第12話 偽物
そこは暗い部屋だった。
まるでこの部屋だけが明かりのつく前の施設のようだ。意図的にそうしているのかは分からない。
もしかしたらこの部屋のみ『空の力』が働いていないということなのだろうか。
いや、違う。部屋の奥の奥がぼんやりとまるで蛍のような淡い光で照らされていた。
その黄緑の薄光の正体はここからでは見えない。
ミレアがそちらを見つめていると、隣にいた黒の魔法使いがその光の方へと歩き始めたので、ミレアもそれに続く。
カンッカンッ――と一歩ずつ足を進める度に響く足音が嫌に耳に刺さる。
少しずつ大きくなる光源はどこか懐かしさを感じ、気付けば心の中には安心感が生まれていた。
そんなミレアだが、次の瞬間、彼女の表情が驚愕したものとなる。
そこには大量の……水槽といえばいいのだろうか。二、三〇程の水槽が設置されていたのだ。
しかもその水槽は普段街中で見かけるような小さいものではなく、円柱形で縦に設置されており、その中身は蛍の光のような黄緑色の淡い液体で満たされていた。
そしてその水槽には、それぞれ人間が入っていたのだ。その人間というのが、
「……わた……し?」
始めに心臓の鼓動がけたたましくなった。呼吸が荒く、リズムが崩れる。
一糸纏わぬ姿の、産まれた時の状態のミレアが静かに目を閉じていた。
他の水槽にも同じ顔が見られる。辺り一面が、
ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。ミレア。
頭がパニックになる。何も理解出来ない。整理出来ない。飲み込めない。情報が多すぎる。
この施設のことを知った時とは比にならない。頭が白くなり、何も考えられなくなる。
彼女たちは一体なに?
なんで全員私と同じ顔をしているの?
なんで水槽に閉じ込められているの?
この施設は一体なに?
『空の力』って一体なんなの⁉︎
そしてふと、つい先程のことを思い出す。
私、なんでさっき懐かしさを覚えたの?
ガタンッ!
「――ッ⁉︎」
ミレアの思考を遮ったのは、近くに置いてあった机の引き出しだった。黒の魔法使いが強引に開けたのか、引き出しが机本体から外れ、それが床に落ちた音だった。
自分一人だったらいつまで呆然と立ったままだったのか分からない。今も状況が整理出来ていないが、ずっとこの状態でいてもなにも進展しないのは考えるよりも先に分かる。
ミレアは自分の胸に手を当てると、無理矢理に深呼吸を何度も繰り返し、呼吸をどうにか整えた。
そして、黒の魔法使いの方へ視線を移すと、彼は蛍色の光の中、一冊の本を手にしていた。
「く……く、黒の魔法使い、それは?」
「……日記帳だ。長い長い時間の中、遥か過去の自分へと延々と受け継がれ続けてきた男の執念の証だ」
そう言って黒の魔法使いは、日記帳を近づいてきたミレアに手渡した。
手渡された日記帳はボロボロで、古めかしくなった文字は長年の歳月を物語っていた。
そこに書かれていたのは、ある一人の……どこにでもいる男の半生だった。
男は元冒険者で、かなりの腕を持つ魔法使いだった。一人の女と恋に落ち、結ばれた二人の間には一人の娘が産まれた。
しかし、元々身体が弱かった女は娘を産む際に、身体への負荷に耐えきれずに死亡。男は一人で娘を育てることになる。
出産で女が死亡するのは珍しいことではない。健康体の女だろうが、死亡することはよくある。男は悲しみに明け暮れたが、そこには決して妻の死への後悔はなかった。
しかし、運命が男を嫌っていたのだろうか。
十数年後。娘は男の妻、娘の母親と瓜二つに成長していた。母親似だった娘は、街では噂の美少女となり、男は親として娘を誇りに思っていた。
が、娘が母親から受け継いだのは美しさだけではなかった。
娘が死んだ。病死だった。
母親から身体の弱さまで受け継いでしまった娘は、なにも特別ではない、どこにでもあるような病で床に倒れ、二度と立ち上がることなく息を引き取った。
男は娘の死を受け入れられなかった。
女が我が子を産んで死ぬのと、産まれながらの体質で死ぬのとは訳が違う。
男には、思い返せば娘の身体が弱いと思える節があったらしい。
娘が死んでから、思い出し、男は後悔した。
もう少し早く思い出していれば、娘が病に倒れる前に思い出していれば未来は変わったかもしれない。
だから男は……過去へと翔んだ。
それからの日記帳の内容は、もはや意味不明であった。書かれている文字は読める。
しかし、頻繁に使われるようになった単語の意味が分からなかった。
「せかい……せん? へいこう……せかい? たいむ……ましん?」
聞き慣れない単語。何かの学問の専門用語なのだろうか。既に読み終えていた黒の魔法使いが口を挟む。
「掻い摘んで説明すると男は過去に戻って娘を助けようとしたが、失敗した。娘の身体は男の予想以上に病弱で、何度繰り返しても死という運命からは抜けられなかったらしい。娘も娘で、毎回生きることを諦めていたとか書いてあるな」
途端に、ミレアは自分の胸が締め付けられるような感覚に支配された。なぜだろう。同情はしている。
男の悲劇は第三者視点からして見れば決して特別な悲劇ではない、十分にありえる悲劇の範疇だ。では、この胸の苦しみは……。
「だから、男は娘の死の運命を受け入れた。そして男は、現在進行形で娘の複製を造り出し、それを成功させることで娘が復活したことにしようとしている」
「――ッ! ま……ま、待っt――」
視界がぐにゃりと歪み、ふらついて床に力なく座り込んでしまう。
言葉が思うように出てこない。言いたいことがあるのに喉に詰まってしまう。腫れていないはずの喉が言葉を出すのを必死に止めている。
分かっているのだ。言葉に出したらそれがどのような真実であろうとも、自分が納得し、理解し、受け入れ、認めてしまうことに。
ミレアは、自分の周りを見回す。
暗闇の部屋を優しく照らす数多の蛍色の光。その光の液体に入っている何十体もの同じ顔を持つ裸の少女たち。
そう、自分と同じ顔をした数多の少女たち。
口を魚のようにパクパク動かすだけで、言葉が出てこない少女に向かって黒の魔法使いは言う。
それが、彼女を更に混乱させてしまうことを知っていても。
真実からは逃げられない。いくら逃げようが追いかけてきて、最後には必ず捕まる。だから、彼は言うのだ。必死に真実に抵抗する目の前の少女に向かって。彼女が認めたくない、捕まりたくない真実の言葉を。
「ミレア、どうやらお前は複製人間。男の娘を元に造られた偽物らしい」
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