第2話 名指しのクエスト

 この部屋に入るのは二度目か。


 リュートは以前、一度だけ応接間に入ったことがある。それは前ギルド長であった元ランクA冒険者であるミガルド・グリッドの発注したクエストの報告についてだった。


 そのグリッドは現在、行方不明扱い。


 突如として空いたギルド長の席、そこに座っていたのは豪華な服を着た恰幅のいい中年の男だった。


「初めまして。私の名前はカモイ・ジョイン、以後お見知り置きを」


 流れる水のような優雅な仕草で頭を下げる。とても慣れたその仕草はとても一朝一夕で仕込まれたものなく、人間が産まれながらにして呼吸をするかのような、身体に刻まれた当たり前の機能のように見えた。


「……貴族か?」


 リュートの言葉に、その場にいた者たちの顔が凍りつく。


 リータやローズが、あわわっと、どうすればいいのか分からずに慌てていると、ミレアが、


「私、知っているわ。確か……偉い人よ」


「公爵よ!」


 ミレアの言葉にリータが被せるように言った。


「申し訳ありません、ジョイン公爵様! この二人にはパーティーリーダーである私の方からキツく言っておきますので、どうかお許しをっ!」


 死に物狂いで頭を下げたローズを見て、リータも必死に頭を下げる。


「ミレア、このパーティーはローズがリーダーだったのか?」


「私、このパーティーに長くいるけど初めて知ったわ」


「そんなことはどうでもいいから二人も早く頭を下げなさい! この御方は公爵様なのよ! 


 どんな人畜有害な犯罪を起こしてもいざとなれば、どんな悪どい手を使ってでも権力や賄賂を流して全てをなかったことにすることが出来る貴族の中でもトップの公爵様なのよ! 


 私たちが一番敵にしちゃいけない部類の人なのよ! 心の中でどう思っていようが、とにかく私たちが常に低姿勢でヘラヘラ笑顔を浮かべていなくちゃいけないような部類の人なのよ!」


「リータ! バカは黙っていろ! 自分で自分の首を絞めるな!」


 ローズがこれ以上の失言を避けようと、リータの口を塞ぐ。そんなことをしていると、目の前のジョインがガックリと項垂れてしまった。そして、早口でボソボソと呪詛のようなことを唱え始める。


「ごめんなさいごめんなさい、分かっているんです。貴族が悪いとイメージが世間一般に定着しているのは。だから僕は頑張っているんです、はい頑張っているんです。こうして良い貴族がこの世の中にはいるんだよ〜ってボランティアとかその他諸々頑張っているんです。本当はこんな自分の姿がコンプレックスなんです。こんな無駄に豪華なジャラジャラした服は成金感があってダサいし、こんな脂肪だらけの身体は少し動けばすぐに疲れるし格好悪いし。でも仕様がないんです。こんなザ・貴族みたいな姿をしていなければ他の貴族とかに不審を買われるから仕様がないんです。ごめんなさいごめんなさい、僕は無能でも無能なりに頑張っているつもりなんです」


 その後もブツブツとまるで高等詠唱のように延々と口から吐かれる弱音は止まることを知らず、気付けばジョインの瞳からは生気が消えていた。


 その時、応接間の扉が開いた。


「あ〜あ〜、またなっちゃったぁ〜。もう〜、相変わらずスライムメンタルで世話の焼ける人ですねぇ〜。まあ、悪い人ではないんですけどねぇ〜」


 茶の準備をしに行っていたギルド嬢が面倒くさそうな声を上げて戻って来たのだ。


「えぇ〜と、ですね。こうなったらジョインさんはなかなか戻ってきてくれないので、もう私の方からクエストの詳細を話ちゃいますねぇ〜」



「実はですね〜、とある学院の地下で超古代の遺跡らしきものが発見されまして〜、その極秘調査のクエストをお願いしようと思ったのですよ〜」


 そう言って彼女が出したのは、一枚の手紙だった。どうやら、この手紙の送り主が今回の依頼主らしい。手紙には最後には依頼主の名前と、どこかの権力者が使用するような大きなハンコが押されていた。


「この模様……もしかして……」


 ボソッと呟くような声をリータが漏らす。開いた瞳孔に浮かぶのは、信じられないものを見る懐疑的な色。


「この依頼主は魔法学院アヴァレルキヤです〜」


「…………」


 その瞬間、リータの顔に影が生まれたように思えたのは気のせいだろうか。


 魔法学院アヴァレルベキヤ。読んで字の如く、魔法使いのための学院。この国の唯一の魔法学院で国中の魔法の天才が集う学舎。一般知識としてはその程度で十分だろう。


 より詳細な情報は魔法使いでもなければ入学する意思もないリュートには意味のないものだ。


「で、それで具体的にはどんな依頼だ? 報酬は? 保険は? 賞与とか出る可能性はあるのか?」


 名指しということで気合いの入ったローズが話を進めようとする。


「私、待って欲しいわ」


「どうしたんだ? ミレア」


 しかし、それをミレアが制した。


「なぜ私たちなの? この手紙には、私たちの名前は一つも載っていない。だけどあなたは、リュートと私の所属するパーティーを名指ししたクエストと言ったわ。これはどういうこと?」


 確かに、それは俺も気になっていた。


 リュートも手紙を何度か読み返してみたが、手紙には特に誰かを指名すると言ったような内容は書かれていなかったのだ。


 それなのに、このギルド嬢はリュートとミレアの所属するパーティーが名指しされたと言って彼らを応接間に招き入れた。なぜそんな嘘を?


 そこを指摘されたギルド嬢は頭を下げる。

彼女が顔を上げた時、その表情はすうっと、垢抜けたものになっていた。心なしか、目元がキリッと尖った印象を受けた。


「すみません、説明が足りませんでした。クエストが発行された際、アヴァレルキヤから極秘に名指しされたのです。特にリュートさんとミレアさん、あなた方二人には是非とも協力して頂きたいとのことです」 


 凛とした声にこれ以上の嘘は感じられない。


「私とリータはおまけだったのか……」


 明らかに凹んだ様子のローズを視界の端に入れながら、リュートは疑問を浮かべる。


 なぜ、アヴァレルキヤがそのことを知っているのか? 目の前の受付嬢が評価していることから、俺が考えているよりも凄いことなのか? いや、それよりも、



「なぜ俺とミレアなんだ?」


 ゴーカには、リュートやミレアよりも強い冒険者がいれば弱い冒険者も数多く存在する。この二人をピンポイントで名指しする理由が分からない。


「ミガルド・グリッドが発注した緊急クエスト、森の異常事態の調査」


「「…………」」


 ギルド嬢の口から発せられた予想外の言葉にリュートとミレアの表情が固まる。一瞬だが、心臓が飛び跳ねる感覚に襲われたリュートは無意識に、手を左胸に置いていた。


 はっ! とそれに気付いさりげなく胸を掻き始める。


「リュートさん、ミレアさん、あなたたち二人はこの自殺と同意義のクエストに参加した数少ない生き残りです。最高の戦術を知るのは生き残った者のみです。だから選ばれました」


 確かに、リュートとミレアは自殺にも近いクエストに参加して見事生還を果たした。しかし、それは運が良かっただけだ。奇跡は二度も三度も起こらない。


「前ギルド長の記録によれば二人は高ランクモンスターに接触したのにも関わらず、無事に逃げ切ることが出来たと書いてあります。ミレアさん、あなたが魔法を使って森に火を放って煙幕を利用した。間違いないですね」


「……えぇ、間違いないわ」


 ミレアは小さく頷く。だが実際に森に火を放ったのはミレアの魔法ではない。リュートだ。


 彼は竜の札のことを出来る限り秘密にしておきたかったために、グリッドには細部を捏造していた報告をしていたのだ。


「後で話を聞いたり記録用紙を見たりして、それが妥当だ、と言うのは簡単です。ですが、自分をいとも簡単に殺せる存在が目前にいるのにも関わらず、状況を冷静に判断して作戦を有言実行するなんて、そんなことはなかなか出来ません。大抵の人はパニックに陥って終わりです」


 ギルド嬢からミレアに向けられたそれは賞賛や憧れのような、聞いているだけで背中が少しむず痒くなるような言葉だった。


 まあ、あの時は別に死んでもいいと思っていたから冷静だっただけなんだけどな……おそらく、今はそうはいかないだろう。必死に生きようとしてパニックになってしまうかもしれない。


 死んでも構わないと思えば生きて、生きようとすれば死んでしまう。我ながらおかしな話だ。


 リュートはため息混じりに、当時グリッドに報告した捏造部分を思い出す。


「しかし、あれは一〇人程の人数で同じ行動をとっていたから、たまたまモンスターの狙いが他の冒険者に向いただけだ。運が悪ければ始めに俺やミレアが襲われて死んでいてもおかしくなかった」


「運も実力の内です。それによってリュートさんとミレアさんには実績が出来ました。生き抜いたという実績が」


 ギルド嬢の言っていることは正しい。例えば、賭け試合で装備だけが立派で戦闘経験のないボンボンと、装備こそ量産品だが戦闘経験のある冒険者が闘うとしたら、どちらにチップを払うか。


 その答えは考えるまでもなく後者だ。つまり、実績とはそういうものなのだ。


「それにご安心下さい。今回のクエスト内容はあくまであらたに発見された超古代遺跡の調査です。確かに、どの程度のランクもモンスターが出現するかは未だ不明ですが、このクエストは国中の冒険者ギルドに送られています。


 万が一、危険なモンスターが出現した場合、他のギルドが選別したエリート冒険者たちと共に行動することになりますので、予想以上の危険はないと思われます」


 まるで予め用意していた台詞を言うようにスラスラと言葉を並べるギルド嬢。


 彼女の言葉を脳内で反復しながらリュートは考える。ギルド嬢の言っていることが本当なのだとすれば、集まるのはランクBに相当する腕利きの冒険者たちだ。


 ならば、(今は引退したが)現役だった頃のガルムのような冒険者がいる可能性が高い。実力が全ての冒険者の世界で、それは高ランクのモンスターに挑むよりも危険なことになりかねない。


 例え襲われたとしても、相手がそれなりの地位に存在する冒険者なら大きな罪には囚われない可能性もある。最悪、何もなかったことにされる可能性だってある。


 大量のライオンの群れに、数匹の兎を放つようなものだ。いや、でもミレアはあのグリッドに改良の余地はあるが、最低限の力は認められたようなことを言われていた……もしかすると、ミレアの実力はランクB冒険者に匹敵するのか? ……まあ最悪、俺が札を使えばいいか……だが、その時は……。


 その時は、リュートがミレアのパーティーを抜ける時だ。リュートは自分が持つ竜の札が大変貴重な物だと自覚している。


 この世界に存在する超常を引き起こす力、魔法。それとは異なる謎の力、空の力。それは世間一般でも公表されていない謎の塊だ。そして、リュートの持つ竜の札は後者にあたる。


 そんなものが公にされた場合、その後の未来は容易に想像できる。欲しがる者は後を絶たず、どんな手段を選ぼうがリュートから強奪しようとするだろう。そして、ミレアたちパーティーメンバーに迷惑が掛かることを恐れたリュートは彼女たちの前から姿を消す。


 そんな未来、リュートは欠片も望んでいない。だからリュートは竜の札の存在を隠す。それが今の自分の居場所を守ることに繋がっているからだ。


 報酬は莫大だ、おそらく一週間は遊んで暮らせるだろう。だが、だからと言ってその後の人生が不幸への片道切符だと知りながら、選択するのはあまりにも愚行だ。


「リュート、どうするの?」


 自分の世界で答えが出た時、リュートはミレアの言葉で我に返る。


「俺は……」


 言葉が詰まった。昔ならすんなり出た言葉が反射的に喉に留まった。


 今の自分はソロではない。その現実が突き付けられる。


 ここにいるパーティーメンバーの仲間意識は冒険者の中では他に類を見ない程に強い。仮にリュートがNOと答えた結果、他の者たちが自分の答えとは逆の答えを口にするかもしれない。


 いくら仲間思いと言っても、リュートと彼女たちは遭って間もない間柄だ。互いが互いを理解しているか聞かれれば首を横に振るし、気を遣わせる可能性の方が圧倒的に大きい。


 現状のリュートは未だ不協和音の要素が大きいのだ。ならば、リュートの答えは……、


「俺はどちらでも構わない、三人で決めてくれ」


 自分の決定権を放棄する。彼女たちの出方を伺う。一番平和な解決策、だが一番非協力的な解決策でもあるその言葉に、ミレアは表情を変えずにリータとローズに意思を求める。


 分かっているのだ、ミレアはともかくリータとローズがこのクエストに前向きだと言うことは。このクエストは名指し。もしこのクエストを無事に乗り切れば、ギルドの信用を得て次もギルドの名指しでクエストが受けられるかもしれないし、優先的に割りのいいクエストを紹介してくれる可能性だってある。マイナス面に対してプラス面があまりにも大き過ぎる。


 リュートが決定権を放棄した時点で、結果は見えていた。


 その後、ミレアとリータ、ローズの話し合いとも言えない会話のすえ、リュートたちはこのクエストを受注することに決定したのだった。


 クエストまでの間各々が解散し、ギルドから帰路につくリュートは背後にいたミレアに呼び止められる。


「リュート、少しいい?」


「……なんだ?」


 遅く、重く、振り向く。何を言われるのか、なんとなく分かっていたから。


 ぶっきらぼうな返事を返したリュートを、ミレアの力ない瞳が見つめていた。


「私たち、パーティーよ。仲間よ」


「ああ、分かっている」


「……そう……分かっているなら……いいわ」


 踵を返したミレアはそのまま自身の帰路へと歩き始める。


 とても悲しそうな背中だった。グリッドとミレアの戦闘を見て彼女は強いことは知っている。だが、今の背中は硝子細工のように繊細で触れてしまえば壊れてしまうと言う錯覚を覚える程に弱々しく、とても見ていられないものだった。


「あれが正しかったんじゃないんかよ……」


 僅かな憤りが心臓に纏わりつく。始めは霧のように心臓を覆ったそれは、次第にドロリとした粘着質なものに変わり、内側からリュートをじわじわと苦しめた。


 無意識に下唇を噛んでいたリュートは、ミレアの背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた。 

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