第37話 フリーフォール
のあさんは突っ掛かったりはせずに傍観に務めていた。目が黒く染まっていたので、全く気にしていないとかではないのだろうけど、自制している彼女はなかなかに珍しい。
その後、いくつかのアトラクションを回り、時間は夕方に差し掛かろうとしていた。
日が傾き始め、辺りが少し暗くなり始めている。杏里は疲れたらしく、ベンチに座ってぐったりしている。千聖は意外にも体力自慢なようで、まだまだ遊び足りないと言わんばかりに目を輝かせている。それはのあさんたちも同じなようで、まだ元気が残っているようだ。
「あー、みんな体力あり過ぎ……」
(お兄様、あたしを介抱してくださいませんか。もう動けそうにありません)
「分かった。ちょっと休んでいるといい」
疲れた杏里を座らせ、オレは彼女の隣に腰掛ける。杏里は息も絶え絶えにベンチの上で項垂れていて、とてもじゃないけど歩けそうにもない感じだ。
「お水飲みたい……」
「ほれ、飲めるか?」
ペットボトルの水を差し出すと、杏里はコクリコクリとうなずきながら水を飲んでいく。そんな様子を千聖はじっと見つめている。
「狡い」
(狡い)
目を見開き、歯軋りをする彼女だが、さすがに友人が本当に疲れているのを知っており、手を出すようなことはしなかった。
「大丈夫か?」
「少し楽になったかも……」
「そっか、無理するなよ」
「ふん、感謝はするけどありがとうは言わないわ」
(ありがとうございます、お兄様)
妹は表だと変わらず素直ではなく、棘を含んだ言い方でオレに接してくる。でも、裏ではこんな風にデレてくれるのが可愛いんだよな。
そういえば、夜にはパレードがあるようだ。時間的にはまだ余裕がありそうだが、どうなるだろうか。
「千聖ちゃん、もう少し遊ばないか?」
「もちろんです。夜までたっぷり遊びましょう」
「あぁ、オレも付き合うぜ!」
「アタシはまだまだいけるぜ」
「パレード……それは楽しみだね」
「みんな元気ね。あたしも休憩さえ終われば行くけど」
さて、パレードまでにはまだ時間があるし、刺激のあるアトラクションを楽しめそうなところはあるかな?
「お兄さん、次はあれに乗りましょう」
千聖が指差したのは、フリーフォール。それは高さ数十メートルから一気に落ちる絶叫マシンであり、かなり怖いらしい。
「よし、乗ろう!」
「お兄さんも乗り気ですね」
「いや、まぁ……」
「お兄さん、怖がっているんですか?」
「えっと……」
「お兄さん、それとも私と一緒に乗るのが嫌なんですか?」
うぅ……。そんな悲しそうな顔をされると断りづらいじゃないか。
「い、行こうか」
「はい! 行きましょう」
嬉しそうに笑う千聖は可愛かった。しかし、安請け合いしたこの後の展開を考えると恐怖でしかない。
フリーフォールの乗り場に行くと、すでに順番待ちをしている人が数人いた。その列に並び、自分の番が来るのを待つ。
「大丈夫か?」
「こ、怖くないし!」
杏里は待ち時間中、足をブルブルと揺らしており、見るからに怖がっている。言葉では怖いことを否定しているけど、内心はフリーフォールにビビりまくっている。
「次の方、こちらへ」
スタッフの指示に従い、安全ベルトを付けて乗車する。座席は全部で五席あり、一番左に杏里、一番右には美咲、真ん中にはオレでその左右にはそれぞれ千聖とのあさんが座っていた。
「では、出発します。シートベルトをしっかり締めてくださいね」
ゆっくりと動き出した機体は少しずつ上昇していき、やがて地上からかなり離れた地点に到着する。
最初は良かった。景色を楽しむ余裕もあったのだが、降下を始めた辺りで恐怖が映像になって視界から入り込んでくる
「きゃっ!」
杏里の小さな叫び声と共に、杏里の体がオレに寄りかかる。それを合図にするかのように、座席は高速での降下を開始する。
――ヒュン、ゴォォ!
「ひぃー、速い、怖い、助けてぇ!」
「あははは、楽しいですよぉ」
隣の千聖の楽しんでいる声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。杏里の体は震えており、顔色も真っ青になっている。このままでは杏里はぐったりとしてしまうだろう。
「大丈夫か?」
「ふぇぇぇ……」
杏里はすでに涙目になっており、千里の腕にしがみついている。
「杏里ちゃん、もう少しだから頑張ってくれ」
「うん……ごめんなさい」
「謝らなくていいぞ。少しだけ我慢してくれ」
杏里は小さくコクリとうなずき、ぎゅっと目をつぶって下を向いている。彼女の限界を迎えた精神状態とは裏腹に、フリーフォールは加速しながらどんどんと下に降下していく。
「いつでもきなさい」
「あたしも行けるぜ」
「杏里ちゃんは?」
「あたしは……」
「杏里、オレがいるから安心しろ」
「兄貴……ふ、ふんだ! 怖くなんかないし!」
杏里は変わらず虚勢を張っており、強がりながらも隣にいる千聖の袖を強く握ってくる。
「もうすぐ終わりますよ」
「ほれ、あと少しだ」
「お兄さん、ファイトです」
フリーフォールはまだまだ加速を続け、地上が近づいてくるにつれて少しずつ速度が落ちて来る。そして、最後にガタンッと一度大きな衝撃があった後、機体は停止した。
安全ベルトのおかげで落下することはなかったが、それでも結構な勢いで振られたのは間違いない。
オレたちは地面に降り立つも、未だに足元がおぼつかない。
「あぁ……怖かった」
「楽しかったですねぇ」
「アタシもちょっと怖かったかな。でも、面白かったぜ!」
「あぁぁ……終わった」
その中でも杏里の憔悴具合は相当なものであり、酒を飲みまくったかのように千鳥足でふらふらとした足取りをしている。
「杏里ちゃん、大丈夫ですか? お水飲みます?」
「ありがとうございます……」
「じゃあ、次はあれに行きましょう!」
「え?」
体力が有り余る千聖は次の乗り物を指差す。そこにはコーヒーカップが見えた。しかも二台ある。
「さぁ、行きましょう!」
「ち、千聖、少し休まないか?」
「ダメです。じゃあお兄さんだけ来てください!」
「流石に疲れちまった」
「英二くん、楽しんできて」
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