第9話 ゼロ<改>


 ミレアは二人にしか聞こえないような声で、思いついた作戦の説明をする。


「……本当に上手くいくの?」


「まあ、このまま正々堂々と戦っても勝てないのは目に見えているしな。やってみる価値はあるだろう」


 不安を隠せないリータをローズが説得する形で話はついた。


 ミレアは深呼吸をし、一回きりのチャンスに臨む決意を固める。


「クリティカル・ストライク。パワー・ブースト。シールド・クラッシュ。


 私、カウントダウンを始めるわ。三……二……一……ローズッ!」


「オウラァァァッッッ!!」


 まるで猛獣のようなけたたましい叫びを上げたローズは、ミレアの魔法により一時的に攻撃特化へと変化した身体を使い、脱獄に使用した巨大なハンマーを全力で前方へと投げつけた。


 その直線上にいた憲兵たちは暗がりの中、悲鳴を上げながら我先にと左右へ別れる。壁がハンマーとぶつかり盛大に破壊されて大穴が開く。そして、


「リータッ!」


「分かっているわよ! シャイン・ライトニング! サイクロン・ブロー!」


 目を覆いたくなる程の暴力的な光が憲兵たちを照らし、縦横無尽の風が吹き荒れる。


 時刻は夜。世界は暗く染まり、松明をかざしていようとも、その脆弱な光では人間の夜目は健在である。健在であれば、この魔法は更に威力を増す。


 あちこちから苦痛の悲鳴が連鎖する。暗い空間に適した目になっているのにも関わらず、昼間以上の光が彼らを目を焼き付けたのだ。効かないはずがない。


 しばらくして、視力を取り戻した彼らの前からミレアたちの姿は消えていた。


 憲兵たちの一人がローズのハンマーにより空いた大穴を指差し、声を張り上げる。


「追いかけろ! 穴から逃げたとしても、そう遠くへは行っていないはずだ!」


 その光景は洪水のようであった。


 大穴から外へと次々に流れ出る憲兵たちは、まるで一つの意志を共有している生命体のようであった。


 最後の一人が外へと出て行くのを確認したミレアは口を開く。


「上手くいったわ」


「まさか、こんなに上手くいくなんて」


「憲兵たちって全員マヌケなのか?」


 リータの風の魔法により、強引に自分たちの身体を建物の屋根上まで移動させたミレアたちは、目の前の危機を乗り越えられたことに胸を撫で下ろす。


 重いハンマーを捨て、ついでに大穴を開ける。目眩しをして、強力な風を起こす。


 風は逃げる時に加速するために使用したと考えたのか、はたまた目眩しの一種として捉えたのか。それは憲兵たちによるだろう。


 人は多ければ多いほど、自身の思考は停止する。他人の行動を瞬時に模倣することで自身を周囲に溶け込まさせる。


 こうすれば、例え『自身の選択』が誤りだとしても、皆で責任を分断でき、自分は最低限のダメージでその場をやり過ごせる。


 しかし、この場合の『自身の選択』は既にないに等しい。自身の思考を止め、他人の行動を模倣した時点で、それはただの集団心理による同調圧力の他ならない。


 憲兵が憲兵を呼ぶ。


 今回、彼らがミレアたちを逃した理由が、責任者兼指導者の不在だ。おそらく、監獄の責任者は貴族。真夜中の今は屋敷のベッドで就寝しているのだろう。


 指揮をとる者がないければ、真っ先に行動を起こすのは行動力がある者。言い方を変えれば後先を考えない思慮の浅はかな者となる。


 ミレアはこの考えを二人に説明しようとするが、喉のところで言葉を止める。


 それは、二人が昼間に起こした行動が憲兵たちと重なってみえたからだ。


 詳細は異なる。が、周りに流された二人が黒の魔法使いを攻撃した事実に、ミレアの表情が曇る。


 仲間だ、パーティーだ、と言っても自分の言葉に耳を傾けてくれなかった二人に、ある種の特別な感情がミレアの奥の方で静かに芽生える。


「…………」


「ミレア、どうしたの?」


「着地する時にどこかぶつけたのか?」


「いいえ……なんでもないわ」


 この感情は一体なんなのだろうか。痛みはない、悲しくもない。ただ、とても胸がモヤモヤする……。


『──、──』


 それは蚊の鳴くような声だった。


「? 何か言った?」


 リータとローズがきょとんとした顔を見合わせる。


「ローズ、何か言ったの?」


「いいや、なにも。リータこそ」


「私はなにも言っていないけど……」


 空耳だったのかしら?


『────』


「──ッ!」


 聞こえた。確かに聞こえた。二人以外の何者かの声が。これは空耳なんかじゃない。


「空耳だったんじゃないのか?」


「私たち、なにも聞いてないわよ」


「二人共、聞こえないの? この声が」


「「声?」」


 二人してふざけている訳ではないようだ。そもそも、憲兵がこの場から離れただけで、近くにいることには変わりない。


 ふざけている状況ではない。では、この自分にしか聞こえない声は一体なんなのだろうか?


『──、──』


 小さすぎて、ハッキリとは聞こえない。ただ……呼んでいる。


「私、行くわ」


 このままじっとしていても時間の無駄だ。治外法権の他国へ行くか、遠くの街で偽名を使い生活するか。考えることは多々あるが、まず動かないことには始まらない。


「ミレア、行くってどこへ?」


「逃亡先でも決まったのか?」


 二人の問いに、ミレアは静かに暗闇の向こう側を指差す。そこに広がるのは、闇の化粧をした不気味な森林地帯。


 森。黒の魔法使いが逃げ込んだ場所。


 原因不明のモンスターピードにより、森に住むモンスターの大半が消滅したことで普段より危険性は低下している。少なくとも、人間が夜間に活動できる程には。


 しかし、それは彼を追うグリッド率いる冒険者たちも同じなのである。


 あの怪我で森を抜けることのは考えづらい。


 森の外周は包囲されているだろうし、人海戦術と言う名の数の暴力でしらみ潰しに探されれば見つかるのは時間の問題だ。最悪、もう見つかって殺害されている可能性だって十分に考えられる。


 リータが問う。


「ミレア、なんでそこまでして彼を──黒の魔法使いを助けたいの?」


 ローズが問う。


「確かに彼には助けてもらった。だが、彼を森に逃す隙を作ったことで借り貸しはゼロに戻ったはずだ。何がそこまでお前を動かす?」


 何故なのだろう。


 その具体的な答えはミレアの中でも出ない。気付いたら進んで助けようとしていた。それだけなのだ……いや、違う。明確な答えは最初からあったのだ。


「後悔をしたくないのよ。私、記憶喪失だから。いい思い出も、悪い思い出もない。だから、ゼロからマイナスにしたくない……からかしら」

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