第19話 竜装着
ミレアが瞳を開けると、視界に入ったのは黒い点だった。
貫く直前。
それは長く鋭利な爪の先端、変身した黒の魔法使いのものだと分かると彼女は、瞳を貫く姿勢から微動だにしない彼の手を優しく包み込む。
その瞬間、彼の身体から紅の粒子が放出され、その姿は人のものへと戻る。肩で荒い息をする彼はその場で片膝をついた。
その手には、放出され宙を彷徨う粒子が集まっていき、燃える
『間一髪、だったようだな』
サファイアの瞳を持つドラゴンの安堵した声が聞こえた。
「これで……全部終わったのかしら?」
動いていたのは精神だけで、身体はしばらくの間休めることが出来たためか、ポーションで回復中だった傷はほぼ治ったようだ。流石に戦闘には未だ使えないが、ギリギリ小走り出来る程度だろうか。
「いや、未だだ」
「ッ⁉︎」
そこには瀕死の状態だったグリッドが立っていた。彼は隠し持っていたポーションの空瓶を放り投げると、口元を拭う。
彼の周りには大量の血液が水溜りを作っており、かなりの血液を消耗したのが見て取れる。普通の人ならば死んでいてもおかしくないくらいだ。そんなダメージにいくらポーションを使用したとしても延命処置でしかない。
しかし、今のグリッドからは、周りの状況に不釣り合いな程ダメージが感じ取れない。
「はあはあ……チッ、飲んだのは最上級ポーションか……城が一つ買えるぞ」
ゆらりと力なく上体を起こす黒の魔法使いは、ミレアを守るかのように彼女の前に立つ。
「黒の魔法使いッ⁉︎」
満身創痍の黒の魔法使い。それに対比するように、最上級ポーションで完全に回復したグリッド。地面と山だった力の差は更に大きく開かれ、地面と空になってしまった。
このままでは間違いなく殺される。
この状況を打破する方法はある。がしかし、それは……、
「…………」
「黒の魔法使い! あなた、また⁉︎ 次はもうないのよ!」
黒の魔法使いが持つ竜の札から紅の粒子が放出していることに気がついたミレアが慌ててそれを制しようとするが、そんな彼女に対して、黒の魔法使いは笑っていた。
「ミレア、悪いがお前と燃える
「そ、そうは言ってもそう簡単にいくことじゃ……」
「それは分かっている。簡単じゃない。でも、それだけだ。出来ない訳じゃないんだ」
「なんだ? 未だ奥の手があるのか? ならば、それを見せてみろ。過去の俺に渡す貴重な情報だからな」
二人の会話を聞いていたグリッドは、待ってやる。と付け足した。
「ミレア、俺はもう自分を見失わない。自分が犯してしまった過去の過ち、これから起こるであろう未来の不安を受け入れる。過去にこの手で殺めてしまった数多の死者たちも、未来で出会うであろう数多の生者たちも受け入れる。受け入れて……俺は前へ進む。俺は……そう決めた!」
その瞳には力強い意思が宿っていた。その言葉には嘘偽りのない希望が含まれていた。
「黒の魔法使い……」
「だから見ててくれ。俺の闘いを」
少し悩んだ末、小さく頷いたミレアは、最後にこう言ったのだ。
「黒の魔法使い……生きて」
「ああ」
そして、その言葉に短く頷き返した黒の魔法使いは、叫ぶ。
「
その言葉と同時に、完全に紅の粒子に分解された竜の札だったものが黒の魔法使いを覆う。
しかし、先程とは少し違っていたのだ。悲鳴が上がらなかった。だからといって、痛みを我慢している訳でもなさそうだ。
紅の粒子が彼の身体に浸透しない。彼の身体に密着して何かを形作っている。頭、胴体、手、脚。彼の全身で同じ現象が発生した時、彼は紅の閃光に包まれた。思わず目を背けてしまったミレアが、次に黒の魔法使いの姿を見た時、彼は……、
「紅の……竜騎士……」
生物的というよりは、無生物的。
有機物というよりは、無機物的。
竜人というよりは、竜を模した鎧の騎士。
先程とは明らかに異なる黒の魔法使いの姿に、ミレアの口から言葉が漏れる。
「……かっこいい」
その場を駆け出したリュートは目にも止まらぬ速度で真紅の拳をグリッドに向ける。がグリッドは咄嗟に刀の腹でそれを受け止めると巨大な金属音と共にその軌道を変えた。
その影響で刀は折れてしまったが、グリッドは懐から予備の杖を出すと、瞬時に水刃を出現させてリュートに距離を取らせた。
「チッ、また予備品か。元冒険者のくせに準備がいいことだ」
「どんな時でも、どんな職業でも、一流ならどのような状況にも対応出来るように非常用を携帯しているものだ。貴様のような雑魚な三流と一緒にするな」
リュートの悪態に悪態で返すグリッドは、水刃を消すと、杖を構えたまま彼を見据える。
「それが貴様の切り札か?」
「そんなものじゃない」
「だろうな、先程よりも明らかにパワーダウンしている。なぜその姿で闘う? 貴様、一体なにがしたいんだ?」
確かに、戦闘面だけを見れば竜人の姿の方が圧倒的な強さをほこる。だが……、
「俺はただ……生きたいだけだ。殺してしまった仲間たちの分までな」
「ふんっ、過去を捨てたか。所詮はただの弱者だったってことか」
「違う、過去を捨てたんじゃない。過去を受け入れたんだ」
自分を受け入れてくれる存在がこの世にいる。そのことを知っただけで世界は変わる。
「過去のためにじゃなく、俺は未来のために生きる!」
リュートは前に向かって両腕をそれぞれ上下に広げると、その空間に虚無の孤を描かぐように上下を反転させる。
広げられた両腕の中には、紅の火の粉が発生したかと思えば、それは次の瞬間には業火へと、そしてその業火は一つの火球へと姿を変えた。
「火炎砲・真紅の
叫びと共に、彼の元から発射された火球は、轟々と自身を燃やす業火を発しながらグリッドへと一直線に飛んで行った。
「ふんっ、何かと思えば色が濃いだけのファイアーボールか。視力が悪いくせにまさかの遠距離攻撃を仕掛けてくるとはな」
拍子抜けしたグリッドは、軽く身体を横にずらして紅の火球を回避する。が、
「爆せろ」
ポツリと、リュートの口が僅かに動いた次の瞬間、
ドカンッッッ‼︎‼︎‼︎
「ぐはッ⁉︎」
耳を貫くような爆発音が爆風を纏ってグリッドを横殴りした。床に身体を何度も転がすグリッドは、最終的に施設の壁に身体を強打し、その回転をようやく止める。
火球は壁に打つかった訳ではない、グリッドの身体にかすった訳でもない。ただ、グリッドの横をすり抜けようとした瞬間、火球自体が巨大な爆発を起こしたのだ。
「新星の名は伊達じゃない」
無駄に能力をひけらかす意味はない。
近距離の格闘戦では、格闘術の素人のリュートが紅の鎧で身体能力がどうにかグリッドと互角レベルに上がっているにしても、動きの癖や行動パターンを読まれたらお終いだ。
だから、遠距離攻撃に切り替えた。だが、現在の自身の視力が悪いのは他ならぬリュート自身が一番良く知っている。いくら攻撃を放ったとしても当たらなければ意味がない。
ならば、点ではなく面を攻める。そのための爆発。初見殺しに近い技だが、リュートのことを弱者や三流と見下すグリッドにはどうやら効いたようだ。
「き、貴様……下らない小細工を……」
力ない声。恨めしそうな顔を上げるグリッドは、今にも気を失いそうな程に損傷していた。自身の真横で爆発が起き、その衝撃をまともに喰らったのだ。無理もない。
気絶する寸前だというのに回復する素振りを見せないことから、ポーションをもう所持していないと判断したリュートは彼の目の前まで移動する。彼の手に握られていた杖は折れ、遠くに吹き飛ばされており、もう魔法を行使することも出来ない。
そんなグリッドにリュートは告げる。
「グリッド、俺は過去を受け入れたことで前に進む決心がついた。だからこの力を手に入れ、勝つことが出来たんだ」
きっと、暴走した竜人の姿でも彼には勝てただろう。だが、それでは自分に勝てたとは言えない。
「過去を忘れろとは言わない。だが、過去を受け入れることで、永遠に取り戻せないことを受け入れることで、新しく手に入るものもある」
それは、新しい自分。そして、新しい居場所。新しい力はただのオマケでしかない。
「……なら……けろよ……」
グリッドの口が小さく開く。今にも閉じそうな、蚊の鳴くような声だが、彼はハッキリと。
「なら、お前が俺の考えを受け入れよろ……」
「……それは……無理な相談だ」
言葉では何と言おうが、常識的、私情的に無理なものは無理なのだ。いくら言葉を並べても、自身の線引きに例外を作ってはいけない。どのような能書きだろうと、もし一つでも例外を作ってしまえば、線引きは一瞬にしてなくなってしまい、皆が己の欲望のためならば他人の不幸を大喜びで利用する世の中になってしまう。
現実は本に書かれている夢物語ではない。無理なものは無理なのだ。
「この……嘘つき……め……」
その言葉を最後にグリッドの瞳から光が消えた。操り人形の糸が切れたようにコクリと項垂れた頭は二度と上がることなく、彼の口も二度と開かないことを表していた。
グリッドは、オリジナルのミレアがいる場所へと旅だったのだ。
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