百鬼夜行


 演奏後の楽屋へ行けば、暁が笑顔で出迎えた。阿多良と黎子が先程のコンサートの感想を興奮醒めぬままに伝える。優夜と鎌崎はそれを後ろで見ていた。

 阿多良と黎子はこの後、東京駅から新幹線に乗って帰る予定だ。優夜と鎌崎はそれを送ることになっている。


「本日はお越し頂きありがとうございました」

「こちらこそ。身体には気を付けてね」

「阿多良さんも、黎子さんも」

「ありがとうございます」


 二人が御手洗いへと行っている間、暫し三人になった。鎌崎は携帯で道路の渋滞状況を確認する。


「久遠黎子と知り合い?」

「本家に居た時、何度か会った」

「ふーん」

「久遠の悪いとこ見て育った人だよね。礼儀正しいけど、概念が凝り固まってる」


 暁は明るく笑いながら悪口を吐く。鎌崎はそれを聞きながら気まずそうに扉の方を窺った。


「止めなさいよ、本人の居ないところで」

「居ても喋るけどな」

「この腹黒双子は……」

「姉さん、なんか言われたの? すごい距離取ってるよね」


 この数分しか五人でいる空間は無かったのに、暁には見透かされたようだった。優夜は肩を小さく竦める。

 二人が戻り、四人は暁の楽屋を後にした。


 東京駅でお土産を見ている阿多良の背中を見ながら、優夜と黎子が待っていた。鎌崎は阿多良の選択に色々と付き合っている。


「おば様、買い物長いですよね。何買って帰ったって同じなのに」


 職場と家族と、と既に鎌崎の手には紙袋が多数。あれを地元に帰ってからは黎子が持つことになるのだ。それを考えて憂鬱になる。

 そういう黎子の手にはブランドの化粧品のショップバッグがひとつ。東京の店舗に唯一残っていた在庫を確保することが出来た。


「鎌崎さんも律儀に付き合っちゃって……はーあ」

「鎌崎は親切でお人好しなんで」

「おば様に優夜さんのスポンサー切らないで欲しいからですよ。優夜さんってあんまりそういうの、気にしたことないでしょう」


 黎子は呆れた視線を優夜へと向ける。中華料理の日から一転、優夜へ見ていた幻想から醒めたのか、今日はずっとこんな感じだ。

 前回のように喋り倒されるよりはずっと話がしやすい。


「鎌崎はそういう役を買ってくれてます」


 尤も、今この状況では、鎌崎は優夜と二人きりにされるのが気まずいのだろう。泥酔した優夜に嘆いたことを、優夜は特に気にしてはいないのだが。

 黎子は優夜の方も見ず、小さく息を吐いた。


「あいつは親切で真面目で努力家で優しい。そんな奴の、どこが恥ずかしい?」


 その言葉に、バッと優夜の方を見た。黎子の方を、ゆっくりと優夜は向く。


「ちせつだな」


 稚拙だな。

 嘲笑と共に言った。

 どんな悪口を言われるより、どんな言葉で詰られるより、それは心に刺さった。

 黎子の耳が赤くなる。


「まあもう会わないだろうし、あんたがどんな人生を歩むかなんてどうでも良いけど。久遠を出たわたしたちとは、全然関係のない場所で幸せになって生を全うしてくれ。葬儀すら、わたしたちには届かないようなところで」


 つまり目や耳の届かないような遠い場所で。


「……言われなくても……!」

「利害一致だな」

「お待たせー! やっと決まりました。あれ、黎子さんどうしたの?」

「なんでもありません! 早く行きましょ!」


 黎子は阿多良の持っていた紙袋をひったくるようにして取り、耳を赤くしたまま改札の方へ歩いて行った。きょとんとした顔を優夜へ向けるが、にこにこと笑っており何も言わない。鎌崎は一人、黎子に何か言ったのだなと察した。

 新幹線に乗って帰っていった二人を見送り、鎌崎と優夜は車へ戻った。


「……黎子さんに何言ったの?」

「ただ人生のアドバイスを」


 人生のアドバイスを優夜ができるほど、人生をきちんと歩んでいるかどうかは置いておいて、それを黎子が聞いてあんな態度になるものだったというのには引っ掛かる。しかし前に優夜が朝臣に進路の話をした時も、確か衝突していたなと思いだす。

 衝突というか、巻き込まれ事故というか。


「我ながらとても良いアドバイスだったと思う」

「不安ねえ……」

「なんでだよ」


 クスクスと鎌崎が笑う。車のエンジンをかける。優夜はシートに身を沈めた。


「優夜、この前ごめんね」


 鎌崎の言葉に優夜が視線を向ける。駐車場を出るところで、左右を確認する。そこでちらりと優夜を見た。


「なにが?」

「なにがって、どうしたら良いのって怒鳴ったでしょう……」

「そんなんいつもだろ」

「でもあの時は……」


 地下の駐車場から出る。外は夕暮れだった。濃いオレンジ色が、街を覆う。

 優夜はそれをじっと見た。青とオレンジの間にある薄ピンクを、どうやって作れるのか。


「あの時だけじゃない、あんたが描く為なら蓬来山の玉の枝だって作れると思ってるのよ」

「蓬来山って、かぐや姫の? 難しいと思うけど。鎌崎って音楽選択だろ」

「例えよ!」

「しかもあれって職人に作らせる話だよな。鎌崎は手作りしてくれんの? すっげえ」


 あはは、と珍しく優夜が声を出して笑った。鎌崎は眉間に皺を寄せる。面白い話を披露したのではない。


「例えだってば」

「分かってるよ、何の例えだっけ?」

「分かってないじゃないの……もういいわよ」


 はあ、と溜息を吐く。


「待たせてよ。あたしにも」

「玉の枝作るのを?」

「優夜が、絵を描くのを。あたしも待ちたいの。待つのに飽きて、色々言っちゃう時もあるけど」


 ハンドルを握る指を動かす。信号で止まり、鎌崎は優夜を見た。


「待たなくて良いよ」

「……どうしてよ」

「先行っててくれ。すぐ追いつく」


 優夜は夕日のピンクを見つめる。色と色の間。そこにもまた色がある。


「あたし、優秀だからどんどん先行くけど」

「じゃあゆっくり進んでて」

「そんな器用なことできない」

「言ったことあったっけ?」

「え、何を」

「ありがと。わたしを本家まで探しにきてくれて」


 鎌崎は目を見開き、車を路肩に止めた。近くに店もなく、優夜はどうしたのかと鎌崎を見る。


「急に、どうして」

「いや、言ってなかったかもしれないと思って。鎌崎が居なかったら、当たり前だけどわたしはここに居ないだろうし」


 最後の別れのような言葉に、視界が滲む。

 鎌崎は優夜の腕を掴んだ。


「じゃあずっとここに居てよ!」


 子供のように、叫んだ。

 誰にも、我儘を言えない子供だった。


「デッサンでも落書きでも何でも良いから、ずっと描いていて。ずっとここに居て。どこにも行かないで」


 初めて親友が出来た。

 言葉遣いも、好きな色も、仕草も、生き方も笑わないでいてくれる。鎌崎をそのまま受け容れてくれる。優夜はたった一人の、親友だ。この先誰とどれだけ出会って心を交わしても、それを越える人間は居ないだろう。

 初めては、特別だ。

 憧れは、越えられない。

 さがして、みつけて、また一緒にいられた。

 楽しいばかりの毎日じゃないけれど、それはかけがえのないものだ。


「マリッジブルー?」

「は?」

「別にわたしどこにも行ったことないだろ。描いてないけど。あ、今度火霜先生の個展見に関西には行ってくる」

「もう、描かないみたいな空気だったじゃない」

「描くに決まってんだろ。わたしは画家だから」


 ダッシュボードからティッシュケースを出して鎌崎に渡す。出かけた涙より鼻を先にかんだ。

 優夜は呆れたように笑い、ティッシュケースをしまう。


「あとさ、朝臣の連絡先教えて」

「え? 朝臣くん?」

「今度中華料理食べにいく約束したんだけど、今の連絡先知らなかったの思い出した」


 いつの間にそんな約束を取り付けたのか。

 鎌崎は再度鼻をかんだ。




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