第47話 対決

 美咲が先手でのあさんの懐に飛び込み、殴り倒そうと狙っている。のあさんは猪突猛進で迫ってくる彼女に気圧された様子も無く、合気道の構えを崩さない。


「死ね!」


 美咲は渾身の一撃を振り下ろす。しかし、彼女の攻撃は全く当たらず空を切る。


「くそがっ!」


 それでもあきらめずに何度も攻撃を仕掛けるが、全てかわされてしまう。


「どうしたの? 全然当たらないよ?」

「て、てめえ……」

 

 合気道は受け流しに特化した武術である。のあさんは合気道の有段者らしく、力任せに殴ってくる美咲の攻撃など、当たるはずもない。


「くらえ!」


 今度は突きを放った。しかしこれもまた避けられてしまう。


「なんで……、なんで当たらねぇんだよ!」

「英二くんはわたしのものだから、誰にも渡したくないもん。だから、本気で行くよ」


 合気道の攻めの型はいくつかあるが、その中でも最も威力が高い技が存在する。それは相手の動きに合わせて、瞬時に最適な動作を行うカウンターだ。


「はぁっ!!」


 のあさんは美咲の攻撃を受け流しつつ、その流れに乗って彼女の腹部目掛けて強烈な肘打ちを繰り出す。


「ぐぅあっ!?」


 強烈なカウンターをもらった美咲の体は後方に吹き飛び、地面に叩きつけられた。


「げほっ! ごほぉっ……」

「勝負ありだな」


 オレは二人の間に割って入り、咳き込んでいる美咲の背中をさする。


「大丈夫か? 立てるか?」

「ああ。なんとかな……」


 のあさんは中盤辺りから、美咲の動きを完全に読んでいたようで、オレが声をかける前にすでに行動に移していた。


「美咲ちゃん、これで分かったでしょ? わたしの方が強い。英二くんを幸せにできるのはわたしだけなんだよ」


 のあさんは勝ち誇ったように笑みを浮かべている。


「はぁ……はぁ……」


 美咲は悔しそうな表情で俯いている。余程負けたのが悔しかったのだろう、その顔からは怒りや憎しみといった負の感情が見て取れる。


「……負けちまった」

(もう、英二に話しかけちゃいけないのか)


 いくら勝負の世界が厳しいとはいえ、たった一回の決闘、それも暴力での決着で想い人を捨て去れと言われるのは、彼女の未だ幼い精神性では飲み込むには辛い出来事だった。

 オレはそんな美咲を慰めるように優しく抱きしめる。


「気にすんなよ」

「アタシは負けた。それが現実だ」

「分かってるけど……」


「なあのあさん、こんな暴力で黙らせるのなんて望んでないんだよな」

「まあね、突っかかってきた美咲ちゃんを大人しくさせようとしただけだもの。それにわたしは勝って当然の人間。だから勝負で物事を決めるなんて野蛮なことはあまり好きじゃない」

「ここで決めちまえよ。後悔することになるぞ」

「ふん、敗者に選択肢なんて無いよ。わたしの意見に従いなさい」

(英二くんの取り決めは絶対。刹那的な怒りであんなつまらない喧嘩を買ったわたしにも落ち度はある。暴力なんて人としての品位を落とすだけだし、そんなもので彼を勝ち取っても嬉しくない。だけど、このまま引き下がるわけにはいかないよね。だってわたしは英二くんのことが好きなんだから。例えどんな手段を使ってでも手に入れる。それがこの世の真理なんだよ。ふふっ、覚悟してね。英二くん♡)


 のあさんはオレの腕にしがみつきながら、妖艶な笑みを見せる。


「英二くんに免じて、約束は破棄してあげるね」

(約束なんて無くてもわたしに勝てないのは証明できたし、もうあの女に立ち上がる気力は無いでしょう。問題があるとすれば、あの女が短気で攻めてきたことがやや想定外といったところだけど、むしろ早めに黙らせられたことを考えれば、結果的に良かったかもね)

「それじゃあ英二くん、帰ろっか」

「そうだな。美咲、また明日学校で会おうぜ」

「……ああ」


 美咲は下を向いたまま、小さく返事をした。やはり相当ショックが大きかったようだ。

 だが、のあさんの認識がそこで止まっていたことは大きな誤算になっていた。美咲はあの程度で挫けるような弱い人間ではない。むしろ鋼のように鍛え上げられた意志と魂を持っているのだ。


(あの女が強いことはよく分かった。今回の敗北は完全にアタシの短気が招いたものだ。しかし、それだけで諦める理由にはならないだろ! アタシは必ずもう一度あいつに勝つ。そして、必ず奪い取る。絶対に負けられない戦いが始まったんだよ。待っていろよ、英二。お前に相応しいのはこの世で唯一無二の存在であるこのアタシ、橘美咲なんだからな。覚えておけよ……)


 美咲の反骨精神は静かに燃え上がっていた。彼女のオレへの好感度も、その怒りに則って160から180に跳ね上がり、人の内面的な感情が最も表れる瞳には黒い泥に近い濁りが混ざっているように見える。その様子はまるで鬼神の如き様相であった。


「英二くん、それじゃあ一緒に帰ろっか」

「悪い! 今日は妹の練習を見に行きたいんだ」

「そっかぁ、それが理由なら仕方ないね」

「本当にごめんな」

「ううん、いいよ。その代わり、今度のデートはわたしのお家に来て」

「ああ、分かった」


 オレはのあさんや美咲と別れた後、テニスコートで大会に向けた最終調整を行っている杏里の様子を見に行った。

 杏里はすでに上級生と混じり、レギュラーとして試合に出ていた。


「杏里!」

「あっ……兄貴」


 杏里がオレの声に反応すると同時にボールが高く上がる。そのボールを杏里は見事にスマッシュで打ち抜いた。

 コート内にいる部員たちからは歓声が上がる。


「ナイスショットだ」

「ありがとうございます。ですがこの程度では満足できません」


 杏里は汗を拭いながらタオルを手に取り、ベンチへと歩いてくる。


「よう、調子良さそうじゃないか」

「まぁね……。でもまだ全然足りないかな……」


 スポーツドリンクを片手に座る杏里は何か考え事をしているのか、どこか上の空に見える。


「どうした。先輩に褒められてるんだし、もっと喜べば良いじゃんか」

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