第16話 無意味な闘い
「黒の魔法使いッ!」
「よそ見をするな」
後方で控えていた黒の魔法使いの突然の絶叫に、反射的に顔を向けたミレアにグリッドが放った複数の水刃が彼女の身体に無数の傷を刻み込む。
「ッ‼︎」
小さな血飛沫がその場を赤く染める。
身体を無理矢理動かし、転ぶような格好でどうにか致命傷だけは避けたミレアは、瞬時に立ち上がろうとするが思うように脚が動かない。
「――ッ⁉︎」
「無駄だ、アキレス腱を切った」
冷たい程に淡々とした言葉が告げられる。移動手段を奪われたミレア、これ以上の余裕がないことは簡単に見てとれた。
「近接戦闘に関しては上の下。体力やスタミナは中の上。魔力量に関しては中の中と言ったところか。俺の理想には程遠い、まだゲノム編集の必要があると言うことか」
ミレアはグリッドに攻撃する隙を与えないために連撃を続けていた。しかし、実際は違った。グリッドは敢えて自分から攻撃せず、ミレアの能力を観察していたのだ。
これは真剣勝負の殺し合い。手加減などと言う言葉の存在しない闘いだ。だが、グリッドはミレアを観察するため、手加減していたのだ。
これは一体どういうことなのか。グリッドにとって、この闘いは闘いと呼べるものではなかったのだ。
元とはいえランクA冒険者のグリッド。それに対するはランクD冒険者のミレア。
圧倒的な実力差と言う高い壁を、ミレアは越えることが出来ない。
しかし、そんなことはミレア自身が一番良く分かっていた。自分が父親に勝てないことなんて、初めから考えるまでもなく分かっていた。けれども、父親が自分を殺そうとするならば、やすやすと殺される道理もない。
自分の願望のために勝手に産み出し、自分の満足いく結果ではなかったからと簡単に殺そうとする……ふざけるな。
怒り。
その感情がミレアの心を静かに侵食しつつあった。
ミレアは死ぬ訳にはいかない。
ミレアには居場所がある。
そこには、いつも口喧嘩をしているけど、本当は誰よりも仲間思いの魔法使いとアマゾネスがいる。それにこれから加わるであろう一人の青年の姿も。
ミレアには帰らなければならない場所がある。そこには、勝手に森へ出かけた自分を怒るために帰りを待っている魔法使いとアマゾネスがいる。おそらくだが、自分と同伴している黒の魔法使いも怒られるだろう。
リータに怒られた黒の魔法使いは何か反論して、それにも怒ったリータがローズになだめられて……そんな毎日が続けば……。
「クスッ……」
その場面を想像したミレアの顔からは笑みがこぼれる。
「……何を笑っている?」
「私、未来を想像したわ。私の考えられる中で最も幸せな未来を。だから……諦めない。私、最後まで闘うわ」
痛む足に無理やり力を入れて立ち上がる。酷い脂汗や、足から流れ出る血液がポタポタと金属製の床に垂れ、それが原因で滑りそうになるのを、どうにか剣を杖代わりにして持ち堪える。
怒りはすぐに消えた。消えて、希望になった。明るい未来を目指す純粋な希望。それは本来、人間誰しもが持っているはずのもの。それがきっとグリッドも例外なく持っているはずのもの。
「……精神力は上の上といったところか」
呟くようにグリッドは言った。
「そろそろ終わりにするとしよう。これで最後だ」
再び四つの水球を出現させたグリッドは、それを一つの巨大な水球へと変化させる。そして、回転を始めた水球から巨大な円状の水の刃物が生まれた。
グリッドは軽く杖を振ると、その水刃はミレア目掛けて一直線に向かっていく。
「…………」
立っているのがやっとのミレアに、グリッドの攻撃を避ける手段はない。
一か八かで先程と同様に倒れるように転がれば、その一撃は避けられるかもしれないが、それでは完全に殺気を解放したグリッドの次の攻撃が直撃してしまう。
ならば、もう一つの一か八かの手段を選ばざるを得ない。可能性は低いが、それに賭けるしかない。それは至ってシンプルな手段。
逃げずに、真正面から斬る。
先程までやっていたのと同じことだ。違いは、水刃の威力が桁違いに上がっていることと、ミレアの身体のコンディションが最悪なだけ。
「……ふぅ〜」
深呼吸し邪念を消す。剣を構える。そして……来た!
キンッ‼︎
一瞬、金属同士を衝突させたような甲高い音が反響したかと思えば、ミレアを襲った水刃は二つに割れ、それぞれがあらぬ方向に飛んでいった。
その両方向からは、バシャンッ! と水が壁に打つかり、霧散した音が聞こえた。そして、それと同時にミレアの剣が折れる。
「見事」
称賛の声を上げたグリッドだが、彼は瞬時に二つ目、三つ目の水刃を作り出し、それをミレアに投げた。
武器を失い、身体も満身創痍なミレアは、完全に避ける手段を失った。このままでは、目の前から襲い掛かる死へのカウントダウンを数えるのが最後の光景になる。だが、ミレアは諦めない。
ミレアは、この状況を打破出来ない。
ミレアだけでは、この状況を変えられない。一人では不可能なことでも、仲間となら可能にすることが出来る。だから、ミレアはパーティーメンバーをいつも信用し、大切に思っているのだ。
「グウウウロオオオゥゥアッ‼︎」
全てを破壊するような絶叫を纏い、ミレアの前に一つの巨大な影が現れる。その影は飛んできたグリッドの攻撃をその鋭い爪で切り裂いた。
その影は赤かった。まるで燃える炎を思わせる程に赤い巨躯をしていた。平均男性の身長の一・五倍程のその身体は全身が鱗で覆われており、丸太のように大きく発達した四肢と尻尾。四肢にはそれぞれどんな物でも切り裂いてしまうような鋭利な鉤爪が生えている。
上下で長く伸びた口には肉食獣のような牙がずらりと並んでおり、ギョロリとしたグロテスクな目玉は一体何を考えているのか理解出来ない。
その姿はまるで、人間とトカゲ……いや、人間とドラゴンを掛け合わせたような、例えるならば竜人によく似た生物だった。
「グロロロロ……」
その生物は喉を低く鳴らしながら、背後に立つミレアに顔を向けた。
「黒の魔法使い……であっているの?」
ミレアの問いかけに頷いた真紅の生物は、再びグリッドの待ち構える正面を向いた。そしてその時、グリッドは、
「ハハハハハハッ!」
変異した黒の魔法使いの姿を見て、笑っていた。
「なんだお前、結局お前もか」
ひと笑いした後、彼は続ける。
「その姿、いや正確には竜の札、『空の力』だろ? 神にでもなったつもりか、なんて人に言っておいて結局お前もそうだったのではないか」
「グロロロロ……」
「なんだ、声帯も変化して言葉を話せなくなったのか?」
嘲笑を含むグリッドに、黒の魔法使いはただ喉を低く鳴らすのみ。
通常の竜人ならば、人と同じように言葉を話し、容易にコミュニケーションが取れる。
しかし、どうやら黒の魔法使いはそうではないらしい。元々口数の少ない黒の魔法使い。単純に話さないだけなのか、それともグリッドが言うように声帯がそういうふうに出来ていないのか、それはミレアには分からない。
だが、彼は黒の魔法使いだ。ならば、問題はない。例え姿が変わろうが目の前に立つ彼は頼れる仲間なのだ。
「ふっ、まあいい。口ではなんと言おうが人は人だ。自分のことを第一に考える。お前も、俺もなッ!」
言葉が終わると同時に、グリッドが水刃を飛ばす。その数は五本。先程よりも明らかに多い。
次の瞬間、ミレアの視界が歪んだ。
「……え?」
突然のことに頭が追いつかず呆然としていると、目の前にはドラゴンが透明な箱越しにいた。
黒の魔法使いに抱えられていることに気付いたミレアは、彼の顔を覗き込む。そのトカゲ顔からは、相変わらず表情が読み取れない。
黒の魔法使いは囚われたドラゴンに顔を向けた。
「…………」
『分かった。老い先短い命だ、約束しよう』
それはテレパシーだったのか。黒の魔法使いはドラゴンに一体何を言ったのか。彼はミレアをその場に降ろし、持っていたポーションを彼女のアキレス腱にかける。
そして、グリッドの方へと一歩一歩力強く進んで行った。
ミレアは回復魔法を自分に発動した後、最低限の治癒が済んだアキレス腱を優しく摩り、今の状態を確かめる。激しい運動をしなければ痛みはなさそうだ。
彼女は段々と小さくなっていく黒の魔法使いの背中を見ながら、サファイアの瞳を持つドラゴンに聞く。
「……彼、なんて?」
『もしもの時は頼む、とな』
「もしもの時?」
『今の若いのは不安要素の塊だ。完全に変身出来ておらず、本来の力を出せない。それにいつ自我を失い暴走するか分からない。何より、あの水の魔法使いを倒せるかも不明だ。もしもの時、全く人は便利な言葉を作るものだ』
新しい事実が増える。しかし、その情報はミレアの不安を煽るものばかりで、黒の魔法使いと自分がグリッドによって殺される確率が上がるばかりの聞きたくないものばかり。
耳を塞げばその情報はもう入ってはこないだろう。だが、事実は変わらない。ミレアが知ろうが、知らなかろうが、自分の未来を黒の魔法使いに賭けるしかないのだ。
「もし……もしもの時が来たら、あなたはどうするの?」
『自害する。タイムマシンを使用不可にするためにな。長年ここに閉じ込められていたのだ。我の最後の抵抗だ』
つまり、歴史は繰り返されない。例え、黒の魔法使いが勝っても負けても、時は進む。
グリッドの目論みは崩れた。なのに、彼らは闘う。無意味な闘いを続ける。それは何故だろうか。
互いの詭弁に決着をつけるためだろうか。それとも、秘密を知ってしまった者を帰す訳には行かないということだろうか。
無意味な闘いにも理由は存在する。勝って、帰る。それは闘う理由には十分なのではないだろうか。
ミレアが街に残した仲間の場所に戻るには、黒の魔法使いがこの闘いに勝たねばならない。だからミレアは心の中で祈る。無意味な闘いと知りながらも、黒の魔法使いの勝利を。
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