第49話 部室

 てっきり杏里が怒ると思っていたが、彼女は怒ることなどはせず、顔を赤らめながらうつむいているだけだった。

 その顔を見てしまったオレは、自分の中に沸き起こる感情を抑え込む事が出来ず、思わず杏里を抱き寄せてしまっていた。


「ちょっ! 兄貴!」


 今時こんなに愛らしくて可愛い妹が居るだろうか。しかも、こんな美人な子が目の前にいるのだ。我慢なんて出来るわけがないじゃないか。

 杏里はヤンデレだけど、二人きりでいる分には無害だし、こういう時はツンツンしているのもあって余計に可愛く見えてくる。


「ごめん……」


 我を忘れた自分に驚きながらも、杏里から離れていく。

 こんな所でいきなり抱き着くとか、完全にヤバイ人間にしか見えないではないか。

 杏里の顔を見ると耳まで真っ赤になっており、下を向いたまま目を合わせてくれない。


「……バカ」

(お兄様自ら抱きしめてくれるとは、あたしも捨てたものではありませんわね。まさかこのタイミングで来るとは思いませんでしたけど)


 杏里は自分の体を蛇のようにくねくねと揺らし、頬に手を当てながら嬉しさを隠しきれない様子だった。きっと内心では喜んでいるに違いない。


「すまん、悪かった」

「別にいいんだけどさ」

(ああ、お兄様の温もりが未だあたしの体に残っておりますわ。これで今夜はぐっすりと眠れますね)


 杏里は再び壁に向かってボールを打ち始める。


「そっか。まぁ、気にしないでくれ」

「う、うん」


 なんだかぎこちない雰囲気になりつつも、杏里はその後も一人黙々と練習を続けていた。彼女の動きはさっきまでの鋭い動きからは程遠く、顔もなんだか熱っぽい。


「大丈夫なのか?」

「え? 問題なんて無いわ」

 

 彼女は明らかに嘘をついており、その証拠に目が泳いでいた。オレが妹に迫ってしまったことが、おそらく頭の片隅にこびりついて離れないに違いない。


(お兄様の方からアプローチをしてくださるなんて、やはり今日の私は運が良いようですね。ですが、このままお家に帰る訳にはいきません。せっかくのデートですから、もう少し一緒に居たいのですが……でもでも、これ以上お家に帰って来なかったりしたらお母さん達に怪しまれてしまいますし……。どうしましょう?)


 妹はすっかりデート気分であり、オレとの時間を大事にしてくれているようだ。その気持ちは嬉しいのだが、杏里の場合暴走すると何をするか分からない怖さが多少有る為、ここは一つ釘を差しておく必要があるだろう。


「兄貴、そろそろ帰る」


 妹は軽く腕を回した後、今日使い込んだラケットを入念に手入れしている。妹はガサツそうに見えて、結構マメな一面があり、こうして毎日欠かすことなくメンテナンスをしているらしい。ラケットを使った後なんて特に入念である。

 ラケットを仕舞った杏里は制服に着替えようとするも、なぜか動きを止め、オレを凝視してくる。獲物を狙う鷹そのものとも言える、鋭い目付きが突き刺さってくる。


「おい、あんまり見るなって」

「ん? どうして? 兄妹なら普通でしょ」


 杏里はオレの手を掴み、近くにあるテニス部の部室に強引に連れて行かれる。

 部室はかなり綺麗に整えられており、想像していたような部室特有の汗臭い不快な臭いは一切無かった。

 もうすでに妹を除く他の部員の姿は無く、オレが誰かに咎められる心配は無いものの、妹が服を脱ぎ始め、堂々とブラジャーやパンツを晒す姿は見てはいけない気がした。もちろんオレは目を逸らすし、背中を向けることも忘れてはいない。


「ほらほら兄貴、そんな所に突っ立ってたら邪魔になるよー」


 振り返るとそこには下着姿になった妹の姿が有ったが、一瞬だったためちゃんと見ていない。ただ、めちゃくちゃ可愛いという事実だけがオレの脳裏に深く刻まれた。


「あ、足滑った、きゃん!」

(えへへ、連れ込んだ時点でスキンシップは成功したも同然です)


 杏里は下手くそな嘘を盾にしながら、下着姿の体をオレの体に向けて倒れ込ませる。肌色が目立つ彼女の体が、オレの目の前に広がっており、それはそれで目のやり場が無い。


「兄貴が突っ立ってるから転んじゃったじゃないのよ! 責任取ってよね」

(これはチャンスですよ。兄貴と一緒にいれる時間を増やすための絶好のシチュエーションじゃありませんか。それにしても、相変わらず良い体のラインしてますね~)


 杏里はそのままオレの腕を取り、自分の体に引き寄せていく。柔らかい感触と共に甘い香りが漂ってきており、これは一体どういう状況だ!?


「ちょ、早く服着ろ。誰か来たら洒落にならん」


 妹はオレに体を完全に預けており、離れる素振りなど一切見せない。むしろ、先ほどよりも密着度が増している気さえする。


「えぇ? 別に見られても減るもんじゃないから平気だよ」


 杏里はオレの耳元に口を近づけ、ささやくように話し始める。


「兄貴……早く離れて。恥ずかしいのは変わりないし」


 妹は半裸の体をオレの制服に擦り付け、胸を押し当ててくる。離れてと命令してくるものの、彼女の言う通りにしようとしても物凄い力で床に貼り付けにされる。


(はぁ……はぁ……お兄様が誘ったのが悪いのです。しばしの間、楽しませていただきます)


 妹はさらに強く抱き着き、オレの首筋に顔をうずめる。


「兄貴の面、見てるとムカつく」


 杏里は上目遣いでオレを見つめながら、頬に手を当ててきた。その瞳にはいつもとは違う輝きが宿っており、何かを求めているように見えた。


(お兄様の目と髪の色が好き……大好きです)


 彼女が動くたび、先程直されたサイドテールが遠心力により揺れ始める。


(この匂い……お兄様の……好き……)


「あぁ、ちょっと疲れたから頭寝かせたいんだけど」


 妹はその勢いのまま唇を重ねようとしてきたため、オレはそれを回避すべく首を横に傾ける。しかし、彼女はそれすらも読んでいたのか、さらに顔を寄せてキスしようとしてくる。


「何逃げてんの。兄妹なんだから体が少しくっつくくらい良いでしょ」

(お兄様ったら、うぶですね。そんなところも良いのですけど……。やっぱり私としてはもっと積極的に攻めて欲しいです。せっかくの互いに目覚めている状態での初キッスなのに残念すぎます。でも、今はこれだけでも十分幸せですけどね」


「ま、待てって。いくらなんでも……」

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