第17話 もしもの時

 意識を強く持て。殺意に支配されるな。頭の中は常に冷静でいろ。じゃなきゃ……持っていかれる。


 ミレアを避難させたリュートは、グリッドの元へと戻っていた。


 身体は、ドラゴンが混じったことで体温が人間体の時と比べ高温で、まるで人間体で高熱を出した時のようだ。身体が怠く、思考には靄がかかっている。


 この姿になるために無理矢理身体を変化させたことにより発生した激痛が未だ所々残っており、動かすたびに悲鳴を上げる。


 しかし、その代償として手に入れた身体は人間の身体能力を遥かに凌駕しており、無理に動かせばただの人間に負けるはずがない。


 狙うは短期決戦、それ以外の方法はない。


 リュートは待ち構えるグリッドを睨みつけ、


「「――ッ‼︎」」


 そのままグリッドに自身の爪で斬りかかった。しかし、グリッドは杖に仕込んであった刀でそれを払い除ける。


 次の瞬間、二人の間で斬撃の嵐が吹き荒れた。嵐は金属同士がぶつかるような甲高い音を上げながら徐々に速度を上げていく。そして、


「ッ‼︎」


 リュートの一撃がグリッドの頬にかすった。鋭利な爪によって斬られた頬から赤い雫が流れるが、グリッドはそれに臆することなく、素早い周り蹴りをリュートの溝に叩き込んだ。


「――グロッ!」


 息が吐き出る。呼吸が出来なくなる前に後方に飛んだリュートは、素早く呼吸を繰り返し、少しでもダメージを減らそうと試みる。


 しかし、グリッドは追い討ちをせずに、そんなリュートの姿を笑っていた。


「お前には技術がない。ただ剛力を振り回しているだけだ。ガキの喧嘩じゃないんだ、そんな奴が低ランクならまだしも、元ランクA冒険者に勝てると本気で思っているのか? それにお前、目が悪いだろう。じゃなきゃ、さっきの一撃は直撃するはずだったしな」


「…………」


「その沈黙、肯定と受け取っておこう」


 森で奇襲された傷は街へ戻らねば完治しない。

 グリッドは知らない、リュートがドラゴンに自害を求め、それが了承されたことを。だからリュートを観察する、過去の自分に情報を渡すために。


 それがリュートの命綱でもあった。彼は出来る限りの情報を引き出そうとするだろう。ならば、もし一瞬で決められる勝負でも多少の時間は稼げる。短期決戦には変わりないが、一瞬で終わることはなくなる。


 リュートの身体が限界を迎えるのが先か、グリッドを倒すのが先か。時間と己との勝負でもあった。


 時間が惜しいっ。


 リュートは再びグリッドに爪で襲い掛かろうとするが、その時、ドクンッと身体中が力強く脈打った。


「グロッ――⁉︎」


 更に増していく体温に身体の不調が強くなっていく。


 バカなッ、早すぎる! まだ時間が――ッ! 


 リュートは思い出す。燃える真紅バーニング・クリムゾンがサファイアの瞳を持つドラゴンに敵意を持っていたことを。ドラゴンとは本来、戦闘本能の塊だということを。


 燃える真紅バーニング・クリムゾン、お前……。


 薄れゆく意識の中、リュートは改めてドラゴンの恐ろしさを思い知った。



『……駄目だったか』


「?」


 隣のドラゴンの言葉にミレアは頭を傾ける。そんなミレアにも分かるように、ドラゴンは彼女に告げた。


『暴走だ』


「グウウウウウロロロロロオオオオオゥゥゥゥゥアッ‼︎」


 凄まじい咆哮が反響する。

 まるで空間全体が震えるような錯覚を覚えるその咆哮は一体何を意味するのか。

 咆哮の主は他でもなく黒の魔法使い。その咆哮からは知性は感じられず、そこにいるのはただの獣だった。気合いでもなく人ではしないであろう咆哮、自分の力を誇示し、相手を威嚇する獣の咆哮。それは黒の魔法使いが、紅の猛獣へと変わり果てた瞬間でもあった。

 突然の黒の魔法使いの凶変に、眉をひそめるグリッド。しかし、それは過ちだった。


「ッ⁉︎」


 見開かれたミレアの視界から黒の魔法使いが消えた。そして、次の瞬間にはグリッドの左腕を己の爪で斬り落としていたのだ。


 どんっ、という腕が落ちる鈍い音と共にその粗い傷口からはおびただしい量の鮮血が絶え間まく噴出を続ける。


「ぐッ‼︎」


 経験の差か。状況を瞬時に飲み込んだグリッドは仕込み刀を大きく横に振った。先程よりも明らかに身体能力の増した黒の魔法使いは、容易くその横薙ぎを避けると遥か後方へと距離を取った。


「チッ! 化け物がッ!」


 グリッドは懐に入れていた上級ポーションを右腕で取り出すと口で栓を抜き、その中身を傷口に振りかける。完治とはいかないが、どうやら出血は止まったようだ。


 しかし、痛みは取れないのか苦い表情を浮かべている。

 暴走を知らないグリッドは、黒の魔法使いの急変に戸惑っているのか、警戒しているのか。自身の周りに四つの水球を出現させ、近距離攻撃から遠距離攻撃へと戦闘スタイルを変える。


 水球から放たれた水刃は、導かれるように黒の魔法使いに向かうが、


「グロオッ!」


 力任せに黒の魔法使いがその剛腕を振るう。その単純な行動から放たれた衝撃波は全ての水刃を破壊してもなお勢いが止まらず、水刃を放ったグリッドをも襲った。


「グハッ――」


 後方へ飛ばされ背中を壁に強打したグリッドが息を吐き出した。そこに追い討ちをかけるように、黒の魔法使いは更に己の剛腕を振り続けた。そこから生まれる新たな衝撃波がグリッドを一方的に瀕死に追い込んでいく。


 元とはいえ、ランクA冒険者を圧倒する力。その力は時間が経過するにつれて、強大になっていく。


 そんな光景を、サファイアの瞳で見ていたドラゴンが口を開く。


『まずいな、これ以上ドラゴンの力に侵食されれば若いのの意識は戻って来れなくなる』


「…………」


『娘よ。貴様はもしもの時を望むか?』


「私、望まないわ……私、彼を信じているから……」


 しかし、そんな言葉を発した彼女の表情は曇っていた。言葉で何と言おうが、それが本心とは限らない。


 自分で本心だと思っていたとしても、それは自分が思っているだけで、本当の自分の本心なのか、と聞かれれば首を横に振るしかないだろう。


 信じる、という言葉は実に便利なものだ。信じる、と言えば自分は何もしなくていい口実が出来る。何も考えず、他人に任せ、どのような結果が生まれても責任転嫁が容易になる。責任能力を他者に何と言われようが、自分は自分を許せる。


 信じるとは、自分を守るための保険でしかない。


「ごめんなさい。私、嘘を吐いたわ」


 だから、ミレアは訂正する。


「私、彼の暴走は止められないと思っているわ。彼は、もしもの時のことをあなたに話した。それって、彼自身暴走する覚悟を決めていたってことでしょう。そして、結果なってしまった……それに、黒の魔法使いを正気に戻す手段が――」


『手段なら一つだけある。成功するかどうかは分からんがな』


「ッ! 教えて!」


『若いのの意識の中、精神世界に、貴様の意識を飛ばす。我のテレパシーを応用してな』


「私、やるわ」


『だが、成功する可能性や失敗した時に何が起こるか――』


「私、やるわ」


『……わかった、瞳を閉じ身体の力を抜け。精神世界に入ったら若いのを叩き起こせ、水の魔法使いが死んだら、今度に貴様か我を殺しに来るからな』


「私、わかったわ」


 指示通りに瞳を閉じて全身の力を抜くミレア。その状況を確認したドラゴンは、


『では、始めるぞ』


「ええ」


 その言葉と同時に、ミレアは一瞬の浮遊感に襲われ、閉じたはずの瞳には暗闇が映った。





 ミレアが次に瞳を開けた時、彼女はどこかの村にいた。

 暗くてよく見えないが、目の前には大きな家屋があった。


 その村は火事でもあったのか、目の前の家屋には燃えた跡があり、焦げた臭いがミレアの鼻をつく。ミレアがその家屋へ近づこうと一歩踏み出した時、彼女の足に何かが触れた。


「ッ⁉︎」


 思わず息を飲む。それは人間の死体だった、燃えた死体だった。


「ッ⁉︎」


 見渡せば、ミレアは焼死体の山に囲まれていた。そして気づく、自分が嗅いでいる臭いの発生源は燃えた家屋などではなく、燃えた人間だということに。


 人間の焼死体の臭いを自身の身体の中に吸い込んでいたという気持ち悪さに。


「うっ‼︎」


 胃から込み上げてきたものをそのまま焼死体の山に吐き出す。人の原型を留めている黒と灰色の物体が無造作に埋め尽くす世界で、彼女は延々と吐き続けていた。


 まるで、自分の中に入ってしまったそれを全て吐き出すように。まるで、そうすることで臭いを吸い込む前に戻るかのように。


 ここは黒の魔法使いの精神世界、現実の身体でなければ、現実の臭いでもない! そんなことは分かっている、分かっているけれど……。


 嘔吐は止まらない。

 しばらくして、何度も何度も出された吐瀉物は、数多の焼死体の隙間を縫うように流れていき、先の見えない暗闇の中で不潔な道を彼女に照らした。


 ようやく嘔吐を止めることが出来たミレアは口元を拭うと、その道をよろめきながら歩み始めた。

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