第7話 正義の敵

 案内人を先頭にリュートたちは謎の人工物の中へと入っていった。今のところ、リュートたち以外の気配は感じられない。何者かの不意打ちなどの心配はいらないようだ。


 中は常に照明が点灯されおり、リュートが知っている『空の力』とは様々な勝手が違っていた。それは『空の力』という概念を持つリュートだからこそ頭を抱える程に混乱させた。

 

 まずは照明だった。ここはつい最近発見されたばかりの遺跡のはず。ならば、ここには長年誰も訪れていないはずなのだ。


 それに誰かが訪れた痕跡もない。ということはどういうことだ? ここは俺たちが訪れる遥か昔からずっと照明がつき続けていたということなのか? 


 いや、でもそんなエネルギーは一体どこから……先日にミレアと共に訪れた施設では、誰かが訪れた時のみ照明のエネルギーを使用する仕様になっていた。


 そのエネルギーだって、あそこにドラゴンが囚われていたからこそ行えたのだ。もしかして、今回も似たようなケースなのか?


 無駄に知恵を持つリュートは思考を加速させ、真実へと辿り着こうと足掻く。しかし、いくら考えても生まれた仮説は袋小路にあってしまい瓦解を繰り返すだけだった。


 一方、何も知らないリータ、ローズ。それに『空の力』の一部を知ったばかりのミレアは、未知なるものへの興味と好奇心に忙しなく辺りを見回していた。


 最奥が見えない程長く続いた廊下、いくつもの壁自体が扉となっている部屋の数々。それら全てが白一色で染め上げられており、まるでリュートたち自身がその場に相応しくない異質な存在感を放つゴミだと錯覚してもおかしくはなかった。


「その様子、ここのレベルに混乱している、ということか」


 案内人の声にリュートは思考を中断させる。


「……レベル……だと? 何を言っている?」


「『空の力』にもいろいろあるってことだ……このタイプなら大体の内部構造は同じだな」


 そう言って案内人は歩を進めた。壁に並んだ数々の部屋などは眼中にないのか、長い廊下をまっすぐに進む。


「大前提として、神とはなんだ?」


 唐突な案内人の問いに一同が困惑する。少しして、リータが答える。


「神とはこの世の全てを創造し、私たちに魔力を与えた存在よ」


 それはアヴァレルキヤの廊下のイコンに描かれていたものだった。アヴァレルキヤに在学していたリータならば、本人が信じていようがいなかろうが、この手の知識を持っていてもおかしくない。だが、案内人はその答えを否定した。


「違う、それはあくまでアヴァレルキヤにとっての神だ。俺が求めている答えはその元だ、概念と言ってもいい」


「…………」


 リータはその問いには答えられなかった。何を言っているのか分からない、と言った表情を浮かべながら、案内人を見つめる。そして、彼は答える。


「神とは、人の心の弱さが生み出した虚像だ。それ以外の何者でもない。お前も本当は気付いているんだろう?」


「…………」


 しかし、リータは何も言わなかった。その沈黙は肯定と受け取っておく、と言い案内人は続ける。


「そもそも、神は宗教によって異なれば大前提とする概念さえ異なる。偉業を達成した人物を神を崇める宗教、全ての万物に神々が宿っていると考える宗教、それにアヴァレルキヤの信仰する神。


 三者三様、千差万別、例を挙げればキリがない。本当に神などが存在するのならば、きっとこの世界はもっと平和になっているはずだ」


 鼻歌を歌うような案内人の言葉に、ローズが緊張感の欠片もない声で、


「あ〜、そう言えば昔に起きたアマゾネスと他部族の争いの切っ掛けが宗教の違いって母ちゃんが言ってたっけ……確かに、本当に神様がいれば、そこんところは神様同士で決着つければいいのに、って当時思ったな〜」


「ローズ、今は黙って聞いていた方がいいわ」


 ミレアに注意されたローズは少しムスッとした顔になる。


 神が本当に存在するのかしないのか、それが重要なのではない。宗教があるかないのかなのだ。


 大きな戦争にはいつも宗教が絡んでいる。それは間接的であれ、直接的であれ、少なからず関係している。


『自分たちが信じる神が正しい。それ以外は異教、つまりは悪だ』


 まるでそれがスローガンかのように皆が口を揃えて異教徒との戦い繰り広げる。彼らは自分たちが正義と信じ疑うことを知らない。


 正義の敵は悪、そんな短絡的思考で辿り着いた答えの先に待っているのが戦争だ。


 正義の敵は『悪』ではない。正義の敵は『形の違う正義』でしかないのだ。しかし、そんな誰でも知っていることを、誰もが認められる訳ではない。


 長い時間の中、過去の出来事を後世に伝える史実が勧善懲悪として描かれるのはそれが理由だ。いつの時代にも権力者は存在する。


 彼らは自分たちが、いかに正しい行いをしたかを世間に知らしめ己の株を上げるために、倒した敵を悪として祀り上げるのだ。


 史実の中のそれが事実であれ、荒唐無稽な話であれ、死人に口なしという言葉があるように負け犬たちには発言権はない。無理に言おうものならば、その先に待っているのは耐え難い地獄の日々しかない。


 つまり、現在の神や宗教といったものは、一部の権力者たちの私腹を肥やす道具でしかない。リータの祖父の件もその内の一つだ。


「なるほど……そういうことか……」


「リュート?」


 悩む様なリュートの顔を覗き込むミレアには目もくれず、リータを見つめる。そして、胃を決する。


「な、なによっ」


「リータ、お前の爺さんは嵌められた可能性がある」


「は? そんなことは知っているわよ。きっと学長のガロッシュあたりが他の教授たちに賄賂を渡していたに決まっているわ」


「そう、それはリータの爺さんを否定するため」


『このグロテスクな姿が神の真の姿だ』


 そう言って意味不明なレリーフを出されても大多数の者ならば鼻で笑う程度だろう。証拠を出せ、議論の場においてまずそれが初めに投げられる言葉だ。


 リータの話から想像できるアヴァレルキヤの学会はとても学者や教授などという肩書きを背負うに値しない低脳集団のイメージしか湧かない。


 学会とは、高度の知性と知識を兼ね備えた一部の人間たちが粗探しと説明を繰り返す討論会なのだ。


 それを一方的に次々と『〜に決まっている』『〜の訳がない』などと捲し立てる様に発表者から発言するタイミングを奪って追放するなど、本来の学会においてあるまじき行為なのだ。


「では、何故そんなことをしたのか」


 ここからは完全にリュートの仮説だ。しかし、ここからはこの仮説を話すか話さないかでリータの今後に影響を及ぼす可能性だって存在する。


 話すできか、話さないべきか。迷いを繰り返していると、ふとミレアに見られていることに気付いた。いつもと変わらぬ変化のない顔でじっとリュートを見つめている。


 何かを訴え掛けているその瞳が自身の瞳と合い、リュートは迷いを引き剥がす。


「学長……ガロッシュだったか? ヤツは既に知っていたんだ、神の真の姿とやらをな」


「――ッ⁉︎」


「つまり、少なくともアヴァレルキヤには神の役割を与えられた何者かが存在したんだ」


 その人物が本当にイコンの神話通りの行動を取ったのかどうかは現段階では分からない。あのイコンの神話が全て作り物という可能性も存在する。


 しかし、アヴァレルキヤの魔法使いはあの神話を信じているのだ。


「自分たちが信じていた神のイメージが崩れれば、それは信仰心に悪影響を及ぼす。それが問題だった」


 魔法学院アヴァレルキヤは神話の元に成り立っている。それは間違いなく、宗教以外のなにものでもない。そして、信仰心が薄まれば、学長という絶対的存在である自身の立場が危うくなる。


 始めから人とは似ても似つかない顔をしたグロテスクな謎の存在を、神と崇めよ、と言ってそのままついて来る人間はいないだろう。ならば、神話を捻ればいい。


 例え、真実の物語に少量の嘘が入ったとしても、人はそれが嘘だと気づかずに信じてしまうものだ。これが歴代、そして現代の学長であるガロッシュのアキレス腱。


 リータの祖父はそこを知らず知らずの内に斬り裂こうとしていたのだ。


 たまたまとはいえ、無意識に虎の尾を踏んでしまったリータの祖父は気の毒なものだ。だが、それは考古学者ならば誰もが通る道だ。


 それに、その道を通っている時に誰かから一度は警告されたはずなのだ。


『これ以上、この件には関わるな』


 そんな立ち入り禁止の看板を薙ぎ倒した者の末路が、リータの祖父だ。彼は見せしめでもあったのだ。


「そ、そんなくだらない理由で……お爺様が……」


 その瞳に溜まる涙は一体何の感情を表しているのか。悲しさ、悔しさ、惨めさ、どの感情なのかを知っているのはリータだけ。いや、彼女にも分かっていないのかもしれない。


 すぐにでも人を殴る様に握られた拳を震えさせながら、下唇を噛む彼女は、下を向きながらも必死に涙を流すまいと堪える。決壊寸前の心のダムをぐっと押さえ込む。


「クソッ、胸糞悪ィ……」


 話を聞いたローズが壁を殴る。鈍い音を響かせながら彼女は歯軋りをする。


「…………」


 何も言わず、大して表情を変えないミレア。だが、微妙な顔の違いでミレアが激怒していることに、リュートは気付く。


 目の前には今にでも泣き出してしまいそうな一人の少女。


 ……前にも似たようなことがあったな。


 不意にリュートはミレアと出会ったばかりの頃を思い出した。


 グリッドの奇襲で怪我を負った自分を治癒魔法で完治出来ずにミレアが落ち込んだ時だ。あの時、リュートはミレアにどの様な言葉をかければ励ますことが出来るのか分からなかった。


 しかし、それは今回も同じだった。リータとは多少の時間、同じパーティーとして行動を共にしたが、リータがリュートを認めていないために二人の距離は同じパーティーメンバーとしては遠い。


 沈黙の時間が流れた。リータ、ミレア、ローズ、三人がそれぞれ怒気を孕ませているのは誰が見ても明らかだった。出す言葉を間違えれば一触即発も考えられるこの状況の中、一人だけ無言を貫いていた男が口を開く。


「もういいか? 時間が惜しい」


「「「――ッ‼︎」」」


 案内人だった。


 荒々しい足音を立てながらローズは案内人に近付き、彼を壁に押し付ける。


「テメェ! 今なんて言った!」


「時間が惜しい……時間の無駄だと言ったんだ。そんなよくある話は後でいくらでもしていろ。それに今は部外者であるアヴァレルキヤのダンジョンを正式に探索出来る機会だ。


 そこの魔法使いの爺さんの仇を取りたいのなら、こんな時間を作らずに探索した方が効率的だろう?」


「…………ッチ」


 案内人の言葉に一理あると思ったのか、ローズは彼の襟首を乱暴に離すと一人で純白の道を進んで行った。案内人を一瞥したミレアは無言でローズについて行く。


「やはり必要悪は難しいものだな」


 その後を案内人が何かをボヤきながら歩き始めた。


 場に残ったのはリュートとリータのみ。


 今にでも泣き崩れてしまうかもしれないリータに、やはりリュートは何を言えばいいのか分からない。ただ事実として、皆は進んだ。自分たちだけが立ち止まっている訳にはいかない。


「……行くぞ、下を向いていても進まない」


 彼女の肩に手を置き、道を促す。 


「…………うん」


 弱々しい湿った声で返事をしたリータは、目深くローブのフードを被る。その瞬間、床に一滴の涙が流れ落ちた。

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