一寒四温
「あ、朝臣くん。待っててくれたの」
スーツ姿の鎌崎が現れる。改札前で番犬のように佇む朝臣を見て、ふわりと笑った。
夕飯に鎌崎が加わるのは珍しいことではない。あの条件をつけた際、鎌崎も可能な限りここへ来ている。
「こんばんは」
「こんばんは、さっき優夜から電話あったの。悪い大人に良い様に使われちゃって」
「そうですね」
「あたしもその悪い大人の一人だけど」
並んで歩き出す。鎌崎はヒールも相まって朝臣より十センチ程背が高い。室内では殆ど同じ程だ。
他愛もない世間話から、話題は高校の授業へ。
「芸術って三年もある?」
「あります。書道、音楽、美術の選択です」
「朝臣くん、書道でしょう」
「……そうです」
わかりやすいか、と朝臣は苦笑した。
「鎌崎さんは美術ですか?」
今の仕事を考えればそうだろう。鎌崎は笑って答える。
「あたし音楽だった」
「意外です」
「作る方はねえ……白い紙に絵を描くのって難しいよね。いや、それを言ったら書道も同じか。難しくない?」
「書道はある程度決まりがあるので、それに比べたら……俺には絵を描く想像がまず、出来なかったです」
そうそれよ、と鎌崎が頷いた。
「芸術って特に、何を伝えたいかって大事になってくるし。それを自分で作って伝えるって、すごいよね。優夜の絵、いくつも見てたから尚更」
「優夜さんって」
それほどに、すごいんですか。
鎌崎は肩から落ちそうになった鞄を戻す。辺りは暗く、街灯がぽつりぽつりと点き始めていた。
「朝臣くんって優夜の絵、見たことない?」
「ちゃんとは……」
休日の涼しい時間帯に、花壇の淵にしゃがんでスケッチブックを持っているのは知っている。ちらりと見えるだけで、きちんと見たことはなかった。
それ以前に、朝臣は特に絵画に興味がない。今までも優夜がどんな絵を描いていたかなど、特に鎌崎へ聞くことはなかった。
「美術にしてたら、課題は優夜が描いてくれたかもよ」
「面倒くさがりそうですけど」
「んー、そうかな」
アパートの階段まで来て、鎌崎は美しく整えられた花壇をちらりと見た。朝臣がいつも手入れをしているから綺麗なのだ。
「どうしました?」
「……嫌になったら、すぐに言ってね」
後ろから階段を上がろうとしていた朝臣が首を傾げる。
「優夜の様子見るのも、あたし達と関わるのも。高校最後の年だし、勉強もあるし、友達と遊ぶのとか自分のやりたいこと優先してね」
「俺は、楽しいです」
きっぱりと言葉を返した。鎌崎は振り向く。アパートの灯りが朝臣を照らしている。
「今を選んで、ここにいます」
そんなことを言える大人は居るだろうか。自分の選択の上で、ここにいると。鎌崎は外身と中身のアンバランスさを慮った。
これからもそうであっていて欲しいと、そうでなくても良いのだと、相反する気持ちを抱きながら。
バタン、と扉の開く音がした。部屋の光が漏れて、そこから優夜が顔を出した。
「遅い、何だらだら歩いてきてんだよ」
「あ、すみません」
「良いじゃない。偶には男同士水入らずで話しても」
「……男?」
「朝臣、取って食われる前に逃げろ」
「何よ、人を野獣みたいに」
「え、鎌崎さんが?」
「それより早く上がれよ」
そう急かされて、二人は階段を上った。
夕飯を食べた後、鎌崎が持ってきたワインを出した。ギャラリーに直接火霜から贈られたもので、どうせなら優夜と共に飲もうと持ってきたものだった。
「言わなかったっけ? あたし男子高出身なの」
「聞いてませんし、俺が知ってる男子高ってどこも名門です」
「じゃあその内のどっかだな。鎌崎クソ優秀だから」
「優秀にクソとかつけないで」
ケーキの箱を持ってきた優夜に目を細める。はい、とその箱を差し出せば、怪訝な顔で鎌崎は見た。
「普通にケーキだよ」
「本当でしょうね」
「こんな疑り深い人間にはなりたくないな、朝臣」
同意を求めるように朝臣の横へと座った。それを見ながら、鎌崎は恐る恐るケーキの箱を開ける。そこまで警戒されるとは、去年の誕生日に優夜は一体何をしたのだろうか。
ザッハトルテを見て、顔を輝かせたところで、パアン! とクラッカーが鳴り響く。朝臣が家にあったクラッカーを持ってきたのだった。驚き固まった鎌崎の肩に乗った紙テープがはらりと落ちる。
「びっくりした……急に何なの」
「あ、誕生日おめでとう」
「鎌崎さんに伝えてないんですか?」
「知らなかったけど、ありがとう。だからケーキね」
「今日誕生日なんですよね?」
「明日よ?」
じ、と横の優夜を見る。この人にはこういうところがある。気まずい猫のように、明後日の方向を見ていた。
「あれそうだっけ」
「優夜さん」
「でもほら、明日は彼氏と過ごすんだろ」
「……うん、まあ……」
首元がほんのり赤くなり、優夜が揶揄するように笑う。
「鎌崎さん、彼氏いるんですか」
「彼氏、某有名ブランドシューズメーカーのデザインしてるから、今のうちに何がほしいか言っときな」
「変なこと吹き込まないで」
「玉の輿ですね」
「朝臣くん、優夜に似てきてない?」
「そうですかね」
言いながら、優夜が持ってきたワインオープナーでコルク栓を開けた。そのスマートな動きに鎌崎が目をぱちくりとさせる。
グラスにワインを注ぎ、おめでとうございます、と告げた。
「ありがとう……もしかして普段から飲んでる?」
「いえ、うち皆酒飲みなんで。覚えました」
「大人っぽいし、朝臣くんモテるでしょ。ね?」
ケーキを取り分ける優夜を見る。その視線を感じながら、さあ? と肩を竦めた。実際どうなのか、とその視線を横へ流す。
「……春に」
「待って、もしかして彼女いるの!?」
「鎌崎、煩い」
「告白されました。クラスメートから」
「付き合ってるの!?」
「いえ、断りました」
ええ、と鎌崎が声をあげる。
とりあえず乾杯、と優夜が朝臣のアイスコーヒーも注ぎ、三人でグラスをぶつけた。
「ザッハトルテ嬉しい、久しぶりにケーキ食べるわ。それで、なんで断っちゃったの?」
言及する鎌崎に、興味はなくテレビへと視線を向ける優夜。こういう場合、大人は助け舟を出してくれるものではないのか、と考えたが、優夜がそれに当てはまるとは思えなかった。結局、口を開くことになる。
「……将来が」
優夜のチーズケーキが端から崩される。
「……見えなくて」
手の付けられていないモンブランへと視線を移した。真ん中で鎮座する栗が艶々としている。鎌崎は空になったグラスに自分でワインを注いだ。
「進路ってこと?」
「まあ……そうですね。それに恋愛してる余裕も無いので、受験生ですし」
本当に伝えたいことをどうしたら伝えられるのか分からず、朝臣は曖昧に頷く。
「真面目ねえ……。根詰めて勉強しすぎてない? やっぱりもうちょっと優夜に似たほうが良いと思うわ」
「そんな完璧人間を目指すのは辞めとけ」
「あんたの怠惰さを朝臣くんに分けなさいって言ってるの」
呆れたように鎌崎が言った。戯けるように優夜が肩を竦めてみせる。
将来が不安だ。この前の夜のように、優夜へ「春が好きか」と尋ねたときのように、口にして伝わったら良いのに。
しかし優夜は朝臣の話題には触れず、今は鎌崎のザッハトルテの真ん中部分を狙っている。その攻防戦へと状況は移り変わっていた。
「あんたチーズケーキ一口も寄越さないで……! あ、朝臣くんも栗狙われるわよ!」
「え? ああ……、あ」
鎌崎の言葉に手付かずのモンブランへと視線を向けた。その時にはもう、栗は優夜のフォークへ奪われていた。
その腕の先を見る。数秒、優夜と視線が合った。色素の薄い茶色の瞳。ちょうど母音の形に開いていた朝臣の口に、栗が押し込まれる。
反射的に口が閉まり、咀嚼した。
「ちゃんと食べて大きくなれ、少年」
栗がほろりほろりと舌の上で広がる。得意げに笑う優夜に頷き、モンブランを食べ進んだ。
優夜にとって、朝臣は少年なのだ。もう二年もすれば成人するのに。
フォークを置いてワインを口に含む優夜。鎌崎もその二人を見て、はっと思い出した。
「そうだこれ、火霜先生から」
固そうな革のバッグから取り出したチケット。今週末から開催される火霜の原画展だ。都内の美術館で行われる。ちら、と優夜はそれを見てテレビへと視線を向けようとした。
「優夜に、よ」
「暇があったら行く」
「暇ばっかりでしょう」
鎌崎の誕生日を祝う暇があるのなら、招待された展覧会くらいには行かねば。描いていない優夜が火霜から未だ声をかけてもらっているのは火霜の慈悲と奇跡としか言いようがない。
久遠の家と縁の切れた優夜の価値を知ってくれている、一人だ。
優夜の絵を売る人間として、鎌崎はそれを失うことはしたくない。信用と諂媚はセットだ。ここで生きていくには。
面倒くさそうに優夜がチケットへ視線を戻す。
「あ、朝臣も行こうよ、勉強の息抜きに。わたしの怠惰さ必要だもんな」
「え」
「朝臣くん巻き込むのやめなさいよ」
「ここの美術館の庭園、有名庭師が手入れしてるよ。しかもテラスでお茶飲める」
「え」
二度目の声には期待が漏れた。鎌崎もそれに気付き、朝臣を見る。
「じゃあ朝臣くんの分も。友達とかはどう?」
「香波も誘ったら来んのかな」
「香波……?」
「朝臣のクラスメート、女子、土暮香波。この前仲良くなった」
どうして仲良くなるきっかけがあるのか。優夜の生態は謎である。
「……土暮です。告白されたの」
朝臣の言葉に二人が顔を向けた。
「え、あのハードル女子から?」
「ハードルやってるの?」
「陸上部です。今は普通に友達です」
「青春ねえ……」
「今月はたぶん土日部活だと思います。夏に高校生大会があるんで」
朝臣の高校はどちらかといえば運動部の方が盛んで、中でも陸上は群を抜いている。その中で香波は選手として選ばれていた。
学校でも香波は明るく親切だ。男子の中でも票は高い。普通に話すことはあっても、好意を持たれていることには気付かなかった。
大人っぽいというか、鈍いのだろう。朝臣はそう結論づけてフォークを置いた。
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