第2話 深紅の炎


 リュートがゴーカにやって数日が過ぎた。


 黒い髪に黒い瞳は曽祖父譲り。曽祖父から伝わる丈夫な黒い上下の服の上から、黒いローブを羽織っている黒ずくめの男。


 未だ少年の幼さの面影が残る青年の身長は高くもなく低くもなく、特長と言えば、鋭い目と逆立った黒髪くらいだ。彼の雰囲気はまるでその目のように、鋭利な刃物のような印象を受け、自然と不機嫌さを醸し出していた。


 この間、ギルドの酒場で酔っ払いに絡まれたのもおそらくは、この目つきも関係がないこともないだろう。まあ、小耳に挟んだ話、あのガルムとかいうランクB冒険者は普段から問題を起こしているチンピラのようだが。


 現在、彼はギルドのクエストで街を出て外にある森を歩いていた。


 木々が生い茂る森は、どこを見ても緑色が広がっていた。木の葉からこぼれるように降り注ぐ日光の下で寝たら、どれだけ気持ちのいいことだろう。だが、ここは街の外。モンスターが蔓延る危険地帯だ。そんなところで寝るなんて自殺行為の他ならない。


 リュートはいつでも抜けるように、ローブの内側に隠している短剣に手を掛ける。


「俺になんの用だ?」


 彼は歩みを止めると、背後に潜む謎の人物に話しかけた。振り返るが、そこには誰もいない。しかし、彼は続ける。


「今更隠れても無駄だ。お前がここ数日、俺をつけていることには気づいている」


 ここ数日、正確に言えば、ギルドの酒場でガルムに絡まれた日から彼のことを尾行する一人の少女がいた。リュートは彼女の姿を確認しようとするが、振り向こうとすればすぐにどこかに隠れてしまう。


 初めは実害がないからと放っておいたが、森までついて来ると流石に気が滅入る。


「…………」


「…………」


 木の影から現れたのはとても美しい少女だった。


 絹のような滑らかな長い黒髪に、どこか神秘めいた作り物のような端正な顔立ちに大きな瞳。雪のように白い肌はとても平民には見えず、どこかの箱入り娘のようにも見える。出るところは出ており、それに比例するように引っ込むところは引っ込んでいる。スラリと伸びた手足は冒険者とは思えないほど細い。しかし、そこには無駄な脂肪はなく、あるのは引き締まった筋肉のみだということは、見る者が見れば一目瞭然だった。


 まるで、等身サイズの人形のような少女だった。


「誰だ?」


「私、ミレア」


 少女はミレアと名乗った。


「俺に何の用だ?」


「私、あなたにパーティーメンバーになって欲しいわ」


「断る」


 考えるような仕草も時間もなく、一瞬で拒否。


 リュートは踵を返し、歩みを進めようとするが、


「待って」


「――ッ!」


 ミレアがリュートのローブを掴んでいた。


 ミレアはリュートと会話するまで、ずっと尾行していた。尾行するからには、その対象に自分のことを気付かれてはいけない。つまり、一定以上の距離がリュートとミレアの間には存在したことになる。そして、その距離は決して、人間が振り返る一瞬で埋まるような距離ではなかったのだ。


 しかし現に、ミレアはリュートのローブを掴んでいた。

 走るような音はしなかった。


 例え、音を消して走ったとしても彼女の息は全く途切れておらず、ずっと変わらない無表情を貫いている。


「お前、何者だ?」


 信じられないような顔をしたリュートの口からこぼれた言葉に、ミレアは淡々と答える。


「私、ミレア」


「そういうことじゃない」


「?」


 目の前の謎の少女は、一瞬呆けたような表情になると、理解できなかったのか頭を傾けた。


 この女、わざとか? それとも抜けているだけか?


 それは分からないが、少なからずリュートはミレアと名乗る謎の少女から敵意や害意と言ったものは感じなかった。


「……はあ」


「?」


 相変わらず、頭を傾けるミレアを見ながらリュートは嘆息した。


「放せ」


「私、嫌だわ」


 別に悪いヤツではないようだが、だと言って、パーティーメンバーになりたい訳ではない。より言うとなりたくない。


 でもこの女、もしかして俺がパーティーメンバーになるって言うまで、ずっと付きまとうつもりじゃないよな? 


「もう一度言う、放せ」


「私、嫌だわ」


 説得を半ば諦めたリュートは、強引にミレアの手を振りほどく。


「あっ……」


 その場からリュートは離れようとするが、再びミレアが彼のローブを掴んだ。


「待って」


「だ・か・ら・なッ!」


 その時だった。


「うわあああああぁぁぁぁぁッッッッッ‼‼‼‼‼」


「「――ッ!」」


 リュートはミレアの手を再び振りほどき、叫び声のした方へ走り出した。


「うわあああああぁぁぁぁぁッッッッッ‼‼‼‼‼」


 少し走り、リュートは声の発生源へとたどり着いた。


「ちっ、マジか」


 そこにいたのは、ギルドからランクA以上の冒険者でないと、狩猟を許可されていない巨大なモンスターだった。


 モンスターにも、冒険者と同じようにランクが存在し、冒険者は自分のランクを超えるモンスターを狩猟することは禁止されている。


 甲殻類のような姿をしたモンスターと戦っている冒険者は満身創痍の状態で、必死に武器の大剣を振るっているが全く力がこもっていない。他のパーティーメンバーも近くで倒れており、冒険者がモンスターの餌食になるのはもう時間の問題だった。


 考えている余裕はなかった。

 リュートはローブの下から一枚の札を取り出す。


 その札の中央には、紅い鱗を持つ竜が彩色豊かに描かれており、その周りにはどこの国のものかも分からない異国の文字がびっしりと刻み込まれていた。とても美しい札だった。


「燃える真紅バーニング・クリムゾンッ!」


 リュートは赤竜が描かれている側をモンスターに向け、掲げる。


 次の瞬間、その札からモンスターに向けられて真紅の炎が噴出された。


『ギャアアアアアウワアアアアアッッッ‼‼‼』


 とどまることを知らない混じりっけのない真紅の炎が人の数倍はあろうかというモンスターの身体に直撃し、その部分を一瞬で焼き焦がす。


 そして、鼓膜を破くほどの悲鳴を上げたモンスターは、その巨体からは考えられない速さでその場を去った。


 ほんの一瞬の出来事に、モンスターと戦っていた冒険者も何が起こったのか現状を理解できず、その場に立ち尽くし茫然としている。


 鼻を刺すような、モンスターの焦げた臭いが場にそこはかとなく嫌悪感を醸し出す。


 その冒険者の顔をハッキリ見て、リュートは思わず、小さく「あっ」と言ってしまった。


 そこにいた冒険者は、つい数日前に酒場でリュートに絡んだ酔っ払いのガルムだった。


 ガルムはランクB。それに対し、さっきの甲殻類の巨大モンスターはランクA。何故ベテラン冒険者のガルムがそこまでモンスター一体に苦戦を強いられていたのか。

 

 その理由は単純明快で、ランクA以上でなければ、到底相手にできないからだ。自殺行為とそう差はない。


 では何故、ガルムは自分のランクを上回るモンスターと戦っていたのか? 

 

 ギルドでは禁止されているはずだ。稀に初心者が自分の力を過信して、ギルドに黙って強力なモンスターに挑むことはあるが、ランクBまで上り詰めたベテランがそんな無謀なことをするだろうか?


 勝手な想像であれやこれやと考察するよりも、目の前のガルムに聞いた方が早いのだが、おそらく今の彼ではまともに取り合えないだろう。


 リュートはこれからどうするか、と考えに集中していたからか、


「――ちっ」


 少し離れたところで、ミレアがじっと、自分のことを観察していたことに今気が付いた。


 いつから見ていたかは分からない。しかし、彼女に自分が札を使うところを見られてしまったことは理解できた。


 リュートはミレアを振り切ろうと、木々が集中する箇所を通りながら街へ戻ることを決意し、走り出した。

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