第18話 精神世界

 この道はどこに繋がっているのだろう?

 この精神世界はどこまで広がっているのだろう?

 黒の魔法使いに会えたとして、私は彼をどうすればいいのだろう?

 私の帰りを待つ二人のもとへ無事に帰れるのだろうか?


 長く暗い道を延々と歩き、時間の感覚はもうすでにない。あるのは、普段の自分らしからぬ不安の連鎖。


 黒の魔法使いの精神世界に入ったことが影響しているのだろうか。まるで自分が自分じゃないような錯覚に陥る。


 そして段々と鮮明に思い出していく過去の苦い記憶。


 始めは、旅先で入った酒場の料理が不味くて下調べをしておけば良かった、と忘れかけていた記憶が深い奥底から浮上してきた。


 なぜ今この記憶が? と考える暇なく、ミレアの脳内には次々に過去の記憶が勝手に浮上してくる。


 それは、即席で手を組んだパーティーメンバーに裏切られた時の記憶。


 それは、自分の判断ミスでローズとリータ、二人が死んでしまうところだった記憶。


 などの、とうの昔に終わったはずの数々の後悔が彼女を苦しめていた。

 先にこうしていれば、もっとこうしていたら。ブツブツとそんな言葉が彼女の口から虫の群れのように這い出る。


 はっ! とそんな異常な自分の状態に気付いた彼女は頭を強引に振り、自分がここに何をしに来たのかを思い出す。


「私、後悔するためにここに来た訳じゃないわ」


『ならば、何故ここを訪れた』


「ッ⁉︎」


 ボウッ! とどこからともなく現れた激しい炎がミレアを囲むように巨大な円を描く。

 ミレアが自分に言い聞かせるように言葉にした直後、何者かの声に呼応するかのようにその炎は現れた。


「だ、誰ッ⁉︎」


 ミレアが声のした方へ顔を向ける。そこにいたのは、


「ば、燃える真紅バーニング・クリムゾン……」


 そこにいたのは、黒の魔法使いが何度も使用していた札に描かれていた紅の竜だった。警戒心を剥き出しにするミレアを見下ろし、燃える真紅バーニング・クリムゾンは続ける。


『再度問う。何故ここを訪れた。何故我が世界に訪れた』


 ……我が世界? 


「ここは黒の魔法使いの精神世界ではないの?」


『我と彼の者は融合している。つまり、この世界は我が世界でもある』


「そう……それで、黒の魔法使いはどこ? 私、彼を起こすために来たわ」


『彼の者は我が内で眠っている。そして、これからも一生眠り続ける』


 そう言って、燃える真紅はその場を立ち去ろうとする。


「待って。彼に会わせて」


『帰れ、ここは貴様のいるべき場所ではない。彼の者の安息の場だ、何人たりとも彼の者の安らぎを妨げることを我は許さん』


 しかし、一向に帰ろうとしないミレアを見た燃える真紅バーニング・クリムゾンは言葉を続ける。


『彼の者は己の過ちを後悔し、心に傷を負っている、ただ生きているだけの存在だ。そして、生きている限りその傷は残り続け彼の者を苦しめる。ならば、彼の者の意識を我が侵食という形であれど奪い、苦しみから解放してやりたい。それは許されぬことか?』


「あなた……黒の魔法使いのことを心配しているの?」


『心配……か。哀れみに近いのかもしれん』


 ふと燃える真紅バーニング・クリムゾンが視線をずらす。

 そこにあったのは、この精神世界ではありふれた焼死体の山だった。


「……もしかして、黒の魔法使いの後悔って……」


 その先の言葉はなかった。燃える真紅バーニング・クリムゾンの哀れみの瞳が、それを肯定していたからだった。


『だから我は決めたのだ。次に彼の者が変身した時、彼の者を一生眠らすとな。もう二度と同じ悲しみを味合わせたくはない』


 …………似ている。


 それはまるで、ミレアとグリッドの様に。

 相手のためだと言い、自身の正義を信じる。それは意思を持つ生物にとっては当たり前なことなのかもしれない。


 だが、その正義が一定のラインを超えれば、それは正義ではなくただのエゴに変わる。


「私、思うわ。あなたは過去を悔やむ彼を見るのが嫌なんじゃない。そんな彼を見て傷付くあなた自身が嫌なのよ」


『……何を言っている?』


 声がワントーン下がった様な気がした。その瞳には僅かな敵意が混じり始めていた。


「あなたはドラゴンらしくないわ。過去に苦しむ人を見て、自分も同じように苦しむなんて。ドラゴンは弱者を見放し、突き飛ばす存在。ドラゴンにしては、あなたは優しすぎる」


『我は誇り高き赤竜だッ! 優しさなど、弱さの象徴! そんなものは持ち合わせていないッ!』


 耳を刺すような咆哮を上げた燃える真紅バーニング・クリムゾンは、大木よりも太い尻尾を焼死体の山に叩きつけた。


 叩きつけられた焼死体は、まるで燃える真紅バーニング・クリムゾンとミレアの間に壁を造るかのように積み上げられていく。


「黒の魔法使いが変身すると、あなたと黒の魔法使いは融合する。これはあなたが言ったことよ。融合……つまり、一つになる」


『…………』


「ならば、あなたの中にもあるはずなのよ。黒の魔法使いの優しさが、感情が、心が」


『…………』


「だって、あなたは黒の魔法使いでもあるのだから」


『…………』


 その沈黙は何を意味しているのか。それはミレアには分からない。しかし、彼女は続ける。


「私、思うの。強いだけの力に意味はないって」


『…………』


「きっと、力には優しさが必要なんだわ。あなたや黒の魔法使いのような優しさが。もしそれが弱さだとしても、恥ずかしいことじゃないわ。それは本当の弱さじゃないのだから。だから……私はあなたたちを受け入れる」


『…………ふんっ。矮小な人が彼の者のみならず、巨大な竜をも受け入れるだと? 全く舐められたものだな』


 燃える真紅バーニング・クリムゾンの不機嫌な様子は変わらないが、ミレアは彼から敵意を薄れたのを感じ取る。


 きっと、燃える真紅バーニング・クリムゾンも自分の正義があるのだろう。だが、考え方や価値観などはその生物によって様々だ。互いに納得するということは、互いが分かり合えたということではない。


 あくまで、自分の正義が曲がらない妥協点を見つけたということに過ぎない。この場合の燃える真紅バーニング・クリムゾンの妥協点、それは、


『最後だ……最後の一度だけ、彼の者を解放する。だが、次に彼の者が暴走しそうになれば、その時は躊躇しない。それでいいか?』


「……ありがとう」


『ふんっ』


 燃える真紅バーニング・クリムゾンが鼻を鳴らすと、彼の身体は真紅の粒子に分解されて姿が見えなくなった。


 そして、消えた燃える真紅バーニング・クリムゾンの中から出てくるように、黒の魔法使いがその場に立っていた。


「黒の魔法使い……」


「……本当か?」


 ボソリ、と。


「本当に俺を受け入れてくれるのか?」


 その顔は歪んでいた。


「過去に俺が犯した罪を知ってもなお、お前はッ!」


 過去の自分への怒り。それを知られてしまった不安。受け入れると言われた喜び。全てが混ざり合い、どのような言葉で言い表すのが正解なのか分からない表情で、黒の魔法使いは、


「本当に、俺を受け入れて……くれるのか?」


 その言葉に、普段は無表情のミレアの頬が微かに上がった。そして、彼女の口が小さく開かれる。

 世界は白く染まった。

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