値千金


 普通がどうかは分からないが、朝臣は普通の高校生よりも落ち着いている。


 部活は入っていないが、栽培委員会に所属している。今日も授業が終わると、校舎の花壇の花たちに水やりをしていた。三年は殆ど委員会に顔を出さないが、朝臣は異例というより生真面目だ。


 水やりを終えて、予備校へ行く。三年の春を棒に振るなと講師たちが口を揃えて言う。

 予備校を終えて、駅へ向かう友人たちと別れて帰る。夜九時をまわっていたが、コンビニにて買い食いもせず祖父の家に帰れば、見慣れたスニーカーが玄関の端に揃っていた。

 細やかな箇所に育ちが出る。


「あ、おかえり」


 廊下に顔を出した優夜が朝臣を見て言う。


「ただいま、です」


 どちらかというと、自分の家なのだが。


「大家さーん、朝臣帰ってきた」


 その奥で「ああ」と優夜の大家でもあり朝臣の祖父でもある雅史まさしが返答するのが聞こえた。

 手を洗って居間に行けば、優夜の定位置となった下座から見上げられる。既に夕飯がその斜向かいに用意されていた。


 優夜は飯を共にするという条件を可能な限り飲んでくれている。週三の予備校で遅くなる今日のような日も、自分は先に終えているが朝臣をきちんと待っていた。


 二月の終わりに引っ越してきて、未だ三か月と少ししか経っていないが、この馴染み様だ。


「おかえり。ちょっと回覧板出してくる」

「え、今から?」


 こんな時間に訪問して大丈夫なのか、と常識も持ち合わせる優夜。


「ポストに入れてくるんだ」

「なるほど。行ってらっしゃーい」


 雅史が居間を出て行き、その子供のように優夜が送り出した。……この馴染み様だ。


 徐にリモコンでチャンネルを回していく。途中、猫の動画を連続で流している放送局でそれが止まった。優夜は猫が好きだ。


「高校の裏にもたまに猫が来ます」

「撫でられる?」

「どうなんですかね。女子が餌やりしてて問題になったとか」

「撫でられるなら行こうかな」

「撫でたいんですか?」


 描きたいんじゃなくて。

 朝臣は優夜を見たが、その視線はテレビへと向いていた。


「うん。あの毛並みを触りたい」


 鎌崎は優夜を画家と言った。今は描いていないが、その少し前はコンクールに応募すれば賞を総なめにする程の腕を持っていた。いや、今も持っているのだろうが。

 そして旧家の御令嬢だとも教わった、鎌崎も一応それの血縁なのだと。


「そういえば駅の近くにケーキ屋出来たって、知ってる?」

「俺がケーキ屋をチェックするように見えますか」

「クラスの女子たちとケーキ屋の話してそうだけど」

「……知らないです」


 そっか、と今度は優夜が朝臣の方を見た。


「今度、鎌崎の誕生日だから」


 初耳である。

 しかし、それが朝臣の表情に出ることは無かった。


「ザッハトルテのあるケーキ屋を探さないといけないんだ」


 まるで使命のように言う。


「ざっはとるて、とは」

「チョコレートケーキの王様」

「強そうですね」

「鎌崎にお似合いだろ」


 その言葉に笑ってしまった。朝臣は夕飯を食べ終えて、湯呑に入ったお茶を飲む。その内に雅史が帰ってきた。

 さて、と優夜が立ち上がる。


「じゃあ帰るわ。大家さん、ごちそうさま」

「送ります」

「いや、いいよ。すぐそこだろ」


 先ほど帰ってきた受験生を見送りに出させる程、優夜も横暴ではない。雅史は「また来な」と返すのみ。朝臣の言動に対してのコメントは無かった。

 結局、朝臣は見送りに出た。


 この前春が来たばかりだというのに、もうすぐ春が去っていきそうだ。冷たかった夜風は生温くなり始めている。噎せ返るほどの花の匂いが、その温度を乗せて肺へと入り込む。


「春って、好きですか」


 唐突な朝臣の質問に、優夜は唸りながら答えた。


「あんまり。まあわたしにしてみれば、春夏秋冬することは変わらないけど、春はなあ……死の匂いが、近い」

「死?」

「死臭がする」


 冬に凍った亡骸が解けて、強烈な死臭を放つ。

 そう言った優夜はこちらを見ていなかった。


「朝臣は?」

「俺もあまり……苦手です」


 別れと出会いが入り混じる。その間で自分がぐちゃぐちゃになっていく感覚と、そうはなれずにぽつんと取り残される感覚。どちらに身を委ねれば良いのか分からなず、困惑する。

 そんなことを同級生に言ったことは無かった。言ったところで伝わらないか、そんなことを思うのかと驚かれるだけだろう。


「自分の立ってる場所が、とても曖昧に思えて」

「あーそれ分かる。なんか気持ち悪くなる時あった、学生の時」

「大人になれば変わりますか」

「どうだろ。今はあんまり感じないけど、変わるというか鈍くなるのか」


 それは進化か、退化か。

 角を曲がり、優夜のアパートが見えた。ふわりと草の香りがする。朝臣はそれにどこか安堵を覚えた。


「学校、楽しくないのか」

「いや、そんなわけでは」

「なんだ。友達できなくて困ってるのかと思った」


 優夜は他人事のように笑う。それが当たっていても外れていても楽しいことではない気もする。

 階段の前で立ち止まり、じゃあ、と朝臣を見た。


 朝の陽だまりの中にいたと思ったら、夜に融けていきそうだ。髪も、白い肌も。

 きらりと何かの光にピアスが反射する。それだけが、煌めいている。


「優夜さん」


 思わず呼び止める。優夜は普通に振り向いた。その時の、朝臣のなんとも言えない表情に、目をぱちくりと瞬かせる。


「どうした」

「……また、明日」


 夜の闇に融けてしまわぬように、約束をとりつけた。


「また明日。おやすみ」


 ひらりと振られた掌を見る。階段をトントンと上っていく。朝臣は少し、鎌崎の気持ちが分かったような気がした。


 優夜は自由だ。だから、どこかへ行ってしまう気がする。知らない街へ、夜の中へ、朝日の差す場所へ。だから、姿が見えないと不安になるのだ。


 それでも、一緒にいると心地よく、楽しい。

 相反する気持ちを抱く。朝臣は階段に背中を向けた。来た道を曲がり、ふとアパートの方を見る。優夜の部屋の明かりがカーテンから漏れていた。

 やはりそれにどこか安堵して、朝臣は帰路についた。




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