第50話 ブラコン
「は? 何言ってんのか分かんないし。あたしは休憩したいの!」
(お兄様、杏里の精一杯の愛をお受け取りください!)
杏里はオレの頭を両手で掴み、無理やり口づけをしようとするも、何とか阻止する事に成功した。
「兄貴、ちょっと横になりたいだけなのに邪魔し過ぎ。いい加減にしてくれない?」
「こっちこそ、いい加減離してくれないか? このままだと本当に誰か来るぞ」
「は? そんな事ある訳無いじゃん。ここ女子テニス部だし、部外者は入れないんだよね」
杏里はそう言いながらもオレの唇を堂々と奪おうとしてきた。このまま妹に好き勝手にされるのかと思いきや、突如として扉が開き、鬼嶋部長がそこから入ってくる。
「杏里さん、張り切るのは良いけど張り切り過ぎは体に毒よ」
(あの子は頑張り過ぎるのが短所なのよね。オーバーワークにならないように、私がしっかりと管理しないと)
「あ、はい! すいません!」
杏里は一瞬でオレをロッカーに隠し、自分はあたかも一人で帰り支度をしていますよ、という雰囲気を醸し出している。杏里は素行が良い人間なので信用もあり、まさか実の兄を襲おうとしていたなんて夢にも思われないだろう。
オレが部長と鉢合わせるのはあまりにも都合が悪いため、ここは妹の方針に従い、ロッカーに身を潜めてやり過ごすことを第一に考えていた。
「帰るなら良いわ。戸締まりはきちんと行うこと。分かった? テニス以外で気を引き締めることも、立派な練習になるのだから、テニスじゃないからって疎かにしては駄目よ。じゃ、また明日ね」
部長はそう言い残して部室から出て行った。
「ふぅ、危なかったー。危うくバレるところだったよ」
「全くだ。お前の行動力は凄まじいな」
また二人きりになると、杏里は制服に整えつつ、ロッカーの扉を開ける。狭いロッカーの中は、たった数分しかいなかったとはいえ、とても息苦しいものであり、新鮮な空気を求めて大きく深呼吸をする。
「兄貴大丈夫? なんか顔色悪いよ」
「箱詰めにした張本人が言ってくれる」
「ああでもしなかったら兄貴がいるのがバレてたんだもん」
「そもそもオレを部室に連れて来るな」
「……ふん、力負けした兄貴が悪い」
妹はあくまでも自分は悪くないと言い張り、そっぽを向いてしまう。
「まぁ、それはいい。それより早く帰ろう。さすがに遅くなりすぎた」
時刻はすでに六時を過ぎており、日も沈み始めている。今日一日だけで色々なことがありすぎて、精神的にかなり疲れてしまった。
「ねぇ兄貴。今日の料理もあたしに作って欲しかったりする?」
(お兄様が望むなら、あたしは貴方様のために身を粉にしてでも作ります)
「そうだな、妹の手料理も食べたいかも」
オレの言葉を聞いた杏里は嬉しそうな表情を見せてくれる。
「へぇ、兄貴が自分からそんなこと言うとは思わなかったよ。よし、帰ったら腕によりをかけて作るから楽しみにしといて」
妹は笑顔でオレの手を取り、そのまま校門まで歩いて行く。
「杏里、その……ありがと」
「何のこと? 兄貴」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
「変な兄貴」
「あぁ、そうだな」
杏里は握っていた手をさらに強く握りしめてくる。
「痛いって、そんなに強く握るなって」
「だって……ちょっとだけ寂しいし」
杏里はうつむきながら下を向き、頬を赤く染めていた。そんな妹の姿を見ると、オレは自然と笑みを浮かべてしまう。
(お兄様ったら、何で笑うんですか! 私は真剣なのに)
「ごめん、杏里」
オレ達はいつもより少し遅い時間だが、二人で仲良く帰宅する。杏里は帰宅するなり、父さんと母さんにただいまと元気よく挨拶をし一緒に、夕食の準備に取り掛かる。
人手が足りているのもあって手持ち無沙汰なオレはリビングで一人ソファーに座り、テレビを見ながら妹たちを待つことにした。
妹は短い時間でできる料理を手早く準備している。そして、オレはと言えば、特にすることもないため、テレビを見ているだけだ。
「お待たせ、出来たよ」
杏里の声と共にテーブルにはハンバーグとサラダ、スープが並べられていく。どれもおいしそうに見え、見た目も綺麗に仕上がっており、食欲をそそり立てる。
「じゃ、食べようか」
「うん!」
四人そろっていただきますとあいさつをして食事が始まる。
「おいしい! やっぱり杏里ちゃんの作ったご飯は最高ね!」
「ありがとう。でも、お母さんの方がもっと上手だよ」
「いやいや、杏里の料理もなかなかのものだよ」
「杏里、やっぱ上手いわ」
杏里の作る料理の凄さを一言で表すのは難しく、一品食べるごとにうますぎると連呼してしまう。
「もう、大げさだなぁ。でも、喜んでくれてうれしいよ」
杏里はオレたち家族の前では良く笑い、楽しそうにしている。しかし、学校での様子はあまり分からない。別のクラスだから追い掛けることにも限度がある。今度ストーカーにならない程度にこっそり見に行ってみるかな。千聖のこともあるので、目を離すとまたヤンデレを増やしそうで怖い。
食事も終わり、みんなが食器を流しに持って行ってくれた。オレは食後のコーヒーを入れ、それぞれの前にカップを置く。
「ふぅ、やっと落ち着けた。さすがに疲れたわね」
杏里は部活を頑張っていたのもあって、疲労困憊のようだ。
「兄貴、今日の事どう思う?」
「ん? そうだな……とりあえず明日から気を付ければ大丈夫じゃないか」
「それもそうだよね。まぁ何とかなるでしょ」
「あぁ、何とかしよう」
「それならいいんだけど……」
杏里は何か考えているようで、ずっとうつむいている。
「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「何? 兄貴」
「お前がそこまで頑張るのはなんでだ?」
「えっ、それは……その……うーんと……あれよ! あれ」
(お兄様のためです!)
しどろもどろになる一方で、心の中では妹は兄のためだと即答しており、彼女が真性のブラコンであることがよく分かる。
「そっか、まぁほどほどにがんばれ」
「ちょっと、兄貴。もう少し褒めなさいよ」
次の日、オレと杏里はゴールデンウィークの連休に入る。最も、妹は明日から数日に渡って地区大会に行き、ライバルたちとテニスでしのぎを削り合うらしい。
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