第1話 黒の魔法使い


 黒の魔法使い。

 最近、街で噂の正体不明の魔法使い。


 黒いローブに黒い服を全身に纏った彼は魔法使いにも関わらず杖を持たない。本当にいるのかどうかも怪しい。


 しかし、モンスターとの戦闘中に、彼に助けられたと語る数少ない目撃情報は上がっていた。


 そんな彼の正体を考察するのが、今の『ゴーカ』の流行であった。


 一つ、彼はまだ若い男である。

 二つ、彼の黒服のボタンは全てが金のため、かなり裕福な貴族だと考えられる。

 三つ、彼は魔法を使用時、杖ではなく札を使う。


 以上、三つの有力な目撃情報から察するに彼の正体は『新たな魔道具の実験をしている貴族の男』という考察が街に浸透していた。 


 しかし、その噂が街に新たな謎を生まれさせた。


 モンスターが出現するような危険地帯にいたのは、新たな魔道具の実験だと説明はつくが何故モンスターと闘っていた冒険者たちを、リスクを冒してまで助けたのか?


 貴族なら金もあるし、モンスターを実験用として買った方がわざわざ森に行くよりも効率的ではないのか? 


 万が一のため、常に護衛を付けているのが貴族なのだが、誰かその護衛の姿を見たのか?


 仮に、本当に貴族ならば……そんないくつもの疑問を誰もが抱えたまま、現在この街は廻っている。


 しかし、誰もがその脳の奥のひっかかりを外そうとは思っていない。


 噂はあくまで噂。

 それに仮にもし、その噂が真実だったとしても、自分に関係がある訳ではない。


 所詮は娯楽。

 所詮は流行。


 誰もが誰も、周りに合わせて同じ話題に興じているだけであって、彼の正体を心から暴きたいと思う人物は、そうそういないだろう。


 もし、そのような者がいるのならば、その者はよほどの変人か暇人。もしくは、何かしらの絶対に彼を見つけたい理由がある者ぐらいか。





「私、彼を探すわ」


 豊かな自然に囲まれた街『ゴーカ』のギルド内の酒場の一角にて。

 とある少女の口から抑揚のない声が放たれた。


「彼、とは一体誰のことだ?」


「詳しく話してくれない? ミレア」


 ミレアは共にテーブルを囲んでいたパーティーメンバーの二人に無表情の顔を向ける。

 

 その動きはどこか無機質的で、まるで等身サイズの人形が動いているようだった。絹のような滑らかな長い白髪に、どこか神秘めいた作り物のような端正な顔立ちと大きな瞳。雪のように白い肌はとても平民には見えず、どこかの箱入り娘のようにも見える。出るところは出ており、それに比例するように引っ込むところは引っ込んでいる。スラリと伸びた手足は冒険者とは思えないほど細い。しかし、そこには無駄な脂肪はなく、あるのは引き締まった筋肉のみだということは、見る者が見れば一目瞭然だった。


「私、最近モンスターが強くなってきたと感じるわ」


 冒険者の彼女たちは普段、ギルドに張り出されるクエストを受注し、成功した報酬で生計を立てている。


 褐色の肌に男顔負けの逞しい筋肉を持ちながらも、女らしい身体を持つアマゾネスの前衛、戦士のローズ。


 パーティーメンバーの戦闘のサポートや参謀の後衛、ぶかぶかのローブを引きずりながら生活している魔法使いのリータ。


 そして、魔法で遠距離攻撃や近距離戦闘も行え、前衛と後衛、状況に合わせて戦う魔法剣士のミレア。


 バランスの取れたパーティーだった。そんな彼女たちでさえも、最近はモンスターに苦戦することが多くなっている。


「確かに……怪我をしている冒険者が最近多いな」


 自分たちの周りを見回したローズは、差異はあれど、怪我を負っている冒険者が多いことに気がついた。その怪我が関係あるのか、クエストに失敗したパーティーが異様に多い。


「そう言えば最近、クエストに行ったきり戻ってこない冒険者も多いわね」


 冒険者にはランクが存在し、分不相応のクエストは受注できないシステムになっている。


 このシステムは、冒険者がクエスト中に死亡することや怪我を負うことを抑制する働きがあるのだが、そのシステムが働いているにも関わらず、ここまで怪我人が出ているのは異常事態だった。


「あれ? じゃあ、ギルドが全体的にクエストのランクを上げればいいんじゃないの?」

「私、それだと冒険者の間で争いが起こると思うわ」


 リータの疑問に答えたのはミレアだった。


「私、それだと明らかに低ランクのパーティーがクエスト受注で不利になると思うわ。自分たちが受注できるクエストが大幅に減るのだから。


 もし、見つけたとしても今度はそのクエスト同士の取り合いで冒険者同士の争いが起こる。ギルドはそのことを考慮して、クエストのランクをあえて上げていないんじゃないかしら」


「「ミレア、そんなに一気に話せたんだ……」」


「?」


 二人のパーティーメンバーが驚いている意味が理解できなかった。


 普段、無表情で無口なミレアは、一瞬呆けたような表情になると頭を傾けた。ギルドの扉が開かれたのはその時だった。


 入って来たのは一人の青年だった。

 普段なら、誰も彼のことを意識しなかっただろう。


 しかし、彼の恰好が周りの視線を無意識的に集めていた。その視線の中には、ミレアのパーティーメンバーの視線も含まれていた。


「あの恰好もしかして……」


「噂の黒の魔法使い……?」


「…………」


 青年は酒場のテーブルに着くと、店員を呼び出し、メニューを注文した。そして、店員がテーブルを離れると、


「よし、私が確かめてこよう」


「待って、誰か彼に近付いていくわよ」


「おう兄ちゃん、その恰好もしかして噂の黒の魔法使いのつもりか? なんでも杖を使わねぇみてぇじゃねぇか。なんならその珍しい魔法を見せてくれよ、黒の魔法使いさんよ?」


 一人の男が青年に絡み始めた。男の手には酒が入った瓶が握られており、顔は薄っすらと赤らんでいる。足はおぼつかず、呂律も少し怪しい。


「……黙れ」


 酔っ払いを一瞥した青年は一言、そう言い放った。


「ああッ! なんだとコラッ!」


 ギルド中に響き渡るような荒々しい大声だった。

 今の男の怒鳴り声でギルド中の人間たちの視線が二人に集中する。


「よし、ここは私が彼を助けて恩を売っておこう」


「ちょっと待って、あの男は——」


 誰に言うでもなくローズが呟くが、それをリータが反射的に止めた。


 その言葉を最後に、噂の黒の魔法使いの恰好をした青年と、酔っ払いの冒険者の男を中心に沈黙が場を支配する。


 先に口を開いたのは、冒険者の男だった。彼はところどころ、ヒックとしゃっくりを挟みながら、


「テメェよ、この俺が誰だか知ってんのか? 俺はランクB冒険者のガルマさんだ! 分かったらさっさと謝りやがれ!」


「…………」


 ガルムの言葉に対し、青年は沈黙を貫き通す。しかし一方、椅子から腰を浮かそうとしていたローズは尻込みをしてしまった。


「ちっ、ランクBか……」


「相手が悪かったわね」


 冒険者のランクは低い方からE、D、C、B、A、Sの六種類が存在する。


 ガルマと名乗った酔っ払いの冒険者は彼の言っていることが本当ならランクはB。


 ベテラン冒険者と言ったところだ。誰でも初めはランクEから始まる。そこからランクBに昇り上げたということは、それ相応の荒事を経験してきたということだ。


 ちなみに、ミレアたちのランクはD。全部でランクが六種類しかないということは、ランクが一つ違うだけで、そこに絶対的な力の壁が存在する。


 ランクDとランクB。ランクが二つ違えば、決して逆立ちしても敵わない。


 それが荒くれ者たちが集う冒険者の世界だ。


「ほら立てや、やんぞコラッ!」


 実力があれば少しの問題事は多めに見てもらえるのも冒険者の特権だ。


 ランクBの冒険者はそうそういない。大抵の冒険者はランクC止まりで肉体の老いに敵わずに引退を決意する。


 稀にランクAやSといった者が現れるが、そんな者は余程の天才か伝説やおとぎ話の勇者ぐらいだ。


 ガルムの歳はまだ二〇代後半程度。その歳でランクBに上り詰めた彼は紛れもない実力者だった。


 ガルムのランクを知ってから、青年を助けようとする者は誰もいなかった。


 触らぬ神に祟りなし。


 これからも冒険者として、同じギルドで働いて行くには、ランクが上の者には逆らってはいけない。それが暗黙の了解だ。


 青年を助ける者は既にもういない。しかし、これはミレアたちにとって、好機でもあった。ローズは小さな声で、


「もし、あいつが本当に噂の黒の魔法使いだったら、あの酔っ払いを倒せるんじゃないのか?」


「でも、私と同じ魔法使いでしょ? 魔法使いは後衛の職業よ。ランクBの冒険者にあんな近距離で闘えるとはとても思えないけど……」


「私、そうは思えないわ」


 考え込むように顔を下げるリータにミレアが口を開く。


「噂の黒の魔法使いが目撃される時は、いつでも一人でいる時よ。つまり彼はソロ。本物なら近距離にも対応できる技術を持っているはずだわ。それに彼は普通の魔法使いとは違い、おかしな札を使う」


 ゴクリっ、とローズとリータが唾を飲み込む音が響き渡る。

 三人の視線がガルムと青年へと戻される。


「オウっ! ホラ立てやっ! どうしたんだコラっ!」


 シーン、と静まり返った酒場には、ガルムの怒号だけが飛び交う。


 誰もが次に二人が起こす行動に目を外せなかった。


  誰もが心のどこかで期待していたのだ。もし仮に、本当に彼が噂の黒の魔法使いなら、傍若無人の高ランク冒険者を一泡吹かせられるのではないかと。


 そしてついに、青年が動いた。

 その青年の行動に、一同の目が全て丸くなる。


 彼は椅子から静かに立ち上がると、周りを一度見まわし、空いている他のテーブルへと移動したのだ。


 そして、ローブの中から取り出した短剣を静かに磨き始めた。


 まるでそれは、自分の職業は魔法使いではなく、盗賊であると主張しているようにも見えた。


「ああ? なんだテメェ、噂の黒の魔法使いじゃねぇのかよ。紛らわしい恰好しやがって……ちっ、興が冷めちまった。今回は見逃すが、次はねぇからな! 覚悟しとけよコラッ!」


 その捨て台詞を吐いたガルムは、その場からドカドカと足音を鳴らしながら離れると、追加の酒の注文をするため、近くの店員を捕まえた。


 緊張の糸が切れたのか、ギャラリーたちの口が次々と開いて行く。そこから出て来る言葉は青年に対しての罵詈雑言だった。


 絡んだのはガルムだが、それは青年がよりによって噂の黒の魔法使いの恰好をしていたからだ。


 一瞬だが、期待してしまった冒険者たちは裏切られたような気持ちになっていた。


「な~んだ。あいつ、噂の黒の魔法使いじゃなかったのか」


「まあ、噂は噂だからね」


「…………」


 ローズとリータがそれぞれ落胆の声を上げる中、ミレアはじっと青年から視線を外さなかった。


 彼女たち以外にも声量を元に戻した冒険者たちの声が聞こえてくる。そしてポツリと、


「ぬか喜びさせやがって」


 誰が言ったのかは分からない。しかし、その言葉は他の言葉の波に消え、また新たな言葉が青年に掛け続けられた。

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