第14話 詭弁と詭弁
これは賭けだ。
リュートは懐から竜の札を取り出し、見えない背後の攻撃を真紅の炎で打ち落とそうとしたが、瞬間、思いとどまる。
突っ伏した彼と、迫り来る攻撃の間に移動した一つの気配があったからだ。
「ミレア!」
振り向き、叫ぶ。
次に聞こえてきたのは、彼女は休みなく飛んでくる数多の攻撃を抜刀した剣で次々に弾き返す音。どうにか命拾いしたようだ。
相変わらず謎の襲撃者からは気配が感じ取れず、ドラゴンの助言がなければ確実に先手を取られていた。
そして、ミレアがいなければ追撃を許し戦闘不能は免れなかっただろう。
盗賊と言う職業は戦闘向きではない、と重々承知していたリュートだったがあまりの自分の情けなさに少し腹が立つ。
「ミレア、もう立ち直ったのか?」
止まらない攻撃を紙一重で弾き返しながら、ミレアはリュートの方へと振り返らずに声に力を込める。
「私、初めに聞いた時は確かにショックだったわ。自分が造られた偽物だなんて考えもしなかった。だけど、私は私よ。
私以外の私があと何人、何十人いようとも、リータやローズ、それに黒の魔法使い、みんなと同じ時間を過ごし、みんなとの記憶を持っているのはこのミレアよ。
それだけで本物とか偽物とはどうでもよくなったわ。私、このミレアは一人しかいない。私はこれからも私で生きていく」
それはミレアの決心の言葉だった。
自分は何者でも構わない。例え真実に自分が偽物だと告げられても、それがどうしたというのだ。
今この時間を生きているのは、この自分なのだ。本物でも偽物でも、自分は自分なのだ。
少なくとも、リュートにはミレアがその様に言っていると思えた。大した精神力だ。
そして、リュートは吹っ切れたミレアの背中越しに確認した。
ミレアが襲撃者の攻撃をいなしている中、リュートは立ち上がり、彼の名を呼ぶ。
「ギルド長、やっぱりあんただったか」
「…………」
本名、ミガルド・グリッドが杖を構えていた。
リュートとグリッドの目が合い、息する暇もなく繰り出されていた攻撃がピタリと止まる。
頬には大きな刃物で斬られたような傷跡があり、オールバックの白髪に刃物のように鋭利な目。顔には年相応の深いしわが刻まれている。現役の冒険者にも匹敵する程に引き締まっている筋肉質な身体からは、齢八〇を過ぎた人間とはとても思えない。
正真正銘、見間違うことがない容姿をした老人の姿がそこにあった。
老人は問う。
「貴様、何者だ?」
「ただの冒険者だ。ギルドでも話したはずだ」
「違う、そんなことを聞いているのではない!」
唐突な怒声。その声に反応するように、ミレアが腰を低くし構えをとりなおす。リュートはそんな彼女を手で制した。
「貴様のような者の存在は数冊ある日記帳のどれにも書かれていなかった! 貴様のように森を大火事にしたり、ガルムがモンスターに襲われて死ななかったりと、元の歴史は破綻だ!」
怒りに顔を歪ませながら、老人は叫んだ。
バタフライ効果。
蝶の羽ばたき一つさえ、ある場合とない場合では今後の状態が大きく異なってしまうと言われている現象。
実際に、それが本当にあるのかどうかは学者たちの机上の空論に過ぎないが、おそらくこれが、リュートとミレアがモンスターや謎の
それは元ランクA
本来の歴史ではなかった森の大火事。しかし、この歴史では実際に起きてしまった。ではどうするか。
今後の歴史への影響を最小限にするために素早く火を消すのが最優先となる。つまり、前の歴史ではどうだかは知らないがギルド長曰く、意図せずに歴史を改竄してしまっているリュートはただの邪魔者でしかない。
「貴様のような邪魔者のことを俺が書き残さないはずがない。もう一度問う。貴様、何者だ?」
「俺は……」
不思議と言葉に詰まる。
リュートはただの冒険者だ。だが、彼が求めているのはそう言う事ではないのだろう。
「俺には生きる意味がなかった」
目の前の男は決して、悪ではない。自分の家族のため、空回りした道を選んでしまっただけだ。過ちこそあれど、そこに悪意はない。
「自分の失敗で大切な人たちを殺してしまった時から、仲間の期待に応えられない、裏切ってしまう自分が怖くなって他の誰ともパーティを組むのをやめ、ソロの道を選んだ」
実際、人間などそんなものだ。友人のため、家族のため、国のため。大義名分があれば、大抵の事は自分の中で正当化されてしまう。
自分を本当の意味で許せるのは自分自身だけ。他の誰でもない。自分が自分を許せれば、それだけでいい。
「だけど、それはもう終わりだ。お前を倒してタイムマシンで俺は過去を変える。仲間が死なずに済む世界を手に入れる。それが数十分前に、出来た俺の夢だ」
例え、それが他人の夢を叶えることが出来る時を越えるカラクリであろうとも、自分の中で自分を許せる大義名分があれば、強奪してもいいと言う事になる。つまりは……だ。
「俺はお前だ」
「そうか。ならば……死ね」
殺気はなかった。しかし、それは殺す気がないと言うことではない。
ギルド長は杖をくるりっと回すと、彼の目の前には四つの水球が出現した。大きさはそれぞれが人間の頭くらいに統一化されており、その四つの水球はその場で回転を始めた。
「ッ⁉︎」
「私、させないわ」
それぞれの螺旋の水球から放たれた合計四つの円状の刃物があとコンマ一秒、ミレアに弾かれるのが遅れていたらリュートは確実に戦闘不能になっていただろう。
おそらく、これが繰り返しリュートとミレアを襲い続けていた奇襲の正体。
水刃。
いかなる形状にも変形出来る水を利用し、殺傷能力を上げた攻撃。これなら例え街の中で使用しても凶器が見つからない。まるで暗殺者のような手口だ。
グリッドは問う。殺そうとしているリュートではなく、自分と彼の間で彼の肩を持つ、つまりは自分の敵側である娘に。
「ミレアよ、なんでその男を守る? お前には危険な目にあっては欲しくないのだ。例え、お前が複製人間だとしても、自分の娘に手をあげるのに何も感じない父親がいると思うのか。お前がその男をこれ以上守るのならば、俺はお前に手をあげなければならない。頼む、そこをどいてくれ」
「私、絶対パーティーメンバーを見捨てたりはしないわ。彼は私の仲間よ、理由はそれだけ」
「違う! その男はお前を利用しているに過ぎない! 目を覚ませ、お前はいつも父の言うことを聞くいい子だったじゃないか!」
「…………」
チッと、リュートはたまらず大きな舌打ちをしてしまった。自分がミレアを利用していると言われたからではない。そんなことは勝手は言わせておけ。理由は別にある。
敵の正体はもう分かった。こちらが逃げる必要はもうないし、グリッドを殺して透明な箱の中に閉じ込められているドラゴンが寿命を尽きるのを待てば、この森で起きている異常事態は解決するだろう。そこから新たな問題が生まれる可能性は多々あるが、それはリュートにとっては関係のないことだ。
それは理解している。冷静な頭で完全に理解している。しかし、眼前に繰り広げられているグリッドの押し付けにも等しい言葉が彼の冷静な頭を熱くさせた。
「お前、まだ気付いていないのか」
「なに?」
言ってみて、自分でも予想以上に怒気を孕ませていた声に驚きながらリュートは続ける。
「そいつはなあ……そのミレアは、産まれた時からお前の知っているミレアとは似ても似つかない別人なんだよッ!」
「……なにを言っている? このミレアは複製人間で偽物、そんなことは百も承t――」
「そんなことを言ってんじゃねぇ!」
久しぶりにあの時の夢を見てしまったからか。
柄ではないと自分でも思う。だが、口が勝手に動いてしまう。止まらない。止める必要もない。
日記帳には書かれていた、ミレアは産まれた時から病弱だったと。
「お前の記憶の中のミレアは、仲間と共にモンスターと戦ったり、冒険が出来るような身体だったか?」
日記帳には書かれていた、ミレアは病気で生きることを諦めていたと。
「お前の記憶の中のミレアは、信じられないような現実を受け入れてもなお、生きていこうとする精神力を持っていたか?」
「……なにが言いたい?」
ギロリッと、グリッドは鋭い眼光を光らせ、今まで一度も表に出されなかった殺気が僅かに身体から漏れ出す。
「ゲノム編集……時を翔ぶカラクリもそうだがまるで神の真似事だな。それとも本当に『空の力』を操る神にでもなったつもりか?」
「…………」
ゲノム編集、その言葉の詳細はリュートにも分からない。だが、グリッドの日記帳を見る限りそれは神の真似事と言う言葉以外思いつかなかった。
ある神話では、神は土から人を創り、それを模倣して人が創り出したのがゴーレムだと言う。ならば、人が人を創り出すことに成功したならば、人はもう神と同等なのかもしれない。
自分の好きなように外見を変えられ、自分の好きなように内面を変えられ、自分の好きなように能力を変えられる。
カラクリの使い方次第では理想的な人間を何人でも量産できる訳だ。下手したら、複製人間だけで軍隊が出来てしまうかもしれない。
「それの何が悪い? 愛している我が子が病弱な身体に生まれ、精神が弱い。立派なものを与えたいと思うのは当たり前だろう! 親にもなったこともないクソガキがなにを分かった気でいやがるッ!」
「本当に愛しているならなんでそのままを受け入れてやらねぇんだ! 人間には誰にでも長所があるように短所だってある。その両方を受け入れた時、初めてそれを『愛』って言うんだよッ! 親にもなったこともないクソガキが分かっていんのに、なんで本当の親であるアンタが分かってやらねぇんだッ!」
「黙れ、竜の札がなければ何も出来ない雑魚冒険者が! そんなものはただの詭弁だ、当事者になれば誰もが同じ考えを持つ!」
「俺にとっちゃテメェの方が詭弁なんだよッ!」
詭弁と詭弁。どちらも自身の考えを押し付け、他者の考えを否定する。そこに正解はないのかもしれない。
また、不正解もないのかもしれない。その答えは既にこの世には存在しない本物のミレアのみが知っている。
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