第9話 図書室

 リュートたちはアヴァレルキヤ内に用意された寝室で待機していた。


 窓から見える空は漆黒に染められており、探索によって疲労した身体を休めるために睡眠を取る時間だった。


 一パーティーにつき一部屋が用意されており、そこに男女の隔てる様なものは用意されていなかった。


 室内には二つしか用意されていなかったベッドだが、それを合わせてギリギリ三人の少女たちは所狭しと見を寄せ合い、一方リュートはソファで一枚の毛布に包まって背中を丸めていた。


 探索は終わり、結果は成功。超古代の遺跡を人海戦術で隅々まで調査したが、全てのパーティーがモンスターや生物を一体も目撃しなかったと言う。


 つまり、超古代の遺跡には危険生物は存在せず、学者たちが安心して調査することが可能と言うことが証明された。


「……はあ〜」


 ベッドの方から深い溜め息が聞こえた。


 この声はリータか?


 すやすやと寝息を立てて眠る二人を起こさないように、ゆっくりと上半身を起こした彼女は物音を立てずに部屋から出て行った。


 本来、アヴァレルキヤの部外者である冒険者たちは一人の例外もなく、許可なく部屋の外へ出ては無断外出で処罰されるはずだが……、


「…………」


 リュートはリータの跡を追った。


 扉を開け、長く続く廊下にリータの姿を確認する。


 月明かりだけが廊下をぼんやりと照らし、コツコツと言う足音が静まり返った深夜のアヴァレルキヤに響き渡る。


 ……こんな時間にどうしたんだ?


 盗賊の職業を活かして姿を隠しながら、彼女の尾行を開始する。


 最初から目的地が決まっているのか。リータは早足で移動を続けた。


 トイレという可能性もあったが、それなら部屋に用意された簡易トイレがある。一体どこに向かっているんだろうか。


 しばらく尾行を続け、不意にリータの足がとある部屋の前で止まる。彼女が入室したのを確認したリュートは扉の前まで移動した。


 扉に耳を当てて中の状況を確認しよと試みるも、聞こえてくるのは一定間隔で鳴るリータの足音だけだった。


『図書室』と書かれた看板を一瞥して静かに中へと入る。


 天井から差し込む月明かりがぼうっと室内を照らしていた。


 ずらりと縦に、横に。数百、数千、それ以上かもしれない巨大な棚が並べられており、図書『室』というよりも図書『館』という言葉の方が正しいだろう。


 魔法使いは知恵者。それを育成する学院の図書室はまさに知識の宝庫。


 部屋には無数の階段があちこちに設けられているのに気付き、リュート自身、見ている光景はこの図書室の一部に過ぎないことを自覚する。


 しばらく圧巻されていたリュートだったが、はっと我に返る。リータの姿は見えなくなったが、足音や気配を頼りにその方向へと歩を進めた。


 数多の階段の昇降を繰り返し、リュート自身、自分の現在位置が図書館のどの辺りなのか分からなくなっていた。入室した階よりも高いような気もすれば低いような気もする。


 見上げれば、どこまでも続く本棚の壁が静かに自分を見下している。見下せば、どこまでも続く本棚の穴が自分を見上げている。


 得体の知れない気持ち悪いものに見つめられているような感覚を覚えたリュートは、眉を顰めながらもリータの尾行を続けると彼女が『関係者以外立入禁止』と書かれた扉の奥に消えて行くのを目撃した。


 その部屋には、月の明かりは届かず真っ暗な闇が潜んでいた。リータは小さな光を杖の先に点灯させる。


 こじんまりとした部屋には、外の図書室とは打って変わって棚が一つしかなく、リータは杖の先を棚に並べられてある本の背表紙を次々に照らしていく。


「……え? ……どうして?」


 一通り本を照らし終えたリータが困惑の声を漏らした。そしてもう一度、本を一から照らし出す。そして、もう一度。もう一度、もう一度、もう一度。


 本の数はそこまで多くない。しかし、リータは目当ての本が見つからないのか、何度も何度も同じ作業を繰り返した。見つからない本に次第に焦りの色を浮かべ始めた。


「嘘っ! なんでなんでなんでっ! 何でないのよっ! ここにあるって、お爺様が前に言っていたのにっ!」


 悲鳴にも似たその声には絶望の色が孕まされているようにも感じられた。


「騒がしいぞ、図書室では静かに読書をするものだと教わらなかったのか?」


「「ッ⁉︎」」


 突然の声に、リュートとリータは同じ方向を向いた。声のした方には暗い闇があるのみ。いや、その奥に誰かがいた。


 こんな真夜中に、『関係者以外立入禁止』の部屋に。その誰かはゆっくりと闇から這い出るように姿を表す。


 ……あいつはッ!


「あなたはッ!」


 姿を表したのは銀髪の青年だった。キリッとした鋭い目をした、自らを英雄と呼ぶ男。


 案内人は一冊の本を手に、闇から姿を表したのだった。


「ちょうど今読み終わったところだ。ほらっ、ここにある本は他のものと違いどれも重要度が高かったり裏の歴史に関わるものだからな。機密文書は持ち出さずにここで読んでおけ」


 案内人は手に持つ本を差し出すが、しかし、リータはそれに手を伸ばさなかった。


「……どうして私にその本を渡すの? 私があなたの言うことを素直に聞くとでも思っていた?」


 今回行われた遺跡探索の際、リータの一時的暴走を止めたのは他の誰でもない案内人だ。その彼が素直に彼女に本を渡そうとするのだから、案内人の行動には確かに疑問を感じる。


「なに、話の分かる保護者が影からお前のことを見守っているんだ。俺はそいつの理性は信用しているんでな」


「えっ?」


 ちっ、バレていたのか。


 物陰に隠れていたリュートは無駄な抵抗はせずに、素直に彼女らの前へと姿を表した。


「黒の魔法使いっ⁉︎ あなた、いつから⁉︎」


「部屋を出てからずっとだ。他の二人は大人しく寝ているから安心しろ」


 驚きを隠せないリータは口をパクパクと開閉を繰り返す。


 リュートはリータと案内人の間に割って入ると、彼の鋭い眼光を目の前で見据える。


「これだけはハッキリさせておきたい。案内人、お前は本当にアヴァレルキヤ側なのか?」


「ほう、それはどういうことだ?」


「お前は謎が多過ぎるんだよ。アヴァレルキヤに所属しているはずなのに、アヴァレルキヤの思想に染まっていなかったり『空の力』の存在を知っていたりと。違和感を挙げればきりがない」


 もしここで案内人に襲われればリュートとリータは確実に助からない。『関係者以外立入禁止』の部屋に入った、という大義名分が案内人にはあり、アヴァレルキヤ側の人間ならば、こんなに機密情報が集まった部屋への侵入者は容赦なく殺害するだろう。


 しかし、彼はそれをしない。しないどころか、情報を共有しようとしている。


 案内人が分からない。敵か味方か、せめてそのどちらかだけでもいいから知っておきたい。


 …………いや、待てよ。そもそも何でそんな重要な部屋に簡単にリータは入れたんだ? 普通なら鍵を掛けておくはずだよな? 案内人が先に入っていたのなら、おそらく鍵を外したのが彼ならば、何故こいつは鍵を掛けなかった? もしかして……知っていたのか、リータがこの部屋を訪れることを。


「つまりは、そういうことだ」


 リュートの表情の変化から読心術でも使ったのか、案内人はそれだけいうとリータに本を押し付ける。


「さて、ここの鍵を持っているのは俺なんだ。読むんだったらさっさと読んでくれ。お前が読み終わらなければ俺が帰れないんでな」


 その本は一見すると、外の図書室に何万冊とあるのと同じような特別性の見当たらない本だった。


 これが本当にリータの探し求めていた本なのだろうか、とリュートは表情を曇らせるが、それとは対比するようなリータの表情を見て、だったのだと理解する。


 題名は『大魔導士・ガンマの大冒険』といかにも創作的、娯楽的な雰囲気の漂うものだった。


 リータ越しに中身を覗いて見てもそこにあったのは、ガンマという魔法使いの冒険譚をおもしろおかしく記したもので、先ほど案内人が言っていた、重要度の高さや裏の歴史に関わるような文章は確認出来ない。


 熱心に熟読するリータにかわって、リュートが首を傾ける。


「保護者、お前はこっちに来ていろ。暗号を解きながら読書をするのは少々骨が折れる」


「……暗号だと?」


「重要な本をこんな鍵一つで開く扉で守ると思うか? それにあれは普通に読めばただの娯楽本に過ぎない。


 規則正しい法則で読まなければ、本当のメッセージを読まれる心配はないという意味だ。まあ、アヴァレルキヤも今のじゃじゃ馬娘と同様に長年解読出来ずに頭を悩ませていたらしいがな」


 本から外されたリータの視線が案内人を捉える。


「あなたはその暗号を解読出来たっていう訳?」


「ああ、今日ようやくピースを見つけてな。なに、俺だって早く帰りたいんだ。単刀直入にいうと……お前が遺跡で見せたレリーフだ」


 その瞬間、リータは急いで手荷物の中にあったレリーフを取り出した。確かあれは、リータの祖父の遺品だと聞いただけだが……っ! 


「裏面の数字の羅列っ!」


「正解だ」


 興奮気味に答えたリータに、案内人はパチパチパチっと、軽い拍手で応える。


 たったあの一瞬で覚えていたというのか? あれだけの数字を。


 リータに聞いても意味が不明だった謎の数字の羅列。反対面のインパクトの強さにすっかり忘れていた一〇桁を超える謎の数々。


 まさか、この本の暗号を解く鍵だったとは……いや、待てよ。


「レリーフとこの本は初めから二つで一組のセットだったということか?」


 そもそも暗号とは、対象の人物以外に見られてもメッセージを理解出来ない様にしたものだ。レリーフだけがあっても無意味。本だけがあっても無意味。


 どちらか一つが欠けた時点でそれはただのガラクタに様変わりする。それでは意味がないのだ。


 レリーフの裏に数字を刻んだ人物と『大魔導士・ガンマの大冒険』の著者は同一人物ということになる。レリーフはリータの祖父が所持していたらしいが、


「リータ、その本『大魔導士・ガンマの大冒険』の著者の名前はなんて書いてある?」


「……ガンマ……ガンマ・マジュキュエル」


 そして、前に聞いたリータの本名。リータ・マジュキュエル。先程から思考の隅に見え隠れしていた一つの可能性が浮上し、確定する。


「つまり、お前の爺さんってことか……案内人、全てを話してもらうぞ。暗号の内容も、お前の目的も!」


 一度に手にした情報量が多過ぎる。目の前の案内人と違い、リュートとリータは長い時間部屋を空けていれば、それだけリスクが増えていく。短時間でこの情報量を整理するのは容易なことではない。


 だから、リュートは求める。全てを知った案内人の答えを。リュートたちよりも遥かに早い時間帯に暗号を解き、全ての情報を整理する時間を持っていた回答者に。


 リュートを一瞥した案内人は、フッと小さく笑う。


「そうだな、まあいいだろう。さて、まずは何から話すk――」


『異常事態発生! 異常事態発生!』 


「な、なにっ⁉︎」


 リータが小さな悲鳴を上げる。


 案内人の言葉を遮るかのように、アヴァレルキヤ全体に響き渡るようなサイレンがけたたましく鳴り響いた。


『冒険者二名が無断外出を決行! 直ちに以下二名を捕縛せよ! 名前はリュート、リータ! 名前はリュート、リータ! 繰り返す――』


「チッ、バレたか。それにしても他人を脱獄犯みたいに言いやがって」


 呼吸と心臓の鼓動が爆発的に早くのなるのを感じたリュートだが、小言が僅かな冷静さを表していた。


「これで二度目だな。どうやらこの世界は、俺とお前の会話を嫌っているらしい」


 フフフッと、冗談混じりの案内人をその場に残し、リュートとリータは図書館からの脱出を急いだ。

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