第1話 空腹の魔法使い

 ギルドに着いたリュートは中に入ると、辺りを見回す。


「お〜い、リュート~、こっちだこっち〜」


 酒場の方にいたアマゾネスのローズがリュートに向かって大きく手を振った。


 その両隣には、複製人間のミレアとぶかぶかローブを着た魔法使いのリータがちょこんと座り、朝食を食べている。


「早いな」


「そうか? まあ、今日はクエストが久しぶりに発注されるからな」


「あんたが遅いのよ、黒の魔法使い」


「……リータ、彼はリュートよ」


 ふんっ、とミレアの指摘にそっぽを向くリータ。それは彼女が未だに、リュートがパーティーメンバーとなったことを断固として拒否する姿勢を貫いた結果だった。


 森のモンスターたちが自分の縄張りを離れる異常事態。そして、ギルド長であるグリッドの謎の失踪。


 この真相を知る者は既に他界したグリッドや囚われていたドラゴンを除いて、当事者であるリュートとミレアの二人しか存在しない。


 何も知らないリータからしてみれば、リュートという存在はミレアを騙し、美少女しかいないパーティーを自分中心のハーレムパーティーにしようと企む女たらしという見解らしい。


「いいことっ、黒の魔法使いっ! 私はあんたをパーティーメンバーとは認めないからっ!」


「その台詞は死ぬほど聞いた」


 あれから数週間が経過した。このゴーカの街で起こった森の異常事態は結局のところ原因は不明はままだが、現在では普段通りの森に戻ったということで、ギルドが停止していたクエストの発注が、本日をもって再開されることとなった。


「それにしても凄い人数ね。私、この人混みに酔いそうだわ」


 次から次へとギルドに入ってくる冒険者たちの流れは止まらない。まるで祭りでもあるかのような熱気が空間に充満していく。


「いやいやバイトをしていた冒険者たちが、久しぶりに冒険者らしくギルドで稼げるんだ。やる気が漲っているんだろうな! 私たちも負けられないぞ〜!」


 ローズもその一人。毎日毎日、誰にでも出来るような安いバイトをしなければならない、と少し前まで嘆いた。しかし、そんなローズと真逆の反応をリータが示す。


「まっ、私はどっちでもいいけれど。出来れば楽な依頼をしましょうよ」


「なんだリータ、テンション上がらないのか! 冒険だぞ、久しぶりの冒険だぞ! バイトから解放されるんだぞ!」


「私は異常事態の間、バイトはやっていなかったからどうでもいいの。そもそも私は知性の塊である魔法使いよ、バイトなんてしている時間があったら魔法の研究でもしているわ」


 その発言に、リュートは眉を顰める。


「じゃあどうやって収入を稼いでいたんだ? 金がなければ飯も食えないだろう?」


 しかし、リータの反応はぷいっと顔を背けるだけだった。そんな彼女の反応を見て、昔から彼女のパーティーメンバーだったローズが驚愕の表情を浮かべる。


「リータ、まさか……ミレア!」


「私、了解したわ」


 言い終わるよりも早く、リータの背後に移動したミレアは彼女を羽交い締めして、その場に拘束する。


「なっ、なによっ⁉︎ ミレア、離しなさい!」


 現在の自身が置かれた状況にあたふたと困惑しているリータにローズがゆっくりと近付く。そして、


 バサッ‼︎ と。


「キャアアアアアァァァァァッ‼︎‼︎」

 

 赤面したリータが甲高い悲鳴を上げて座り込んでしまった。ローズがローブごとリータの服を勢い良く捲ったのだ。


 服によって隠され、露わになった彼女の腹部には一切の贅肉が存在しなかった。だからと言って、ガリガリで女性らしさが損なわれているかと聞かれればそう言うわけでもなく、指が触れれば貼り付きそうな程に水々しい肌と包み込むような柔らかそうな質感は、男なら是非一度は触れてみたい、そんな欲望を掻き立てる。


 見る角度によっては、全く鍛えていないであろう腹筋がうっすらとその姿を表す。そんなスレンダーな腹だった。


 ギルド内には冒険者たちの雑踏のおかげで周りには気付かれなかったリータは、バッ‼︎ と服を戻すと、捲った張本人であるローズとそれを目の前で目撃した唯一の男であるリュートに向かって殺意を込めた眼光を向ける。


「い、いきなりなにするのよっ!」


「リータ! また無理な食生活を続けていたな!」


「……ミレア、どういうことだ?」


 被害者であるはずのリータが加害者であるはずのローズに激昂されている不思議な光景に理解が追いつかないリュートは、共犯者のくせに我関せずといった感じで朝食を再開させたミレアに説明を求めた。


「リータ、前に魔導書を買ったの。その時は魔導書を読み尽くすために部屋に籠ると言って、しばらく私とローズだけでクエストを受けていたわ」


「……それで?」


「久しぶりに私とローズでリータを訪ねた時、彼女は死にかけていたわ」


 …………死にかけていた?


「魔導書に載っていた新しい魔法を失敗したのか?」


「いえ、餓死する寸前だったの」


「は?」


 ミレアが何を言っているのか理解出来ず、間抜けな声を上げてしまったリュートに、お叱りモードのローズが細く説明を加える。


「この自称、知性の塊(笑)のバカ魔法使い、魔導書を買う際に全財産をはたいたらしくて何も飲まず食わずで倒れるまでずっと魔導書を読んでいたんだよ。


 私とミレアが部屋に行くのが数日遅れていたら、冗談抜きで餓死していたんだ。それにその月の家賃も払えなくて追い出される寸前で、急いで私たちが立て替えたんだよ」


 なんという無計画……以前の俺でもそこまでじゃなかったぞ……。


「なあローズ、リータってもしかしてバカなのか?」


「ああ。一応、参謀とか名乗っているが、それだって魔法使いは頭がいいってイメージで名乗っているだけで、実際のところは戦闘民族のアマゾネスである私よりもバカだ」


「さ、さっきから黙って聞いていれば〜

っ!」


 起き上がったリータは床をダンダンッ! と地団駄を力強く踏みながらぶかぶかローブをバッサバッサ! とはためかせる。


 どうやら一方的にバカを連呼されたことに、相当怒っているらしい。


「私だってちゃんと学習しているわよ! だから生きているじゃない! 毎日、最低でも一日一食は米なし薬草粥を食べていたわよ! 文句ある⁉︎」


「あるわ、このバカ魔法使い! それはただの煮込んだ草だ、バカッ!」


「あっ、またバカって言った! 二回も言ったぁ!」


 いつもと同じように、わーわーぎゃーぎゃーと騒ぎ出すリータとローズ。


 一方、朝食を食べ終えたミレアはメニュー表を見ていた。


「ミレア、まだ食べるのか?」


 別に女だからと言って、多く食べるのは悪いことではない。ただ、ミレアに対してそこまで胃袋が大きい印象がなかったのだ。そんなリュートの問いにミレアは首を横に振った。


「私、もうお腹いっぱいだわ。これはリータの分よ。彼女、きっとあれだけじゃ足りないだろうから……」


 そう言ってミレアが目を向けたのは、リータの朝食だった。そこにあったのは、定食や主食とは遥かにかけ離れた小さな小さな小皿だった。


 葉のような野菜が申し訳ない程度に載ったサイドメニューだ。ミレアの開いているメニューを覗き込むと、この酒場で一番安い料理となっている。


 これを単体で食べているのだとしたら、まるで虫の食事だ。おそらく、この値段なら子供の駄賃でも買えるだろう、という程の安さだ。


「はあ……仕様がないか……」


 リュートは小さな溜息を吐いた。そして、財布の中を確認する。


 本人はダイエットしている訳じゃないし、痩せようと思って痩せている訳でもないしな。


「わかった、俺も奢ろう」


「本当? 助かるわ。じゃあ私、この一番量の多い料理を選ぶわ」


 とミレアは、近くを通りかかった定員を捕まえて注文する。


「そういうことなら、私も奢ってやるか。いくらバカと言ってもパーティーメンバーだしな、死なれたら困る。私はこの一番高い料理を頼む」


 どこか素直じゃないローズも注文を終え、食事を奢ってくれる三人に申し訳なさそうな眼差しをリータは向けた。


「リュート、決まった?」


 ミレアが問いかけると、久しぶりの文化的な料理を待ちきれないリータは腹を大きく鳴らしてリュートを急かす。


「そうだな……」


 ミレアは一番量の多い料理。ローズは一番高い料理。じゃあ、俺は……、


「一番肥える料理をくれ」


「黒の魔法使いっ! なんかあなたのだけ、そこはかとない悪意を感じるわ! そこは一番栄養のある料理でいいじゃない!」


「こらっ、リータ! 奢ってもらう立場の人間の台詞じゃないぞ!」


「私、流石に今のリータの言いがかりには引くわ」 


「でっ、でもぉ〜……だっ、だってぇ〜……」


 完全にアウェーの状況になってしまったリータは、次に言う言葉が見つからず、涙腺崩壊五秒前になってしまった。


 その時、


「あの〜、すみません。ギルドの者なのですが、リュートさんとミレアさんの所属するパーティーの皆さんで間違いないでしょうか〜?」


 リュートたちの前に姿を表したのは、ギルドの制服を着た二〇歳前後の女だった。以前からここのギルドに出入りしているリュートは、彼女がいくつかある窓口の一つに座っていたのを思い出す。


「リュートは俺だ」


「私、ミレアよ」


 俺とミレアの顔を交互に見た受付嬢は、ようやく見つけた〜、と達成感溢れる声を上げた。


「実は数日前から探していたのですが、全く見つからなくて困っていたんですよ〜」


「依頼が発注されていなかったからな。(どこかの魔法使い意外は)バイトに明け暮れていたんだ」


 実際、クエストを受注、発注する以外でギルドに用事なんてほぼ皆無に近い。ギルドには酒場が併設されているが、ゴーカの街には飲食店など他に腐るほど開いている。


 腹が空いたからと言って、わざわざ酒場に足を運ぶ必要はないのだ。


「で、何の用だ? クエスト受注の整理券でも配り来たのか?」


「あっ、いえいえ違います。実はリュートさんとミレアさんのパーティーを名指ししたクエストが当ギルドに発注されまして〜」


「「名指しっ⁉︎」」


 ギルド嬢のその言葉に誰よりも早く反応したのは、リータとローズの二人だった。彼女たちはリュートとギルド嬢の間に割って入る。


「名指しって、あの名指しかっ⁉︎ 一流冒険者と名乗っても調子に乗っているだけのバカと言われないあの名指しかっ⁉︎」


「冒険者なのに安定した収入が稼げるっていうあの名指しと捉えていいのよねっ⁉︎」


「そ、そうですね〜。依頼者が何度も名指しするようなお得意様になればの話ですけど〜」


 その言葉にリータとローズは半ば発狂じみた奇声を上げてその場で踊り始めた。元からやる気に満ち溢れていたローズならまだしも、空腹+アウェーな状況になって泣き出しそうになっていたリータまでもが愉快にタップを踏んでいる。


 それ程までに名指しとは冒険者にとって大きな存在なのだ。


「彼女たち、嬉しそうだわ」


 そんな二人を見ていたミレアの目は、まるで保護者のそれだった。


 ミレアの表情はあまり豊かではない。変わらない顔。草木一本生えない果てしない荒野。


 だからだろうか、リュートは同じパーティーメンバーとして接する内に、ミレアの僅かな言葉の間と声の高低の差や、その雰囲気から彼女の現在の心境が少し読み取れるようになっていた。


 これがパーティーに慣れてきた証拠なのだろうか、それとも仲間意識を持った証拠なのだろうか。


 こんなことは初めてで、その答えをリュートは知らない。しかし、なんとなくだが嬉しいと思った。


 この感情をもっと味わうことが出来るなら、この感情をもっと知ることが出来るなら、俺は……。


「あの〜、そろそろよろしいでしょうか?」


 遠慮がちのギルド嬢の言葉がそれぞれの世界に入りかけていた俺たちを現実へと引き戻す。彼女は詳細な話をすると言って、リュートたちをギルドの応接間へと招き入れた。

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