第3話 グリッド <改>
黒の魔法使いがガルムをモンスターから助けて森に消えた翌日。
ギルドには普段から大勢の冒険者たちによりひしめき合っている。しかし、その日はそれよりも大人数の冒険者たちが集まっていた。
理由はたった一つ。ギルドがクエストを発注していないからだ。
「おいっ、これはどういうことだッ!」
「なんで、冒険者が冒険をしちゃあいけねぇんだよ!」
「俺たちに野垂れ死ねって言ってんのか!」
朝からそんな怒号が交差していた。
クレーム対応におわれている受付嬢は、昼にはギルド長の方から報告がある、と頭を下げっぱなしだ。
それはまさに異常事態以外のなにものでもなかった。
冒険者とは、ギルドから発注されるクエストを頼りに生活をしている者たちだ。それ以外にも、バイトなどを掛け持ちしている者も稀にいるが、そんなものはクエスト報酬に比べればはした金に過ぎない。それが嫌だから皆が冒険に食らいついているのだ。
ミレアたちはそんな光景を眺めながら、酒場のいつものテーブルで武器の手入れをしていた。
「でも、本当に何があったんて言うんだ? ギルドがクエストを発注しないなんて前代未聞だぞ」
ローズが愚痴るように言った言葉に、リータも顎に手を添えながら考える。
「……もしかして、この間ミレアが言っていたことが関係しているかも」
「? 私?」
「ほら、ギルドは敢えてクエストランクを上げていないのかも、って言っていたでしょ? あの話よ」
「私、理解したわ」
それはモンスターが強くなってきた、という話の延長線上で話したミレアの考察だった。
もしかして、ギルドがクエストを発注させないのは既に発注されたクエストのランクを全て再検査しているのかもしれない。
「あ~、あの話か~。そう言えばミレア言っていたな……うん? そう言えばミレア、なんか言っていなかったか? なんか人探しをするとか」
そもそも、元をたどればモンスターが強くなった云々も、その話の延長線上の話だ。
「そう言えば、あの後黒の魔法使い風の盗賊が出て来て話が終わっちゃったんだっけ。ミレア、彼って誰? もしかして、ミレアにも気になる人が出来たとか? ついにミレアにも春が来たとか? ねぇ誰よぉ~、教えなさいよぉ~」
リータはにんまりとした顔で肘をミレアにウリウリとこすり付ける。
「え? そうなの? ミレア、好きな人が出来たの⁉ えっ、誰⁉」
恋愛脳のリータは置いといて、周りが女しかいない環境で育ったローズは恋愛事には超が付くほどの敏感な少女だった。
「私、黒の魔法使いを探すわ」
「「えっ⁉」」
二人の虚を突かれたような素っ頓狂な声に、周りにいた数人の冒険者たちが彼女たちに視線を向ける。
それを察した二人は、少し赤らめた顔で軽く咳払いをする。そして、声のボリュームを下げミレアに少し顔を近づけた。
「ミレア、どういうことだ? 噂しかない正体不明の男を好きになるのは、流石にないと思うんだが……」
「てか、本当にいるのかどうかも分からない相手に恋心を抱くのはちょっと……」
二人のそんな反応にミレアは首を傾げる。
「? 私、黒の魔法使いに会ったわ。二人も既に会っているわ」
「「え?」」
ミレアの言葉に、今度は二人が首を傾げた。
「既に会っている? 私たちがか? まさか、あの時ガルムに絡まれた盗賊のことか? 彼は黒の魔法使いじゃなかっただろう?」
「いいえ、彼は黒の魔法使いだわ」
ミレアはこの数日間、彼を尾行していたことや昨日あったことを二人に話し始めた。
「なるほど、そんなことが……」
「その後、彼はどうしたの?」
「森の中に消えて行ったわ」
ミレアの話が終わり、ローズとリータはそれぞれ何かを考えるような神妙な顔をしていた。
「でもミレア、よく彼が黒の魔法使いだと分かったな」
「いつ彼が黒の魔法使いだって確信したの?」
「私、疑い始めたのは彼がガルムに絡まれた時。彼、全く動じていなかったから。そして確信したのは彼がガルムを助けた時よ」
別に二人はミレアを疑っている訳ではない。ミレアがそんなつまらない嘘を言う人物ではないことは、長い付き合いで分かっているからだ。
がしかし、これは正直に言って嘘と言ってくれた方がどれだけ良かったことか。
ガルム《ランクB冒険者》の前にランクAモンスターが出現し、殺されそうになっていた。そこを黒の魔法使いが謎の札を使ってモンスターを撃退した。
簡潔にまとめると、こんな感じだ。
何故、ガルムの前にランクAモンスターが現れたのか?
黒の魔法使いが使用した謎の札とはなんなのか?
一体、この街で何が起こっているのか?
現在進行形で起こっている異常事態の謎は未だに不明の部分が多い。それは、ローズ、リータ、ミレアにも分からないことだ。しかしそんな中、これだけは言えた。
「ミレア」
「?」
リータに呼ばれたミレアは顔を向けた。
「確認なんだけど、黒の魔法使いを探していたのは好きとかじゃなくて、パーティメンバーに入れて戦力を増強しようとしたからよね」
「?」
「な~ん~で~、私たちに一言も相談しなかったのよ~」
ローリはミレアの頬を横に広げながら明らかに不機嫌な声で言った。しかし、当のミレアは相変わらずの真顔で、
「わふぁし、いふひふようはふぁいとほもったわ《私、言う必要はないと思ったわ》」
「あるでしょうがこのフラットバカ! 私たちはパーティーメンバーなんだから、そんな重要なことはちゃんと相談しなさいよ! 報連相は知っているわよね!」
「私、胡麻和えが好きだわ」
「そうじゃないでしょ、この天然が! それに入れようとしていたのは男でしょ! 大問題じゃない!」
「うん? 何が問題なんだ?」
「ローズ、これだから女しかいない集落の田舎者は!」
田舎者、という単語に一瞬顔をしかめたローズだったが、それに気づかずにリータは続けた。
「いい? 私たちは女三人のパーティなの、そこに男が一人加わればほぼ確実にその男のハーレムパーティに様変わりするのよ! そんなの絶対嫌よ! 私は、私じゃないと愛せないっていう一途の男とじゃあないと恋愛をする気はないのよおぉ!」
リータのどこか演技がかった熱弁に圧倒されるが、さきほど田舎者呼ばわりされたローズが食って掛かる。
「いくら恋愛脳でもそれは飛躍し過ぎだ、発情期か。それに私はそう簡単に男に惚れることはないぞ」
「へっ、何を言ってんだかこの田舎娘は。大体あんたみたいな武力と暴力が混ざり合ったような環境で育った女は、力を持つ男に落とされやすいのよ!」
「それはアマゾネスに対する偏見だ! この運動音痴魔法使い!」
「それだって魔法使いに対する偏見じゃないのよ!」
わーわーぎゃーぎゃー、と二人がヒートアップした時、受付に押しかけていた冒険者たちの「ギルド長が出て来たぞ!」という声で口喧嘩は中断された。
奥の扉から出て来たのは男老だった。
本名、ミガルド・グリッド。
頬には大きな刃物で斬られたような傷跡があり、オールバックの白髪に刃物のように鋭利な目。顔には年相応の深いしわが刻まれている。現役の冒険者にも匹敵する程に引き締まっている筋肉質な身体からは、齢八〇を過ぎた人間とはとても思えない。
剣士ならともかく、あれで魔法使いというのだから驚きだ。たしか得意な魔法は水という話をミレアは思い出した。
十数年前に冒険者を引退した元ランクA冒険者の風格は未だに健在だった。がしかし、自分の生活が掛かっていることもあり、余裕のない冒険者たちの口撃が一気に彼に集中した。
空気が一変した。
始めこそ勢いのある口撃だったが、その声は攻撃的なものから次第に戸惑いの色に染まっていった。
その原因は、ギルド長の背後に控えている一人のランクB冒険者だった。
「おいあれ、ガルムだよな?」
「え、えぇ。多分……」
「…………」
そこにいたのはベテラン冒険者のガルムだった。しかし、皆が戸惑うのも無理はなかった。
いつもの彼は、自分の実力を知っていたからこそ常にギルドで大きな顔をして、気に入らない者には難癖を付けて絡み、逆らう者には力ずくで従わせる。
そんなガキ大将がそのまま大人になったような傍若無人の彼の姿は、昨日とはあまりにも変わり果てていた。
ギルド長のことを風化した元ランクA冒険者と面と向かって馬鹿にしていたのはこの場の誰もが知っている。つまり、彼はギルド長に怯えている訳ではない。
覇気がなく、とても弱々しい今の彼はまるで半ば魂が抜けたようにも感じられた。
つい先程までの騒ぎが嘘のようになりを潜め、祭りにも匹敵する程の騒音はまるで葬式のような沈黙が支配した。
少しして、ギルド長の小さな咳払いでその沈黙は破られた。
「中には知っている者もいると思うが、昨日ランクB冒険者のガルムがランクAモンスターに襲撃された」
ざわざわざわ、と冒険者たちの大量の小声がまるで波紋のように広がっていく。
「時刻は昼過ぎ、ランクBモンスターしか生息していないはずの場所に、ランクAモンスターが出現したらしい。不幸中の幸い、彼はどこからか飛んできた炎によりどうにか無事だったが彼のパーティーメンバーは意識不明の重体だ」
ギルド長の報告に更に波紋が広がっていく。予め、ミレアに話を聞いていたローズとリータだったがギルド長から話された新たな真実にずっと口を閉ざしていた。
ミレアが彼女たちから聞こえてくるのは、稀に唾を飲み込む不安の象徴のみ。
「ランクBモンスターの生息域にランクAモンスターが出現した理由は未だ不明だ。
もしかすれば、ランクCモンスターの生息域にランクA、Bのモンスターが出現するかもしれない。そのため、ギルドは一時的にクエストの発注を停止させてもらった」
「じゃあ、俺たち冒険者はどうやって生活すればいいんだよ!」
一人の冒険者が放ったその言葉に続けと、二の矢、三の矢が飛ぶ。
「そうだ、クエストが出来ない間はギルドが俺たちの世話をしてくれるのかよ!」
「それとも他に何かいい金稼ぎを紹介してくれるのか!」
まるで嵐のような怒号が吹き荒れる。先の見えない不安に駆られた彼ら彼女らの金銭への欲求がギルド長一を覆う。
街全体に緊急事態の鐘が鳴り響いたのは、その時だった。同時に入ったアナウンスによってその警報の正体が明かされる。
『緊急警報です! ゴーカに向けて大多数のモンスターの集団が移動を始めました! 冒険者の方々は速やかに撃退に向かって下さい!』
「モンスターのスタンピードだ。いい金稼ぎじゃねぇか」
まるでこうなることが始めから分かっていたかのように、ギルド長は不適切な笑みを浮かべた。
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