一日の計は朝にあり


 欠伸を噛み締める。車に乗れば何かと喋っている鎌崎とは反対に、静かな車内だった。

 「運転、わたしがする」とレンタカーを見た優夜が言ったが、朝臣とのじゃんけん三戦勝負の末、見事敗北して、朝臣が運転することになった。

 弱点の少ない人だとは思っていたが、鎌崎以外の運転が怖いらしい。最初に乗せた時も怖がっていたなと思い出す。


「本当にくるとは」


 優夜がぽつりと呟いた。


 優夜から連絡が来るより先に、鎌崎から「優夜と何があったのか」とメッセージが飛んできた。それに対応している最中、優夜から鎌崎の結婚式の花のイメージについての質問があった。

 メッセージを送るより話した方が早いと考えて居場所を尋ねれば、関西の島に居ると言う。火霜の個展を見に行っているらしい。

 じゃあ、と店の定休日と翌日に休みを取り、島へ向かった。八幡へ休みの連絡をすると快く承諾してもらえた。


「海だ」

「ここ、来てみたかったんです」


 瀬戸内海をクルーズ船で周り、うずしおを見に行く。断られるだろうと思いながら優夜を誘えば、行くという返答。


「優夜さん、船大丈夫なんですか?」

「乗ったことない」

「……やめときますか?」


 チケット販売機の前で止まる。その隣から、ピッとボタンを押された。


「物は試し」

「船酔いしても降りられないですよ」

「暁はしないから大丈夫だろ。クルーズの中で演奏してるくらいだし」


 そういうものなのか、双子は。

 朝臣は優夜からチケットを受け取る。

 乗船までまだ時間がある。優夜がふらりと匂いにつられて浜焼きや海鮮料理の方へと歩いて行く。

 本当に渦潮が起きているのかというほど、海は静かだった。


「朝臣、足湯ある! やってくる!」

「え、ちょっと待っ」


 止めるのも聞かず、優夜は行ってしまった。朝臣はその後ろ姿を見る。いつもの格好に、夏場のままに履いているのだろうサンダル。冬になったらスニーカーにシフトするのだろう。

 鎌崎に「何故優夜はいつも同じ格好なのか」を尋ねたところ、


「嫌でもドレスとかワンピースとかパンプスとか着たり履いたりするから、私服は配色を考えず着たいんだって。画家って派手な格好したがる人多いから珍しいわよねえ」


 他の画家を知らないので何とも言えないが、なるほどと頷いた。

 道の駅の隣に設置された足湯には誰もおらず、優夜はサンダルを脱いでちゃぷちゃぷと浸かりながら海を覗いた。平日の朝で、観光客は疎らだ。

 秋の日差しを反射して、きらきらと光る。その向こうに、何が見えるのか。


「あ、タオル、ない」

「だと思いました」


 後ろから声が聞こえた。朝臣が呆れた顔で道の駅で買ってきたご当地タオルを持っている。

 優夜の所持品は、財布と携帯のみ。携帯ですら先程車の中に置き忘れそうになっていた。


「用意が良い」

「足、置いてください」


 座椅子面にタオルを広げると、そこに優夜が足を置いた。それを包むようにして指先を拭う。


「ありがとう」

「細い」


 そう言って、朝臣は足の甲を掴んだ。片手で簡単に掴める大きさ。優夜が目を丸くしてそれを見る。


「やめろ」

「すみません」


 素直に謝る朝臣を見て、優夜は足を引っ込めて、サンダルを履いた。ちらちらと朝臣を見ながら静かに距離を取る。野生動物宛ら。


「優夜さん、もう時間なんで乗船場行きましょう」

「わかった」


 そのまま距離を取られるかと思ったが、朝臣の隣に並んだ。

 考えてみれば、あの頃は今では想像出来ないほど毎日一緒にいた。

 ケーキ屋へ行ったり個展について行ったり、文化祭へ行ったり。こうして二人で並んで歩くのが普通だった。

 クルーズに乗りこみ、一階のデッキの椅子に座る。優夜は波打つ水面を見つめ、その光景を目に焼き付けた。

 暫くして、館内放送がかかり乗客たちが屋内から出てくる。近くで渦の起こる海流を観て歓声をあげる。


「すごいですね」

「すごいね。自然を前にすると、人って本当に無力だと思う」

「その無力さに、魅了されるんじゃないですか?」


 花だとか、土だとか、海だとか、河だとか。

 朝臣の言葉に、手すりに凭れていた優夜が視線を向ける。


「朝臣もその一人?」

「そうですね。魅了される一人です」

「あ、いやあんたは魅了する側か」


 姿勢を直して優夜は穏やかに笑った。

 朝臣は何か返答しようとしたが、次の大きな渦潮に周りの歓声が湧き、全てが攫われた。帰路もまたデッキの椅子に座れば、優夜は器用に眠った。

 車に戻ると、優夜は先に助手席に座り携帯を見る。


「鎌崎が、朝臣に会えたかって」

「ああ、鎌崎さん」

「電話出て」

「え」


 携帯の画面を見せられ、ちょうどぱっと変わった。鎌崎と書かれたそれを反射的に受け取る。


「もしもし」

『あれ、朝臣くん?』

「携帯を渡されました」

『押し付けられたの間違いじゃない? でも優夜に会えたなら良かったわ。揉めずにやれてる?』

「どっちが運転するかの押し問答はありましたけど……」


 電話の向こうで盛大に笑う声が聞こえた。車のナビを操作していた優夜が、驚いて携帯を見る。


『で、どっちが運転してるの?』

「ジャンケンに勝った俺が」

『それが良いわ。優夜は助手席に寝かしときなさい』

「アドバイスありがとうございます。優夜さんに代わります」


 ちらと隣を見る。眠りそうな気配は無いが。携帯を渡せば、そのままぶつりと通話オフを押した。


「え、いいんですか」

「朝臣のこと聞きたそうだったから別にいい。朝臣はこのまま帰んの?」

「そうだ。鎌崎さんの式の話をしに来たんです……忘れてた」

「忘れんなよ」

「優夜さんはホテル戻りますか?」

「いや、チェックアウトしてきた」

「え?」


 朝臣は振り向いた。後部座席には誰も乗っていないが、優夜の持っていたA4が入りそうなトートバッグはあった。スケッチブックだと思っていたが、宿泊荷物らしい。


「じゃあ駅行って新幹線乗って帰ろ」

「はい」


 道の駅から出た二人は、島の道中で中華料理屋へ寄った。道端の、赤いのれんを出した店だった。未だ冷やし中華を出しているらしい。そのポスターを見ながら優夜は酢豚定食を、朝臣は麻婆豆腐定食を注文した。


「パイナップル入ってる。当たりだ」

「当たりなんですね」

「この前食べたホテルの中華料理には入ってなかった」

「この前も食べたのに、また中華で良かったんですか?」

「この前の中華は、酒飲みすぎて覚えてない」

「そんな、勿体ない……」


 絶対美味しかっただろうに、と思いながら朝臣は麻婆豆腐を口に運んだ。そこらのホテルの中華に負けず劣らず絶品だ。


「酢豚おいしい」


 同じタイミングで優夜が呟き、コップに水を注ぎに来た店員の年配女性が「ありがとうネ」と返答した。


「唐揚げも食べてネ」

「やったー、どうも」


 優夜と朝臣の前に唐揚げの乗った小皿を出してくれた。朝臣も礼を言う。


「その時は、鎌崎さんも一緒だったんですか?」

「そう。あとは久遠の、わたしの父方の家の人たちと」

「暁さんの」

「初めて会う人が居たんだけど、その人が結婚がどうとか鎌崎がどうとか言ってきてむかついた」


 朝臣は初めて聞く優夜の愚痴乃至本音に一瞬止まる。


「男性ですか?」

「女」

「ああ、だから酒を」


 呷るように飲んでいたのだろう。何となく朝臣には想像がついた。


「……まあこの話はわたしが言い返したから終わったんだけど。なんか思い出してむかついたから口に出してた」


 唐揚げを口に運ぶ。じゅわ、と鶏油が溢れる。その美味さに優夜の顔が綻ぶ。

 それを見て朝臣は笑みを零した。


「優夜さんは鎌崎さんのこと好きですね」

「心の友と書いて心友だからな」


 ふふん、と優夜が得意げに言った。



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