、悲しみたいのに悲しめないような、そういう気持ちになった。理解と納得が追い付かなかったからだ。


 どういう意味なのか、尋ねたいと思ったときにはもう学校を出ていた。帰り道、視界の端にしゃがむ背中が見える。具合が悪いのかと顔を向ければ、そうでなく、花壇の淵へ器用に座りスケッチブックを持っていた。


 香波の気配に気づき、その顔が上がる。色素の薄い瞳と視線がぶつかった。


「……こんにちは」


 何も言わずに去るのは失礼かと思い、香波は挨拶をする。これでも小学生の頃は毎日道行く人に挨拶をして、近所の皆様に顔を覚えられていたのだ。

 彼女は、ゆらりと立ち上がった。


「こんにちは」


 思いの外あっさりと、丁寧に挨拶が返される。そして、予想していたよりも身長が高い。


「学校帰り?」

「はい。絵を、描いてたんですか?」

「うん、なんか面白い花」


 示した花壇の外に無数に咲く黄色い小さい花。香波はそれを見て、面白いというより可愛いという感想を持った。


「なんて名前なんですか?」


 植物に詳しくなく、尋ねた。彼女もまた首を傾げた。


「さあ?」

「へー、カタバミとは違いますよね」

「たぶん……今の若者はほら、携帯で調べるんじゃないの」


 手元で何かを操作する動作。スマホを示しているらしい。


「今日家に忘れちゃって」

「じゃあ調べに行くか」


 不敵な笑みを浮かべ、彼女は意味深に親指で自分の肩の上を示した。そこに何があるのか香波には想像もつかなかったので、ただ頷く。


 今年は三年で、受験の年だ。勉強もしなければならないが、今日は帰ったところで何も手につかないだろう。

 それはただの言い訳で、単に現実逃避に走りたかっただけなのかもしれない。道端で出会った彼女との非日常へ。



 彼女は蜂永優夜と名乗った。香波も高校三年であることと名前を明かすと、優夜は一人で納得したように頷いた。同じような制服を見たことがあった。


「同じ学校の知り合いを知ってる」

「先生ですか?」

「いや、生徒の方。三年で……あれ、苗字なんだっけ」


 近所に住んでいるのだろうか。香波はそれよりも優夜の進む道順に疑問があった。


「これ、どこへ向かってるんですか?」

「オオヤさんの家」

「え、図書館とかではなく?」

「図書館で図鑑捲るより早く分かる、はず」


 保障はないが、信用ならある。優夜は付け加えた。


 そもそもオオヤさんとは誰なのか。

 香波は優夜の横顔を覗う。今更、知らない女性についてきて良かったのかと疑い始めていた。


 そんなことを思っている内に優夜が足を止める。ある一軒の家の前で。


「あ、その知り合いの祖父さんだ。うちのアパートの大家おおや


 人差し指が家を示した。漸く優夜の家の大家であることだと合点がいった。チャイムも鳴らさず、門扉を開けて入っていく。


 勝手に入って良いのかと香波はその外で立ち止まる。自分は今制服を着ており、不法侵入で捕まったら制服ですぐに高校を特定されるだろう。


「ごめんくださーい、大家さん。少し訊きたいことがある」


 それに気づかず、優夜は庭の雑草取りをしていた雅史を見つけ、声をかけた。顔を上げて優夜を見る。


「おう、どうした」

「アパートの裏に咲いてる花の名前が知りたい」

「何の花なんだ」

「だからそれが知りたいんだって」


 な、と振り向けば香波が居ない。門の外で佇む姿を見て、優夜は首を傾げる。香波の視線は表札に釘付けだった。不思議に思った優夜が門扉に近づく。


「入んないの?」

「え、っと……もしかして蜂永さんの知り合いって、染川……?」

「そうそう。染川、朝臣」


 表札に染川の文字。ここら辺で同じ苗字を見たことも聞いたことも無かった。


「ま」

「ま?」

「まじか……」


 突然出た心の声と、額を抱える香波の姿。

 朝臣にふられ、ふらついていた所に居た優夜が朝臣の知り合いとは。


「まじだけど。もしかして朝臣知ってる?」


 笑いを堪えた顔で優夜が言った。あまりにも香波の表情が悲惨なもので。


「失礼なことを……すみません。染川とは同じクラスです」

「そうだったのか。朝臣って学校でどんな?」

「普通ですよ。お昼は友達とバスケしたり学食行ったり。放課後は栽培委員会で水やりしてます」

「詳しいな。仲良いんだ」


 言いながら、優夜は門扉を開けた。


「……そんなでも、ないです」


 その答えに優夜は小さく頷いただけだった。

 朝臣は、休みの日は息抜きにと言って庭弄りをするような高校生だ。優夜が花壇や階段に座ってぼーっとしていると、スコップや土や新しい苗を持って現れる。それを手伝うこともなく、さくさくと地面を掘り返す姿を見ていた。

 そんな高校生の、学校での日常を訊いてみようと思っただけだ。他意はないし、香波と仲が良くても悪くても関係はない。


 香波は自然と門を通っていた。


「大家さん、朝臣と同じクラスの子。近くで会って、連れて来た」

「こんにちは。土暮香波と言います、いきなりお邪魔してすみません」

「いらっしゃい。蜂永さんに連れて来られたんだろう」


 その通りで、曖昧に笑う。腰を伸ばした雅史に、朝臣もいないのに挨拶をして良いものなのかと迷いつつも、しないわけにもいかない。


「で、何の花だって?」

「オレンジの花」

「え、黄色じゃありませんでした?」


 もしかして違う花を見ていたのかもしれない、と香波は首を傾げる。


「あ、黄色だったんだ。オレンジと似てて」

「黄色でした、小さくて」

「カタバミか」

「いえ、こうつぶつぶしていて……あ、これです!」


 香波が庭の隅に咲く小さな花を指した。ん? と雅史と優夜がしゃがんでそれを見る。


「ああ。これはコメツブツメクサだ。シロツメクサの仲間」

「こめつぶ……」

「多年草。まあ雑草って言ったらそうだな、すぐに増える」

「生命力強いんですね」

「そうして生き残ってきたんだろう。用はそれだけか?」


 はっと香波は我に返り頷いた。こんなことを訊く為だけに乗り込んですみません、と頭を下げようとする前に、雅史が立ち上がる。


「茶でも淹れるか。貰った羊羹がある」

「もしかして有名なシシヤの?」

「ああ。お前さんは羊羹嫌いか」

「いえ、あの……」


 これ以上、長居するのは悪い気がした。これを朝臣が知ったらどう思うか。考えるだけで恐ろしい。

 傍から見れば、ふられたうえに祖父の家にまで押しかけてくるやばい奴だ。出来ればバレたくない。


「ただいま」


 門扉が開き、聞こえた声。優夜が振り向き、気安く「おかえり」と返した。

 ギギギ、と錆びついた首を無理やり動かして、香波は顔を上げる。勿論、委員会を終えて祖父の家に帰った朝臣と目が合う。こういう場合、どんな顔をするのが適切なのだろうか。


「こ……こんにちは」

「なんで土暮が?」

「わたしが連れてきた」


 優夜の声に朝臣はそちらを向いた。しかし優夜の思考は羊羹へと向いており、玄関の石畳の上でスニーカーを脱いでいる。


「あの、近所の花壇で蜂永さんと会って、花の名前を訊きに来ることになって」

「優夜さん、花壇で何してた?」

「絵を、描いてたけど」


 朝臣は小さく頷く。質問はそれだけらしい。

 とりあえず、と家を示した。


「あがったら?」

「いや、悪いし……」

「嫌じゃなかったら」


 玄関の石畳を見ながら、朝臣は続ける。


「土暮が良ければ、普通に、これからも話したい」


 その言葉に香波は焦りと戸惑いで忘れかけていた胸の奥の痛みを思い出す。それと同時に、香波の告白に、朝臣が少しの間でも意識してくれたなら嬉しいと思った。


 突き放されるより、ずっと優しく残酷な答えだ。

 しかし、朝臣らしい。


「あーあ、明日皆に言いふらそう。染川にふられたって」

「え」

「嘘に決まってるでしょ。早く羊羹食べに行こうっと」


 ローファーを脱いで家にあがる。お邪魔しまーす! と大きな声が響いた。固より香波は明るい性質なのだ。今日は偶然、傷心中だっただけで。


 くるくると変わる香波の表情に朝臣は驚き止まった後、少し笑って家に入った。



 羊羹を食べ終え、何故か四人いるなら麻雀かトランプをしようと優夜が言いだし、香波が麻雀のやり方を知らなかったのでトランプが始まった。そうして夕飯前まで遊んだ後、香波を見送りに優夜と朝臣が出た。


「久々に遊びました。明日からまた部活と勉強」

「へえ、何部?」

「陸上です。ハードルやってます」


 優夜は感心した。体育は専門外だ。


「あれ、倒すことないの?」

「ハードルですか? ばんばん倒しますよ」


 走るように腕を振りながら香波は言った。朝臣はただ二人の会話に入らず、一歩後ろで聞いていた。


「倒したらどうなんの?」


 優夜の質問に、朝臣はその後ろ姿を見る。倒したら、どうなるのか。ペナルティーは科せられるのか。そう尋ねたのだろう。


「倒したら、また直しますよ?」


 斜め上を言った答えに、優夜は目を瞬かせる。


「故意に倒そうとしてない場合は、審判の判断にもよりますけど記録に関しては特に言われないです。世界記録でいうと倒さない方が断然速いですし、倒したら痛いですけど」


 靴下の下は青痣だらけだ。ひとつ薄くなったと思ったら、また新しいものが出来る。


「痛いのに、走るの?」


 どうして、なんで、と尋ねる優夜は子供のようだった。香波はそれに疑念は持たず、ただ問われたことを考える。朝臣は二人の会話の行く末を見ていた。


 やがて、香波は答えを出す。


「楽しいので。それだけですかね」



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