夜目遠目笠の内(後)


 この前はどさくさに紛れて告白をしたわけだが、優夜からその返答を貰ってもいなければ、その話が出てもいない。

 年の差が一生縮まることは無いが、朝臣はあの頃のように高校生ではない。

 そして極めつけはこの同室。


「優夜さん、鎌崎さんが気をつけて帰るように言ってました」

「んー」

「寝るならちゃんとシーツ……」

「そうだ。鎌崎の式のボード」


 ぱっと起き上がり、朝臣の横を通ってソファーに置いたバッグからスケッチブックを出した。やはり入っていた。

 ベッドに戻り、顔を見上げる。


「花のイメージ教えて」

「え?」

「それに合わせて、ウェルカムボード描く」


 その言葉に、朝臣は何故か泣きそうになった。


「朝臣?」

「俺、やっぱり」

「うん」

「絵を描く優夜さんも好きです」


 朝臣が笑う。ソファーに置いた荷物から花の資料を出した。

 それを優夜は見ていた。


「朝臣、ここ座って」


 隣をぽんぽんと叩く。朝臣は持っていこうとしていた椅子を手放し、優夜のベッドに腰掛ける。僅かに軋み、沈む。

 資料を開けようとしたのを止めた。


「いつも、わたしが落ちてるとき傍にいてくれてありがとう」


 優夜が朝臣の顔を覗く。

 どきりとした。

 たぶん、これから、返事をされる。


「いえ、そんな何も」

「あと好きって言ってくれてありがとう」

「おまけ感が……」

「わたしも朝臣のこと好きだ」


 目をぱちくり。二人は視線を合わせる。

 優夜のピアスがきらきらと揺れる。


「でも、れんあいてきな、けっこんとかの好きかどうかはちょっと、あやしい」


 全て平仮名だった。

 朝臣は黙ったまま優夜の言葉を待つ。


「好きな人間はいる。鎌崎とか暁とか火霜先生とか、来海先生も大家さんも好きな人間だ。でもそれは大事な人間って意味で、恋愛的な感情でわたしは人を見たことがない。昔から欠落してたのか、それとも久遠の家に行って色んな人間から声をかけられてその感情が閉まったのか、分からない。あんまり思い出せないんだ」


 一瞬見えた仄暗い瞳に、ぐっと堪える。

 誰に、何を言われたのか、想像もつかない。しかしその感情が失われたのでは、と思うほどの、何かを。


「でもね、朝臣を好きな気持ちは本当なんだ」


 微笑む。朝臣はそれを美しいと思った。


「それで良ければ、わたしの精神も身体も人生も全部あげる」


 明日も見えないこの先を。

 外は大雨で、本当に晴れるか分からない天気を。

 明けるかなんてわからない夜を。


「……半分でいいです」

「遠慮すんなよ」

「半分は、俺のを渡すので。随分優夜さんのよりは軽い人生ですけど」

「悪かったよ、重くてさ」

「その重さすら愛おしいです」

「な……」


 若干引いた優夜は溜息を吐きながら、泣きそうな顔をした朝臣の肩を抱き寄せる。

 いつもこの青年は泣きそうな顔をしている、と。同じくらい朝臣の前で泣いている自分は棚に上げながら。


「優夜さん、抱き上げて良いですか」

「無理だろ、重いから」


 鎌崎や暁とよく一緒に歩くので普段は気にしていないが、優夜は女性平均身長より高い。よって体重もそれだけある。

 朝臣は優夜の肩口からその顔を覗き込む。きょとん、という表情。


「出来るならやって良いってことですね」

「そんなことは、うわ」


 両腰を掴まれ、ふわりと身体が浮いた。すとんと朝臣の膝の上に着地する。顔を見合わせて、優夜は笑った。


「すご」

「うれしい」


 ぐ、と抱き寄せられ、骨が軋む程に抱き締められた。


「痛い痛い。つーか、それで良いの」

「あの頃から、俺は変わってないです」


 十八になったあの元旦、優夜に告白した夜からずっと。

 優夜が変わってしまうのだけが恐ろしかった。


「いや、変わっただろ」


 腕の力が緩み、優夜が少し離れる。朝臣は何が、と視線で尋ねる。


「運転が、上手くなったとことか」

「そこですか」


 ふ、と噴き出すようにして笑った。

 そうして大雨の夜は更けていった。




 朝臣は目を覚ます。開け放たれたカーテンの向こうから朝日が差し込んでいた。目を細めながら、腕を目元に当てる。近くで紙の上を鉛筆が滑る音がして、ゆっくりとそちらを向いた。

 優夜がいて、こちらを見ていた。

 驚き、目を瞬かせてから、上半身を起こす。


「お、はよう、ございます」

「もっと寝てて良かったのに」


 スケッチブックと鉛筆を持っている。

 何を描いていたのかは明白だ。


「寝顔を見られたくない女子の気持ちが分かった気がします……」

「乙女かよ。見る?」

「見……いいです、というか優夜さん、人間も描くんですね」


 言ってから、あの事件のことを思い出した。女子高生が自殺したあの件だ。あの頃の画集には少ないが、人間が載っていた。


「考えてみたら朝臣が寝てるとこ初めて見た気がしたから」

「え、そうでしたか」

「なんか天使みたいだなと思って、描いてみた」


 朝臣は口をパクパクとさせ、何か言いたげな、でも言葉にならないような、そういう表情をした。目元を赤くさせて。


「怒ってんの? そんなに嫌だったなら謝るよ、悪かった」

「照れてるんです!」


 はー、と溜息を吐いて、シーツから這い出た。

 昨夜は結局、鎌崎の式のコンセプトの話で盛り上がり、深夜も十分に過ぎた頃に寝落ちしていた。優夜が先に目覚めたのか、既に着替え終えている。


「朝ごはん食べて帰ろうよ。卵かけご飯食べたい」

「シャワー浴びてきます」

「んー」


 宣言通り卵かけご飯を食べられた優夜は満足した様子で、車に乗った。帰りの運転は褒められた朝臣がすることになった。

 エンジンをかけながら朝臣はふと疑問を口にする。


「その格好で個展に行ったんですか?」

「ううん。ちゃんとワンピース着てたけど、持つの邪魔だから一式送った」

「なるほど……」


 合理的な思考を持つ。これが無ければ、昨夜はホテルに泊まれなかっただろう。

 駅前でレンタカーを返して、新幹線の切符を買った。優夜は駅中のお土産屋で鎌崎から言い遣った土産をいくつか選ぶ。


「結構、鎌崎さんからのお土産に重量取られますね」

「だから自分の荷物は送ってる。朝臣、大家さんにお土産良いの?」

「今、爺ちゃん入院してるんです」

「え」


 目を見開く優夜に朝臣は掌を見せる。


「腰を悪くして、明後日には退院なんですけど。そんな大事じゃないです」

「そう……早く聞けば良かった。見舞いは嫌がりそうだけど」

「仰る通りで、俺もあんまり来るなって言われてます」


 近況を話しながら二人は家路についた。



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