第7話 声 <改>

「はぁはぁはぁ……」


 緑が支配する深い森の中、リュートは肩で息をしながら、身体中に稲妻のように走る激痛を纏わせながら逃げていた。


 変身の副作用による高熱や倦怠感、極度の疲労による身体の不調が思考に靄をかける。


 スタンピードによってモンスターが激減している森の中は、人間たちにとって驚異でもなんでもなかった。


「そっちにいたか⁉︎」


「いねぇ! あの化け物、どこに行きやがった!」


 リュートはすぐさま物影に身を潜めて、声のした方を視線を飛ばす。


 冒険者の男が二人。協力して俺を探しているところを見るに、同じパーティーか。


 この程度の思考能力は残っているならば、まだ大丈夫だ。俺は壊れていない。


 額から出る汗は運動したことにより出たものか、はたまた、見つかることへの恐怖が流させた冷や汗か。自分でも判断できないものを腕で拭い取る。


 現在、周りに二人の男以外がいないことを確認したリュートは、無理矢理にでも思考の歯車をを回転させる。


 今の俺では確実に二人の冒険者を相手にして助からない。ならば、変身して倒すか……駄目だ。


 通常の変身でも身体に負担がかかるのに、短時間での再変身は最悪、死に至る可能性もある。万が一、無事に再変身できたとしても、おそらく暴走してしまうだろう。


 暴走。


 その言葉が脳裏をよぎった瞬間、リュートは再変身の選択肢を躊躇なく捨てる。


 物影で独り隠れるリュートに、短い記憶が浮上する。


 真夜中なのに赤く燃え上がる村。我先にと逃げ惑う盗賊。無惨な姿に成り果てた人々……。


「ちっ、これも変身の副作用か」


 気持ちが重い。


 あの日、あの時、あの場所で起きた出来事を忘れたことなど一度もない。だが、いくら頭を振っても、瞼を閉じても、炎々と燃える真紅の炎が、あの出来事を嫌な程に力強く照らし出す。


『────』


「──ッ⁉︎」


 突如聞こえた女の声に困惑する。あの二人以外の男はいなかったはずだし、現に声の主だと思われる女の姿を確認できない。


『──────』


 空耳を疑った。だが、違った。今にでも消え入りそうなか細い声は確かにリュートを呼んでいた。


 声からは敵意や殺意といったものは感じられない。ただ、リュートに懇願するような儚げな声が、彼の脳内に響き渡る。


 これも変身したことによる副作用なのだろうか。だが、幻聴を聴くことなど今まで一度もなかったはずだ。じゃあ、この声は一体……。


『────』


 罠の可能性はある。だが、このまま物影に身を潜め続けても安全ではないのは事実だ。

 

 リュートは男たちに気付かれないように、声のする方へ。


 森の更に奥へと歩を進めた。





 どれほど歩いただろうか。呆然とする頭には、時間の感覚はない。


 かなりの奥の方だという認識はある。スタンピードが起きていなければ高ランクモンスターと遭遇し、命を落としてもおかしくはなかっただろう。


 陽は傾き、青色だった空はオレンジへと変色していた。徐々に広がる闇が森を侵食し始め、ゆっくりと夜の世界へと作り変えている最中だった。


『────』


 相変わらず聞こえる謎の声に導かれるように力なく歩くリュートの姿は、夜の森と相まって幽霊やその類いの不気味さを醸し出していた。


『────』


 声が止まった場所には、冒険者と思われる白骨化した死体が転がっていた。おそらく、モンスターに殺されたのだろうか。


 謎の声、姿の見えない存在。もしかして……、


「この死体は……お前か?」


『────────』


 どうやら違うらしい。


 幽霊など、思考能力が著しく低下している証拠なのだろうか。


 リュートは恥ずかしさを隠す為に言われるまま、死体の近くに置いてあったバッグの中を確認する。


 バッグの中には、冒険者らしいアイテムが強烈な臭いと共に顔を覗かせた。


 体力ポーションに魔力ポーション。非常食として干し肉などが入っていたが、完全に腐っていた。これが臭いの原因だろう。


 白骨化した死体に、保存がきく非常食が腐っていることから、この冒険者は死後かなりの時間が経過しているようだ。


『──────』


「…………」


 鼻を貫くような強烈な臭いが纏わりついたポーションに幾分の拒否反応を覚えたが、あくまで臭いが付いているのは入れ物だけで、中のポーションに問題はないはず。


 自分にそう言い聞かせたリュートは、言われるまま体力を回復させる為にポーションを飲む。


 味や臭いに問題はない。後は効能が残っているかどうか。


「まだ分からないな」


 古いから効能が低下したり、なくなってしまった可能性もある。


『────────』


 寝て身体を休めるように、と。


 本当にその言葉を信じていいのか。声の主の正体は相変わらず不明のままだ。


 これが罠という可能性も捨てきれていない。だが、これが罠でなければ一体何がどうなっているのだろうか。その説明も考察も、今のリュートにはできない。


 駄目だ……頭が回らない……。


 ふらふらと、まるで酔っ払いのような足取りで近くの巨木に寄りかかったリュートは、そのまま腰を落とす。


 気絶するように眠ってしまった彼の横顔に、謎の声が静かに語りかける。


『あなたが……希望……あなたなら……きっと、すくって……くれる……』





 その村は燃えていた。


 灼熱の業火が村を支配し、村人や村を強襲していた強盗団が我先にと脇目を振らずに、老若男女の悲鳴が、村中に絶望と恐怖の色を塗っていく。


 本来ならばこの時間は、優しい月明かりと満点の星空が静かに地上を照らす世界なのだが、その日は違っていた。


 たった一人――いや、たった一匹の野獣によって死体の山が築き上げられ、家屋は彼の放つ真紅の炎によって黒い煙を昇らせていた。


 無我夢中で目に入るもの全てを攻撃する彼の姿には、知性は感じられず、ただ破壊を繰り返すのみ。ただの化け物だった。


 彼の築いた死体の山には、村人や強盗団の他にも家族がいた。友人がいた。幼馴染みがいた。


 しかし、今や死体の山の一部でしかない彼らは、野獣の残酷さや残忍さを醸し出すただのオブジェクトの他ならない。


 野獣によって絶望と恐怖が撒き散らされる中、たった一人、彼を止めようとする少女の姿があった。


「お願い、やめて! 正気に戻って!」


 その少女は涙ながらも彼に抱きつき懇願するが、


「――ッ!」


 次の瞬間、少女の首は飛んでいた。殺った野獣の爪には彼女やその他数多の者の血がべっとりと付着し、彼は赤黒く染まった自身のそれを見るとけたたましい咆哮を上げた。


 そして、ごろりっと転がる少女の首はそんな彼を見て、最後に一人の名前を口にしたのだ。


『リュート……』

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