第4話 案内人
「今はどこに向かっている?」
「ダンジョン、お前たちの仕事場だ」
リュートの問いに、先頭の案内人が答えた。
長い長い廊下を歩いていく。壁や天井にはビッシリと色彩豊かな絵画が描かれており、それは何かの神話だった。確か、このような宗教画をイコンと呼ぶのだったか。
まるで学舎と言うよりは教会だな、とリュートは思った。
学院の生徒たちは授業の時間なのか、廊下には一人も見当たらない。その代わり、教師と思われる初老の男女とたまにすれ違う。
「ダンジョンが建物の中にあるのか?」
周りのイコンを流し見しながらローズが疑問を口にする。
「ああ、この付近は超古代の遺跡が次々に見つかっていてな。それを調査することも兼ねてここにアヴァレルベキヤが建てられたと言っても過言ではない。
つまり、魔法の練習用に用意していたダンジョンでたまたま新しい遺跡への入り口を発見しても不思議ではない。他に質問はあるか?」
ミレアが手を上げる。
「私、質問があるわ」
「なんだ?」
「これ、一体どういう神話なの?」
周りのイコンを見回しながら、ミレアは? を浮かべた。
実際、そんなものだ。イコンとは文字を読めない者――聖典を読めない者――でもある程度の話を理解出来るように描かれた画だ。
しかし、そこに語り部がいなければ神話の詳細や理解の相違が発生するのは必然だ。絵だけをまとめた絵本のようなものだ、初見が語り部なしに理解出来るはずがない。
「話は長いから簡略すると、神が俺たちに魔力を与えてくれたから魔法が使える。だから神に感謝しろって話だ。それが真実かどうかは知らんがな」
「? あなたは信じていないの? 魔法使いなのに」
「ふっ、俺が信じるのは自分だけだ。それに魔法使いなのに神を信じていないって話なら、お前たちの仲間も同じだろう?」
その時、リータの動きが止まった。
案内人は自分のローブの胸元に入れられた刺繍をみんなに見せる。
「右手には知性の象徴であるフクロウの頭、左手には魔法使いの象徴である杖を持った神の刺繍だ。これがアヴァレルキヤにとって神を信じている証だ。さっき通りがかった教師たちの胸元にも入っていただろう」
そういえば入っていた気がするような……。
「この学院内だと魔法使いは神を信じている方が何かと都合がいいからな。ほら貸してみろ、俺が購買に頼んで格安で入れてやる」
案内人がリータのぶかぶかローブに触れようとした時、
「触るなあああああッッッ!」
「「「「ッ⁉︎」」」」
豹変。
学院内に入ってからずっとおとなしくしていたリータの顔が怒りに染まっていた。一瞬、その場にいた全員の動きが止まる。
廊下で延々に反響する彼女の怒号は遥か彼方まで響き渡り、気付けば手には杖を持っていた。肩で息をするリータは威嚇のつもか、杖を案内人に向けて再び、
「私に……触るな……ローブに……触るな……そんなもの……入れるな……ッ!」
「……そうか、悪かったな」
伸ばした手を引いた案内人はそのまま歩行を再開させた。
「リータどうした? お前少し変だぞ」
「身体、どこか悪い?」
心配したローズとミレアがリータに近寄るが、
「……なんでも……ないわよ」
リータはそんな二人を気にとめずに先へ進んだ。
「なんでもない訳がないだろう」
リュートは確かに感じていたリータとの間の壁が、更に分厚くなったのを感じ取る。
自分より長い付き合いのミレアとローズにもリータは何も言わなかった。ならば、自分が何を言っても無意味だろう。少なくとも、今のリータには誰の言葉も伝わらない。受け取ろうとしない。
リュートは、呆然とする二人に歩みを再開するように促した。
「ここが新しく発見された超古代遺跡への入り口だ」
そう言って案内されたのは、アヴァレルキヤの地下に存在する魔法の練習用に設置されているダンジョンの一角だった。
ダンジョンは全体的には洞窟のイメージ。天井などには一定間隔で明かりが設置されており、何本もの道が交差した結果、迷路のようになっていた。ゴツゴツとした地面に時折ジメジメとした生ぬるい風が吹くのが気持ち悪い。
新しく発見された遺跡への入り口はまだ整備が整っていないためか、ただただ大きく掘られたトンネルと言った感じだ。
「そう言えばここまでモンスターを全く見なかったが、本当にここはダンジョンなのか」
ローズが案内人に問いかける。
リュートもそれは薄々疑問に思っていた。人やモンスターの気配に人一倍敏感なリュートがここに到着するまで、全く生物の気配を感じなかったのだ。
だが到着してその理由をリュートは知った。その理由はとても簡単な答えだった。
「きっと冒険者の数が多かったんだろう。やって来た冒険者の数は俺の予想のざっと二倍だ。
普段は外界との関係を断ち切っているアヴァレルキヤ、そのダンジョンのモンスターの素材となれば希少価値はとても高い。
聞いた話、参加したパーティーには今回限りで荷物持ちを募集したヤツらもいるらしい」
入り口から少し離れたところには、数えるのが億劫になる程の冒険者たちがいた。それぞれのパーティーがある程度の間隔を開けて装備の手入れや、戦利品の山分けを始めたりしている。
その人数の多さに思わずリュートの口から言葉が漏れる。
「もうこれ、ゴーカの街のギルドよりも多いだろう」
「ああ、それに見ろ。ほとんどの冒険者、装備から見て最低でもランクB以上が確実だ」
ローズが彼らの装備を指さして補足説明を加えた。そして、
「なあ、リュート」
「なんだ?」
「私たち、バカにされないか?」
手入れをされている冒険者たちの豪華な装備に比べ、自身の貧相な装備に見劣りしたローズが不安な声を上げる。
「もしバカにされても無視しておけ。強引に何かされそうになったらミレアがなんとかしてくれる」
いきなり自分の名前を呼ばれたミレアは頭を傾ける。
「そこは男らしく、俺が守るとか言わないか? 普通は」
呆れが入った視線を向けるローズだが、残念ながらリュートの職業は盗賊だ。
「対人戦では、明らかに俺よりミレアの方が強い。俺もその気になればミレアと同等レベルになれるが……それは奥の手だ」
「……あ〜、竜の札か」
竜の札による変身。竜の札という希少アイテムは人の目が多いところで使用すれば、目撃者に奪取される場合がある。
それは避けなければならない。それに、どうやら今回のクエストで竜の札を使用することは出来ないかもしれない。
普段なら、周りにバレないようにしながら炎を出す。しかし、竜の札に限らず炎には――正確には黒い煙には――毒が含まれており洞窟などの空間では自分や仲間がその影響を受ける可能性がある。
現状のような開けた空間なら炎は使用可能だが、密閉やそれに近い空間の場合、竜の札から放出された炎の毒は分散されずにその場に留まってしまうのが問題だ。
短時間気分が悪くなる程度なら構わないが、最悪の場合は死に至る。
生きようとして炎を使用した結果、それが原因で死んだら本末転倒だしな。使用するとしても、変身して身体強化をするくらいだろう。
「なによッ!」
いつの間にかいなくなっていたリータの叫び声が聞こえた。数多くの冒険者を掻き分け、声の発信源へと向かう。
「だからテメェみたいな雑魚が来る場所じゃねぇって言ってんだよ。どうしてもここに残りたいのなら金を出しな。そうすれば俺たちのパーティーの荷物持ちに雇ってやるよ」
下卑た笑い声が聞こえた。
明らかに不良な冒険者たちにリータが囲まれていた。リュートの恐れていたことが起きたのだ。
「ふんっ、わざわざ雇われる側がお金を払う訳? あんた、常識が欠落しているんじゃないの?」
世間一般の常識ならリータの言っていることの方が正しいだろう。だが、ここにいるのは全員が冒険者だ。力こそ全て、弱肉強食の武力社会なのだ。
「いいや、この場合のバカはお前だ、魔法使いの嬢ちゃん。お前は俺たちより弱いからな。強者の命令に従いな」
リータを囲んでいる不良冒険者たちの数は五人。リュートではまず勝てない。ならば、やるべきことは一つ。
「ミレ――」
「ならば、お前たちは俺の命令に従うんだな」
リュートがミレアを呼ぼうとした時、一人の男が群衆の中から出てきた。その男とは
、リュートたちをここまで送り届けた案内人だった。
「ああ? たかが案内人の兄ちゃんがランクB冒険者をまとめて五人相手出来んのか?」
盛大に笑う彼らに、案内人は鼻で笑い返す。
「ああ? なに笑ってんだテメぇ。アヴァレルキヤのもんだからって容赦しねぇぞ!」
「さっさとかかって来い。お前みたいなヤツは言葉よりも拳の方が理解しやすいだろう?」
「ああ? なんだお前、魔法使いなのに殴るんかよ」
揚げ足を取ったつもりの不良冒険者が嘲笑を浮かべる。しかし、案内人は悠然とした態度を崩さなかった。
「ふっ、さっさとかかって来いと言ったはずだ」
構えを取らず、腰に携えていた杖を地面に捨てた。彼は紛れもない丸腰になった。
「テメェ……舐めてんのかぁ!」
激昂した不良冒険者が獲物の片手剣を勢い良く振るう。それに続けと言わんばかりに周りにいた彼のパーティーメンバーもそれぞれの獲物を案内人に振るった。
案内人は次々に自身を襲う攻撃を全て紙一重で避けると、避けた攻撃に合わせてカウンターを叩き込んでいく。それは拳だったり蹴りだったり投げだったり、案内人のカウンターには武器や魔法と言ったものは存在しなかった。ただの身体能力と体術、それだけで五人の冒険者パーティーを圧倒していく。
数秒もしない内に、その場に立っているのはリータに絡んだ不良冒険者だけになっていた。
「な、なんなんだよ! テメェは⁉︎」
恐れと怯え。二つの感情に支配された彼に最早戦う意思がないのは見てとれた。たった数秒の間で、丸腰でランクB冒険者を力でねじ伏せたのだ。自分がターゲットにされれば誰だって怖くなる。
そして、その問いに案内人は答える。
「産まれながらの英雄だ、運命を背負うな」
不敵な笑みを浮かべながらローブを勢い良く翻した彼はいつの間にかに拾っていた杖を腰に携える。
「お前が仲間を縛っておけ」
そう命令された不良冒険者は震えながらもどうにか仲間のバッグを漁り、中から取り出したロープで気を失った仲間を縛り始めた。そして、全員を縛り終えると、
「ご苦労。俺が戻って来るまでそいつらを見張っていろ」
不良冒険者が頷いたことを確認した案内人は声を大にする。
「いいか、これより遺跡の調査を開始する。こいつらみたいなヤツが出たらすぐに退場させるからそのつもりでいろ。文句があるヤツは今のうちに出てこい」
案内人の声に誰も返事を返さない。誰もが今この瞬間に理解したのだ、この場で最強の存在を。
中にはランクA冒険者が紛れているかもしれない。ランクA冒険者なら彼に勝てるかもしれない。
しかし、だからと言って戦おうとは思わないだろう。メリットがないのだから。丸腰で手加減をしてアレなのだ。
お互いが本気を出してみなければ分からないと言っても、それに戦うメリットなどはなく、デメリットの方が大きいのは明白だった。
しばしの沈黙の末、誰も異を唱えないことを確認した案内人は静かに歩き出す。群衆が二つに割れ、そこに生まれた道を彼は悠々と進む。
その先にある先の見えない暗闇のトンネルに向かう後ろ姿は、人々の視線を一身に受けていた。
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